◎風の便り花便り

12月25日
関東地方は真っ青な空が広がり、日本海側は大雪の天候のクリスマスの今日。
やおよろずの神々から仏様、そしてクリスマスと外国から見れば
摩訶不思議な取込みが日本の伝統みたいになって早幾年。
そろそろ一年を振り返る時期になってきました。

今年、私はとても後悔していることがあります。
ずいぶんと以前のことですが、テレビで本田美奈子さん主演の「ミスサイゴン」の舞台模様が
放映されていました。ベトナム戦争で苦しむ女性を、か細い体の本田さんが素晴らしい歌声で
表現しているその画面に引き付けられて、いつか休暇がとれたら是非見に行きたいと思ったのです。

その「いつか」がなかなか来ないうちに、本田さんは今年の秋に白血病でお亡くなりになってしまいました。
素晴らしい舞台に高い評価を得て、これからますます活躍なさると思われた矢先のご不幸。
本田さんはさぞかし無念だったことでしょう。そして本田さんの歌声に感動した多くの観客の人達も
どんなにか悲しかったことでしょう。

人は簡単に言うことがあります。
「今度ね」とか「またいつかおあいしましょう」と。
それは今度という機会があることを、いつかという未来が必ずやあると思い込んでいるから、
そう言えるのでしょう。けれど、人の明日は必ず来るとは限らないことを本田さんは教えてくれたようです。

天使の歌声のように透き通った声で本田さんが歌った「アメイジンググレイス」
クリスマスの夜にしみじみと聴きたいと思います。

皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さいますよう。


12月18日
十二月も半ばを過ぎると街はひときわクリスマス商戦が盛り上がりを見せて、
街の色彩はクリスマスカラーの赤と緑におおわれてきます。
その色どりは木々の花が数少ない季節に華やぎを添えて、見る者の心に安らぎとなんとも
言えない夢心地感を与えてくれるようです。
またこの季節にはちょっとした買い物にも「りぼんをおかけしますか?」とか
「包装紙はどれがいいですか」と美しい見本の紙を見せてくれます。
その美しいこと。
戦後の物の無い時代をわずかでも知っている世代ならば、カラフルな紙の一枚にでも心躍ります。
和菓子の包装紙、クッキーやキャンディの入っていた箱、とにかく何でも色のついた紙やリボン、
箱などは簡単には捨てられない世代なのです。
美しいもの、可愛らしいものに飢えて育った世代はいくつになっても
そのような物に心をときめかしてしまうのでしょう。
そして今でも世界中のどこかでは、食べる物にも事欠き、
美しい物に飢えているかつての日本と同じような人々がおおぜいいることでしょう。
そのような人々が今も同じ地球のどこかにいることを忘れないで、
いただいたそれらの美しい物を小引き出しにしまっています。
きっと誰かへの贈り物や室内の飾りのアクセントとして出番があると思って、、、。

八つ手の白い花が夜の月明かりにぼんやりと浮かび上がって咲いています。


12月11日
 
 茶の花に 人里近き 山路かな  芭蕉

大気はしんしんと冷え込んできました。
そんな寒さの中でも白いお茶の花が、うつむきかげんにひっそりと咲いています。
近づいて花をのぞくと、なんとも清楚な花で見とれてしまいます。

お茶の葉は不思議です。
加工の工程で紅茶にも緑茶にもウーロン茶にもなるのですから。

今の若い人達の間では、中国茶と紅茶が人気だそうです。
最近の若い方々は「スタバ行く?」とか「ドトール寄る?」という表現をされるかもしれませんが、
私が青春時代を過ごした頃には、お店の名前を直接に言うのでは無く「喫茶店に行く?」なんて
表現をしていました。
その頃は、今のように紅茶を頼む人は少なくコーヒーを頼むのが普通でした。

今ではさまざまにブレンドされた花の香りや果物の香りを漂わせる紅茶が美しい包装や缶に入って売られていて、
どんな香りかなと好奇心がむくむくとわいてきます。
デパートや駅ビルの食品街のお茶コーナーでは、本日のお勧めを試飲して購入したり。
今では誰でも手に入る紅茶ですが、100年ほど前、産地のインドではイギリスとの長い搾取の闘いがあり、
生産者であるインドの一般の人々には手の届かない物だったとか。
そんなことを思いめぐらしながら、寒い日に熱い紅茶で一息いれるのも冬の楽しみのひとつでしょうか。


12月4日
十二月に入り、朝晩の冷込みが厳しくなってきました。
府中市内の落葉樹の並木道はすっかりと葉を落として、寒々とした光景です。
そして新聞やテレビでは人情や人間性を欠いた、寒々としたニュースが連日に渡って
報道されています。
欠陥マンション工事は決着するまでの道のりは長くなりそうです。
いたいけな子供達が犠牲になっている事件では通学路の安全性が問われています。
特に小さい子供達の親の気持ちを思うと人ごとでは済まされない思いがします。
山上憶良が万葉集で歌っているように、まさに親にとっては我が子は
「勝れる宝、子にしかめやも」という言葉通りのかけがえのない宝物。
辛い年の瀬を向かえるご家族の方々の気持ちは察して余りあります。
そのような浮き世の悲しい出来事と対照的に、街では贈答用のシクラメンの鉢が
花屋さんの店先を華やかに飾り、市内の夜空には商店街のイルミネーションが輝いています。

今日と言う日が一日、何ごともなく終わることはとても幸せなことなのだと、
しみじみと感じる今年の年の暮れです。

11月27日

東八道路のケヤキの葉がはらはらと舞い落ちて、激しく行き来する車にもふりそそいでいます。
そんな、もの悲しい雰囲気の晩秋に中国残留孤児の肉親探しの一団が来日しています。
毎回訪れる人達の年齢が高くなり、肉親探しもだんだんと難しくなることでしょう。
この方達は自分の意思とは一切の関係もなく、先の大戦でおいてきぼりに去れた
過酷な運命を背負わされた人達です。
山崎豊子さんの小説「大地の子」が多くの人の涙をさそったように、
この方達の人生も語ることもできないほどの涙でいっぱいだったのではと、
皺に刻まれたいく枚かの写真を見ると察しられます。
私とほぼ年齢の同じような方達が、たまたま戦争中に親と共に中国にいた。
それもほとんどは時の国策によって。
ただそれだけで、その後の人生がどんなに悲惨なものに変わってしまったか、、、。
歴代の総理大臣の靖国参拝が問題になるたびに、中国残留孤児の方達への支援の方が
先決問題ではないのかと思っています。
いつも、より辛い思いをするのは何の罪も責任も無い人達。
人生の晩秋を向かえるこのような方達に国は暖かい思いやりの心を今からでもいいから、
差し伸べてほしいとつくづく思うのです。
うす紫色の野菊の花が路傍に這うように咲いている11月の末です。


11月20日

府中市内のケヤキ並木の葉が黄色く色づいたと思ったら、朝晩急に冷え込んできました。
あわててストーブや電気毛布を出して冬支度をしています。
デパートや商店街はクリスマスの飾り一色になり、早くも年の瀬が近づきつつある慌ただしさを
感じる季節になってきました。
そんな折に先日の紀宮様のご結婚は、なんとさわやかで暖かみのある思いを国民に届けて
くれたことでしょう。
特に前日の天皇、皇后両陛下が紀宮様へおかけになったお言葉の素晴らしかったこと!
日本人は身内にはあまり心根を表さないことが良しとされている文化があるようで、
わが子を人前で褒めたり、認めたりはしないのが美徳とされてきました。
それがわが子である紀宮様へ「感謝します」「尽くしてくれてありがとう」と
おっしゃった両陛下の勇気あるお言葉に感銘を受けました。
公の場でお立場上、言えないこともおありでしょうに、慈愛に満ちた表情でおっしゃった
このお言葉は察してあまりある心情を伝えていたと感じた人も多かったのではないでしょうか。
思いを言葉で伝える大切さを、身内にも心の表現をする大切さを教えていただいた
素晴らしいシーンに涙がにじむほど感激しています。
「人は愛されるために生まれてくる」そんな言葉が思い出される晩秋。
寒さの中でさざんかの淡いピンク色の花がやさしく咲いています。


10月30日

 ♪ 秋の夕陽に 照る山もみじ
   濃いの薄いの 数ある中に ♪  
 
 今年の紅葉はやや時期が遅れて、日光のいろは坂はこれからが見ごろとか。
この季節になると、上記の唱歌「もみじ」をふと口ずさんでしまうのですが、
私は長い間、「照る山 もみじ」とずっと思っていました。
ところが緑・花文化試験の検定を受けるようになり、
植物図鑑を頻繁に見るようになって、「やまもみじ」という分類があるのを知りました。
この歌は「照る やまもみじ」なのではないかと思ったのです。
そう、秋の夕陽に照らされて、「やまもみじ」という品種のもみじが
山一面に色づいているのではないのかな?と。
正解はいまだわからないのですが、勝手な思い込みってあるのかもしれません。

人は年齢を重ねていくうちに、いろいろな人の話を聞いたり思い込みをして、
多分そうに違い無いと決めつけていることがあるようです。
先日、私はある名簿をパラパラとめくって見ていたら、小学生の頃の仲間の
名前を見つけました。人の名前は同性同名はよくあることと思いつつも、
どうしても気になって電話をしてみようかな?と思ったのです。
けれどよく人は言います。
昔のましてや子供の頃にちょこっと学校が同じくらいという理由だけで、
それが今さら何なのって。
人には知られたく無い過去や現在があるのだからとも・・・。
わずか一年、クラブ活動が一緒なだけ、ただそれだけ、でもお元気かな?
もしその方が不愉快に思ったら申し訳ないしと、
さんざんに悩んだ末に意を決して電話をかけてみました。
思いもかけないほどに、気持ちのよいお元気な声が聞けました。
長い人生をお元気で生きていらしたのだと思うと、ただそれだけで嬉しかった!

時には世間一般の思い込みも、あたらないことがあるのですね・・・。

黄色いつわぶきの花がひっそりと咲いている夕暮れです。


10月23日
 
  がまずみを たぐれば霧の 雫かな  市川元常

秋の長雨の後の青空はひときわ澄み、赤いがまずみの実がいっそう赤く見えます。
春に目立たない白い小さな花をつける植物達は、秋になるとハッとするような美しい実をつけます。
鳥たちが早朝から実をついばみに来てにぎやかなこと。
季節は仲秋から晩秋に移りゆきますが、昨今はそれでも晴れた昼間は暑い。
夕暮れになり急に冷え込んできて思わず秋を実感しています。

そんな秋の夜は主婦にとっては「ながら仕事」に最適。
シチューや大根の煮物など、じっくりと煮込む料理をしながら本を読んだり、
アイロンかけをしたり、夏物衣類の整理をしたりと忙しさを楽しむ余裕があるのも秋の夜長ならでは。
あと2ケ月でまたお正月がやってきます。
デパートではおせち料理の予約がもういっぱいになりつつあるそうですが、
そんなに急がないで、もう少しそれぞれの季節をじっくりと楽しみたいなと思います。
そんなことを考えながらかねてから読みたかったミヒャエル・エンデ作の「モモ」を買いました。
童話だそうですが、時間について考えさせられる名作といわれています。


10月16日
晴れた昼間はまだ汗がでる陽気ですが、夕方からの涼しい風はなんと気持ちの良いこと。
5時半を過ぎるともうかなり暗くなってきました。
それでも仕事を早めに終わらせて、6時過ぎにキンモクセイの香りただよう道をそぞろ歩き、
家々の庭先に咲く小菊を眺めていると心なごみます。
そして楽しみなのが最近、ぐっと増えてきたテレビの国語系クイズ番組です。
「世界一受けたい授業」で斉藤先生の国語が人気をはくしてからか、日本語や漢字など、
国語系の番組が増えてきました。
「脳内IQサプリ」の漢字合体クイズもなかなか楽しい。
私の学生時代は世をあげて理工系ブーム。
日本が世界の経済に追い付くには工業国日本を造らねばと数学や理科のできる生徒が
重視されていました。国語や歴史が好きな私は肩身が狭く、ずっと劣等感の日々。
それがやっと、「そんなことないよ、美しい日本語の言葉の響きや言いまわしだって大切
でしょう」って認められた感じで嬉しさひとしおです。

今までは書店のほんの一部に隠れるように置かれていた俳句や短歌、詩集の本も種類が
増えてきています。詩の一節を諳んじても、俳句のひとつを知っていても仕事や
日常の生活にはたいして役にはたたないかもしれないけれど、実利を伴わないことの方が
結構楽しかったりして、、。

国分寺駅の駅ビルの屋上のオープンガーデンでは、
コムラサキシキブの小さな実をつけた枝が風に揺れて美しい秋の風情です。


10月2日
青い空の高さがひときわ感じられ、白いすじ雲がもう真夏ではないことを
伝えてくれています。夕暮れ時のひんやりとした風にしばし佇む季節になると、
中学だか高校の国語の教科書に掲載されていた詩の一節が思い浮かびます。
作者は誰なのかすっかり忘れました。

 夕暮れは良いとき
 かぎりなく やさしいひととき

 
この一節の後の言葉も忘れてしまいました。
ただその時、私はこの作者の気持ちが理解できずに、夕暮れ時なんてただ忙しい
だけでちっとも良い時ではないのにと思っていました。
当時は子供も家庭の中で家事をするのが当然の時代。
お使いや食事の支度、掃除と夕暮れ時は空を見上げて、沈みゆく雲の流れなど見る
ゆとりが無かったのです。
それから40数年の年月が流れ、私自身も人生の黄昏れ時を迎え、
夕暮れの空を見上げる時間的ゆとりが持てるようになりました。
仕事が終わり近くになり、ほっと一息外に出て西の空を見上げると茜色に染まった美しさ。
吹く風もさわやかで、なんて気持ちが良いのでしょう。
 夕暮れは良いとき、 かぎりなく やさしいひととき
あー こういうときを言うのかとしみじみと感じています。
人にはその年齢にならないとわからないことがあることを知るようになり、
また年を経ることも決して悪いことではないとも思うようになりました。

もくせいの香りが漂う道をちょっと散歩でもしたい気持ちになる秋の夕暮れです。


9月23日
今日は秋分の日、そして彼岸のお中日。
自然の力の不思議さを教えてくれるように、彼岸花の花が今年もきちんと咲きました。
霊園通りはお墓参りに行く人達の車で混雑しています。
人はどんな思いでお墓参りにいくのでしょうか?
私は慣習で決まっている時期にお墓参りには行った事がありません。
そのような時期は仕事柄忙しいこともあるのですが、お墓参りは亡き人に話し掛けたくなったときに、
急に行きたい衝動にかられて行っています。
人の生活はいつも何ごとも無く穏やかに暮らせるとは限らないでしょう。
時には泣きたい程の辛い時もある。そんな時に無条件に受け入れてくれた人に聞いてほしいなと
思う事があります。
私の亡き父は、時流に乗って生きるのが下手な人でした。
せっかく身についている天性の豊かな感受性では暮らしが成り立たず、
平凡な暮らしをせざるを得ない人生だったようです。
生前は親として頼りにはならないと思ったのですが、月日が立つうちになんとたくさんの
愛情を注いで育ててくれたのだろうと感謝の思いが年々わいてくるのです。
「良い娘です。よくできた娘です。」これが私を評する父の口癖でした。
本当はそんなに良い娘ではないのに、、、。
戦後の貧しい時代に美しいクラッシック音楽をたっぷりと聴かせて、たくさんの本を読ませてくれました。
当たり前と思っていたそれらのことが、本当はとても価値のあることだったと気づいた時には、
もう父はこの世にはいない。
私にとってのお墓参りはそんな亡き人へ「ありがとう」と感謝を言い「こんな時はどうしたらいいの?」と
問いかけをしに行く行事です。
そろそろ父のお墓にコスモスの花が咲く頃です。


9月18日
長かった猛烈な暑さがやっと去り、夜半の涼しい風が心地よい季節になりました。
衆議員選挙が終わり、政治は秋の陣に入ったようです。
そして選挙の総括番組がめじろ押し。
「刺客」だの「マドンナ」などと各局が同じ表現で特集を組んでいます。
話題になった議員さん達は選挙の疲れも取れない内に、連日各テレビ局をはしごして、
さぞやお疲れのこととお察し申し上げます。
毎回、同じような質問をされていい加減に嫌になるのではと気の毒になってしまうほどですが、
出演している皆様はにこやかに答えていらっしゃる。
聡明な方はさすがだと感心しつつも、どうしても不愉快なシーンに何度も出くわしました。
IT長者と騒がれ注目の的となった堀江さんには落選したからなのか、かなり意地の悪い質問が集中。
若干、32才の青年に年長者のキャスターや司会者が感情むき出しの突っ込みはあまりにも見にくく映りました。
そう感じたのは私だけでしょうか?
好き嫌いは別にして、堀江さんに広島6区の人達のうち8万余りの人が投票したのです。
堀江さんに失礼な質問をすることは、その選挙民の心をもバカにしたようなものではないのでしょうか?
それらの意地の悪い質問に冷静に答えていた堀江さんは、
テレビ局の意を反してかえって人間的に魅力ある人だと株をあげたのではと感じたほどです。
人の足を引っ張るのも、あげ足をとるのも決して気持ちの良いことではありませんよね。
大人なら若者を育てて、良い国を造っていく役割があるはず。
特にマスコミで働く人はその影響力を心して取組んでほしいと思います。

神秘的な姿形の彼岸花が咲くのも、もうすぐですね。


9月11日
ススキの穂が風に揺れ、秋の訪づれを感じる頃になりましたが、台風14号の被害は甚大で、
被災地の復旧作業が連日にわたりテレビで放映されています。
どんなにか、心身共にお疲れのことでしょう。
それなのにたくさんの梨が袋をかけたままの状態で落下してしまった梨園の農家の老人が
「これも自然の神様のなさったこと。しょうがないね」と穏やかな語り口で話している
テレビ画面を見て心底、その精神力に驚きました。
日本の農民は何百年も自然の脅威と闘い、それでも諦めないで営々と作物を作ってきたのだと
頭が下がりました。
自然と共生して、自然に畏敬の念を抱いて、山や樹木を崇拝して長い歴史を自然と共に
生きてきた日本人の心を改めて認識させられたシーンでした。
このような農家の人に「頑張って」などとは決して言えない。
何故なら、彼等はすでに頑張り続けてきたのですから。

そして今日は衆議院選挙。
選挙戦中、大雨が降り続けました。
雨が降れば人は傘をさします。
けれど候補者は雨のなかでも傘をささず、ずぶぬれになって歩いて指示を訴えています。
それだけ真剣なんだよと言いたいのでしょうが、その姿、とても不自然に見えました。
日本の国は今、外交問題でも経済問題でも世界に向かって対処しなくてはならないことが
山積されている大変な課題を抱えているはず。
雨にぬれてもめげずに指示を訴えている姿勢を見せて好感度アップを図るよりも、
候補者の方々は健康に留意されて体調万全で国政に取組んでほしいなと思うのですが、、、。

国分寺の万葉植物園では蝉時雨がややおさまり、白いカラスウリの花が咲いています。


9月2日
夕暮れの時間が徐々に早まって、季節のうつろいを少しずつ感じるようになりました。
花屋さんの店先には秋の花の青紫色のりんどうが凛とした姿で咲いています。
いま、日本中が衆議院選挙の話題でもちきりのようですね。
私のまわりでも今までは棄権していた人達までが、今回は投票に行って見ようかな等と
話をしています。
テレビ討論もいつになく各局で放映され、日毎に熱を帯び、各局をはしごして討論をし
ている候補者を見ていると、政治家って気力も体力もいるものなのだと感じています。
理由はともあれ、選挙や政治の話が大衆の話題になり、命の危険を感じずに自由に論じ
られる国は素晴らしいと思う。
よお〜く考えて大切な一票を行使しよう。
一時的に大衆に媚びることなく凛とした姿勢で政治に取組む人を選びたい。
今回は政党で選ぶか個人で選ぶかが、なかなか判断の難しいところのようで、
ねじれ現象もおきそうな感じがします。
投票日の11日の深夜はテレビの速報にくぎづけになりそうな気配。

蒸し暑かった熱帯夜もちょっぴりと冷風がそよいできて、エアコンを切っても眠れる夜が
来そうです。

8月27日
台風が去った後も猛烈に蒸し暑い東京です。
さすがに今年の長い暑さ続きには疲れがたまってきて、夕食後のひとときはついついと
テレビを見てぼんやりと過ごしてしまいがち。
ところがぼんやりとが、「ウッ!これすごい。大丈夫なの? こんなセリフを言ってしまって」と
いうような過激なセリフが飛び交うドラマを見ました。
話題になっているのでご覧になった方も多いでしょう。
「ドラゴン桜」と「女王の教室」。
共に賛否両論でテレビ局には苦情が入っているとか。
でもこの二つのドラマのすごいところは、人の心の本音をビシバシと言ってしまうこと。
世の中には本音と建て前があって、心にもない事をさも本当にそう思っているかのような、
「私は良識派です」的な発言がまことしやかに話されているのが現実。
そんなきれいごとを、バッサ、バッサと切りまくる。
「ドラゴン桜」では東大至上主義を「東大にさえ入れば世の中の人の眼は変わる」と
「女王の教室」では「勉強のできないバカは学校に来なくてもいい」とまで言わせるセリフの連発。
一見、現実にはありえないとさぞや、そんなひどい事をとご不満な方も多いでしょう。
でもよーく自分の心に聞いてみれば多分、多くの人の心にもこのような気持ちが存在しているのでは、、、。
何故ならば、どこの子供がどこの学校に合格したとか、どこの会社に入社したとか、
とかくブランドにこだわる人が多いのが現実の世の中。
そんな質問を受けて嫌な思いをした人も多いのでは。
さてこれらのドラマがどんな展開をしていくのかが楽しみ。
夕空にたなびく雲が鰯雲になってきて晩夏の予感がしてきました。




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1998.3.25 公開


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