◎風の便り花便り
7月24日
 各地で集中豪雨の被害が相次いで起こり、被災者の方々のご苦労はいかばかりかと
案じられます。
むかし昔、天変地異が起こると時の支配者は「徳」がないから天地が怒るとされて
地位を追われたり、殺されたりしたとか。
今はさすがにそんな事を言う人はいないでしょうが、それにしても、報道される与野党
の争いは足の引っ張りあいのごとく、何と醜いことでしょうか。
昔ならずとも天地が怒りそう。

夏の夜は妖怪やら幽霊やらと、おどろおどろしい物達が活躍するとされるのが
定番ですが、どうやらこの世の中で一番おどろおどろしいのは、人間かもしれないなって
思ってしまいます。
さて、何十年も昔のこと。正確に言うと56年も前のこと。
当時の府中は家数も多く無く、勿論、車なんてめったに見ない田舎の中の田舎でした。
そんな草深い田舎の我が家で夏の夕涼みをしていた時のこと。
エアコンが無い時代ですから、夕食の後は庭にでてみんなでつかの間の涼をとって
いた時です。
人の目線よりやや上空を赤みを帯びたオレンジ色をした火の玉がふたつ、ゆらゆらと
南から北へ長い尾をひいて、ゆっくりと泳ぐように飛んで行きました。
その瞬間は驚きよりも、なんて美しい!と見とれました。
でも誰も見なかったと言うのです。
その後も時々、見えたりするものがあるのですが、これは内緒ね。
美輪さんや江原さんがおっしゃるようにこの世の中には、ある人には見えても
他の人には見えないものもあれば、何かの知らせを感じる人もいれば全く感じない
人もいるのだろうなと思うのです。
世の中は人間が総べて理解できることばかりではないのだとも。
衆議院選挙が真夏の夜のミステリアスで終わらないように、しっかりと見届けたい。
せめて議員の先生方がよくお口にされる「国民」が不在にされないようにね。

7月19日
 湿度の高い蒸し暑い毎日が続いています。
サルスベリの紅い花が咲き始めて、
「さあーこれから百日間は暑くなるぞ−、覚悟して! 」なんて言われそう。
共働きの家庭では日中の子供達の過ごし方に親は心をくだき、
もしリストラにあっているお父さんのいる家庭では、またまた悩みは増えそう。
一口に夏休みと言ってもその過ごし方はまさに家庭の事情によりさまざま。
世の中は不公平だと子供心に感じるひとつが夏休みとも言えるのでは、、、。

国会議員の先生方は衆議院選挙に向けて、ご自身の先行きに必死の事でしょう。
最近の「麻生おろし」のニュースを聞く度に、「国民のために」という
言葉が連発されています。
でも「本当にそう思っていらっしゃる?」と意地悪く聞いてみたくなってしまう。
大学3年生から就職活動をし、社会人になったら婚活をし、何だか若者達は
何かに急かされているかのように、そうしないと安定した暮らしが手に入らないかの
ような不安感を抱えているように見えます。
でもそうよね。正社員にならないと給料もいつ不払いになるかわからない。
明日から来なくてよいと言われるかもわからない。
家のローン審査にも通らないかもしれない。
彼女や彼氏だって安定した暮らしのできない人には、誰も声をかけてくれないかも
しれないと不安感がいっぱい。
そんな多くの「かもしれない」と心配するのが今の日本の若者達なのでは。
先行きに明るいきざしが見えて、「よお〜しがんばるぞ!」と思える社会を作る指針を
衆議院議員を目指す方々には示してほしいと願いたい。

そんな事を畑で収穫したらっきょうを甘酢漬にしながらついついと考えてしまうのです。



7月11日

 一茎の 影を正して 蓮ひらく  福山理正

 暑い夏に凛として咲く蓮の花は、極楽浄土はこのように美しい所なのかしらと
宗教は別として美術的に想像してしまいます。
今、府中の郷土の森では大賀博士の「大賀ハス」が美しく咲いているそうです。

さて、年々知人の葬儀に出席する回数が増えてきました。
自分の年齢を考えれば当然のことながら、さまざまな様式、集まる人々の雰囲気などで
故人の人生を考えさせられる事もまた多くなりました。
先日、出席した葬儀は故人の意思を尊重して無宗教。
花が好きだった故人をしのんで、遺影はたくさんのユリやカーネーションに囲まれて
まさに天国、極楽ってこういうところ? と思わせるような美しさでした。
流れる音楽はこれまた故人が好きだったという「冬のソナタ」のテーマ曲が、
胸にしみました。
俳句やお花の好きな上品な方でした。まさに故人らしいと「良かったですよ」と
話しかけたかった、、、。
それぞれの家の考え方や地域の慣習で、なかなか故人の遺言通りにはいかないことも
あるでしょう。
それでも私はこういう故人の意思を尊重なさったご遺族の方は偉いなと思いました。
人は亡くなった後はもう自分ではどうすることもできないのですもの。

もしも願いが叶うなら、せめて葬儀はこのようにと早めに伝えておかねばねと
友人達と話している昨今です。

7月4日
 どんよりとした雨模様の中を幼稚園くらいの子供が、七夕かざりをした
笹の枝を持ち帰っていました。
そうもうすぐ七夕様なのね。
新暦の七夕は梅雨の最中ですから、空を見上げても星は見えないけれど、
そして子供達の成長と共に、季節の行事も遠のいてしまいがちですが、
七夕様はほのぼのとした心優しい行事の気がします。
短冊に「勉強ができますように」とか「かけっこが速くなりますように」なんて
昔の子供は願い事を書きましたが、今の子供はどんな願い事を書くのでしょう。

織姫も彦星もどこにあるのかも忘れてしまったけれど、そしてもう東京の空には
天の川なんて決して見えないけれど、それでも夜空を見上げると、宇宙の中の
ほんの小さな星、地球。
その中のわずかな空間に居る自分を意識する瞬間もあったりして、たまには
夜空を見上げる時間も良いものと思います。

都議戦が始まりました。
東京の政治をまともに取組んでくれる政治家の「星」は誰でしょうか?
選挙の時だけの笑顔や「頑張って戦っております」という運動員の声を聞くと
誰の為に? なんて皮肉りたくなるような議員さんだけは選びたくないな。

 ♪ 笹の葉さらさら軒端にゆれる お星様 きらきら ♪
星や太陽や山にも「お」をつけて敬った日本人の謙虚な生き方を、議員さんはじめ
みんなで取り入れてもいいのかもしれませんね。

6月27日
 真夏日の照るつける暑い日です。
隣家の畑ではダリアの花が逞しく咲いていました。
そんな日にマイケルジャクソンさんの訃報を聞きました。
「巨星落つ」瞬間的に私はそう感じました。
特に彼のフアンでもないし、その音楽を好んだ訳でもありません。
そんな私でも彼の偉大さは知っていたのですから、世界中のフアンの方々は
大きな悲しみを抱いていることと思います。
わずか50歳という年齢なれど、まさに彼は音楽界の巨星だったのでは。
多分、人種偏見などいくつかの偏見とも闘ったことでしょう。
巨額の富みと名声を手中にしても、人は病には勝てないことを、今さらながら
感じて、人と言う存在の儚さをしみじみと感じ入っているフアンの方も
いらっしゃるでしょう。

偉大な存在の方はずっと生きて多くのフアンの人々に夢や希望を与えてくれると
音楽ならずともさまざまな分野の方にフアンは自分の夢を乗せます。

例えばかなり以前になりますが作家の有吉佐和子さんがお亡くなりになった時、
フアンの私はまさかと呆然としました。
あのような大作を次々と著す精力的な方が若くしてお亡くなるとは考えてもみなかった。
歌手の美空ひばりさんがお亡くなりになった時も、ひばりさんはずっとひばりさんとして
歌い続けるとフアンの方は固く信じていたでしょう。たとえ病気をしても必ず治ると。

エジプト神話の不死鳥伝説もそんな人々の願いから生まれたのかもしれません。
永さんの「大往生」という本に
「人は死にます。必ず死にます」とあります。
この言葉を今を生きている私は改めて心に留めています。
夜空の星のひとつにマイケルさんを思う方々もいらっしゃることでしょう。
時には夜空を見上げましょう。
お亡くなりになった方々のことを祈りながら、、、。


6月20日
 どんよりとした雨模様の日々。
つかの間に雲間から陽がさすと、蒸し暑い。
夏がすぐそこまでやって来ていると感じます。
この季節はあやめや花しょうぶなど紫色の花々が美しいですね。
そんな中で、真っ白いエゴの木がさわやかな香りを放っています。
エゴの木なんて何か自分勝手な木のような名前ですが、
それはそれは可憐な花が下向きに咲く美しい木。私の好きな木のひとつ。
見つけたら見上げて下さいね。

さて、先日、2年ぶりに仕事で飯田橋まで行く為にJR中央線に乗りました。
えっ?  車輌が変わっている。中央線と言えばオレンジ色だったのに、、、。
車輌の形も洗練されて、社内のドア−の上には動く画面の広告までついて、と
もうびっくりしました。
私が2年間、病気をして外出できない間にこんなに変化していたなんて。
今は十年ひと昔ではなくて一年ひと昔のスピードで世の中が変わっているみたい。
でもね、車内から見た景色にひとつだけ変わっていないものがありました!
市ヶ谷から飯田橋にかけてある弁慶橋のボート乗り場。
桜の頃は桜吹雪きをあびながら、緑の頃は青葉を見上げて、学生時代に
仲間達とつかの間の楽しいひとときを過ごした思いでのボート場。
40年以上も昔のこと、今のようにコンビニもコーヒーショップなどの
アルバイト先も無い時代ですから、みんな貧しくてわずかなおこづかいを出し合って
ボートに乗るのが贅沢だった時代。
でも、一生懸命に勉強して、働いて、それはそれで幸せだった。
きっと頑張れば良いことがあると信じていたから。

今、学生さんや若い人は頑張れば良いことがきっとあると信じられるのかな?
そんなことを考えた久々の中央線でした。


6月13日
 早くも6月も中旬になり、梅雨空のすっきりとしない天気が続いています。
政局は鳩山総務大臣の更迭という異例の措置で、その場をとにかくはしのごうと
しているかのように見受けられます。
でもねと私は思うのです。
例え三顧の礼で向かえた郵政公社の御方と言えども、簡保の宿や郵便料金の不正など
あまりにも国民の視点からみたら巨額のお金が無造作に扱われている現実。
それを即座に指揮できなかった責任は重く、本来ならば御自ら「申し訳ない」と
辞任すべきではないのかと。

小さな会社は社長以下みんなが、我が身を削り必死に働き、
何とか倒産だけはしないようにと、命をかけているのが今の日本なのだと思うのです。
本当にです。
そう思うと、政治家や官僚に応援されているお偉い方々は、そのような国民の
必死さなど思いもよらないのでしょう。

郵政民営化に賛成した議員さん達の強い支持で続投される西川様、
雲上人のあなた様には知らない所で多くの国民があなた様の気にもなさらない
僅かなお金で苦労していることを一度は考えてみて欲しい。
想像することもご無理でしょうが、、、。

日本人はおとなしい国民です。デモもしなければテロも起こさず、
疲弊した生活は自分の力無さなのだと、黙々と絶えて暮らしている。
なんと謙虚な、なんといじらしい国民でしょうか。

雨に濡れた紫色の露草がけなげに見える今年の6月です。


6月6日

 どくだみや真昼の闇に白十字  川端茅舎

雨降りが続くと、家々の庭の隅や駐車場に草やどくだみが勢い良く育ってきます。
いくつかの駐車場やアパートの管理のお仕事をさせていただいているので、
これからの季節は草むしりの回数が一段と増えてきます。
草むしり自体は、私はそんなに苦にはならない。むしろ好き。
すぽっと根から抜けて、周囲がきれいになる爽快感。
いさんで「草むしりに行ってきま〜す。」と出かけたい。

でも誰にでもこれだけはダメと言う物があるでしょう。
例えば動物なみんな好きだけど、かまきりだけはもうダメなのとか
食べ物に好き嫌いはないけれどセロリだけはダメなのなどと。
植物好きの私ですが、どくだみだけは臭いが苦手。
しかもどくだみは根からすっぽりと抜くことが難しい。
たいていはちぎれてしまう。
上の俳句のように「白十字」と花を愛でるゆとりはとても持てない。

どくだみ茶になったり、蓄のう症の薬になったりと人間の役にたってくれる
どくだみ。
どんなに美しく可憐な花でも人間には害を及ぼす種類も多いのだから
好きになってあげたいけれど、、、。

「ごめんね」と謝りつつ、息をころして抜く?
いえ引きちぎっています。
真夏まで、どくだみと私の闘いは続きそうです。


5月23日
 メイストーン 五月の強風と強烈な日射しで真夏が来たような日々です。
近くの畑ではとうもろこしの茎がなぎ倒され、柿の若葉もちぎれそうに揺れています。
何だか自然が怒っているみたい。
ブタインフルエンザの波及はドラッグストアーにも及んでいるとかで、
近所の方々は「どこもマスクが売り切れなのよ」「やっとあったの450円もしたの」。

数十年前のオイルショックの時のトイレットペーパーと洗剤の不足を思い出しています。
各テレビの報道番組では「どこそこのスーパーでは、今日は洗剤10箱がありました。」
などと現地レポーターが現場から中継したり。
戦後の物不足を知っている世代としては「慌てない、慌てない。死にはしない。」と
のんびり構えていたのですが、、、。
今回のは人の生死にかかわるとなると、そう悠長なことも言っていられない。
冷静に報道を見て、どうしても必要以外は外出しない、うがい手荒いをまめにすると
防衛を心がけなければ。
これからは防災グッズにマスクも必需品になるようですね。

こんな折り、ふと宮沢賢治の小説「グスコーブドリの伝記」を思い出しました。
日照りや冷害に苦しむ農民を何とか助けたいと科学者達が総力をあげての研究。
今ですら不可能と思われるような方法を考えていた宮沢賢治さんは農民の悲惨な
生活を心から何とかしたかったのでしょうね。
ブタインフルエンザの流行にもきっと、グスコーブドリのような研究者が
一生懸命に細菌と闘っていてくれると信じたいです。

でもグスコーブドリのように自らが犠牲者にはならないでほしいの。
だってこの本読んだ後、あまりにも切なくて辛いのですもの。
お読みになっていない若い方がいらしたら、是非読んで下さい。
きっと宮沢賢治さんが大好きになりますよ。


5月16日
風薫る五月、さわやかな五月と言いたい所ですが、テレビのニュースも
新聞もこれでもかと言う程に、つぎつぎと重苦しいことばかりですね。

技術大国と言われた日本の輸出産業が激減。
国内メーカーも赤字。
真面目で器用な職人さん達がたくさんいる日本の国がどうしてそういう人々を
いかしきれないのだ!
どうした!日本と叫びたい心境です。
私ひとりが叫んだとて全く効果なんてないけれど、皆で叫んでみたら
いくらどうしようもない官僚も政治家も少しは応えるのではと淡い期待も
持ってはみるのですが。
誰が猫の首に鈴をつけるの? って。

さて雹の害で傷がつているりんごをスーパーで特売していました。
5ケ398円 どこに傷とみると本当にちいさな黒い穴がひとつある。
えっ? これでただ同然でジュース工場も稼動できないほどで捨てられている?
おかしいでしょう?
日本の国の農産物の選別って。
自然の物はふぞろいで、多少の傷はあるでしょう。
そんなに選別に厳しくしてどうするの。
どうしても厳しくしたいのなら、その基準にはずれた物もそれなりの価格で
販路に乗せればいいのに、勿論生産者に損のない価格でね。
私達夫婦はこういうことにとっても弱い。早速買いました。
美味しかったんです! 本当に、さわやかな触感で。りんご嫌いの私が1/2個も
食べたのですもの。
農協のお偉いさん。農産品の選別方法を考えてみませんか。
仕入れる販売会社の方も考えていただけませんか?
生産者の目線に戻ってみませんか?
物を生産する人の気持ちをもう一度考えてみませんか?
みんな可愛い手塩にかけた生産品なんですよ、、、。

物を人を大切にする心、無くしたくないですもの。
「もったいない」


5月10日

 浮雲も花アカシヤもまぶしき日   近藤喜久子

白いアカシヤの花房が風に揺れ、まぶしい程の5月の日射しです。
活き活きと物みなが成長していくのが目に見える季節でもありますね。

さて、「プロジェリア」という病名をご存知でしょうか?
カナダの「アシュリー」ちゃんという少女がこの病気で17才という短い生涯を
終えました。
この17才という年齢はこの病気を背負った人には極めて稀な長生きなのだそうです。
テレビのドキュメント番組でご覧になった方もいらっしゃることでしょう。
1年という年月がこの病名の人には通常の人の10倍のスピードで体に負担が
かかっていくのだそうで、アシュリーちゃんも外見は老人のように見えます。

彼女は高校生活も、大好きなペットショップのアルバイトも毎日が実に楽しそうに
暮らしていくのです。
ものすごく感じる疲労感と共存しながら。
そして彼女は語っていました。
「人生は不満を言うほど悪いものじゃないから」

つい先日、アシュリーちゃんが亡くなったことを知りました。
念願だった高校卒業のダンスパーティーに出席できずに、、、。

「人生は不満を言うほど悪いものじゃない」と語った彼女の崇高なほどの精神力に
驚きます。何故って、人と言うものはとかく不満の種を心に抱えて生きているもの
ではないかしら?。
小さい時から「あなたは不細工だから」と言われ続けた私は容貌に強い劣等感を未だに
持ち、それを不満に思って60数年も生きているのですから。
もし何百万人にひとりという病気になったら、一体どれだけの不満や愚痴を言うことでしょう。
たまにきれいごとは言えても、毎日の暮らしにその精神を持続することは
並み大抵な努力ではないと思うのです。

どうぞ忘れないで下さい。「プロジェリア」という病名と「アシュリー」ちゃんの事を。
健気な少女が残してくれた人間と言う存在は時にかくも気高くなれるのだという事も。


5月2日
野も山も、公園も街路樹も木々の緑が美しく。ゴールデンウイークは
日本列島はほぼ良いお天気に恵まれそうです。
ブタインフルエンザの流行にびくびくしながらも、高速道路は行楽客で
だいぶ渋滞しているようですね。

さて遠くに行かなくても結構楽しいことだってあるんですよ。
昨日、NHKの子供番組で長い間緑色の帽子をかぶって「ノッポ」さんと
親しまれた高見さんが児童功労賞を授与されたと報道されていました。
ある一定の年齢層の方ならば
 ♪ でっきるかな でっきるかな ハハハハ ハア〜ン ♪
という音楽に乗って 大きな紙をちょきちょき切ったりして
すてきな物に変身させる「ノッポさん」の番組に魅せられた記憶があることでしょう。
そして共働きのお母さんにとっては病気の子供を家に残して、仕事に出なくては
ならない苦しい時に「今日はノッポさんの番組を見て我慢していてね。」と
言って家を出た記憶も甦ることでしょう。

そんな思い出がいっぱいある「ノッポさん」はただ今74才とか。
新聞に掲載されていたお写真は30数年前と変わらないような笑顔の「ノッポさん」。
段ボール、牛乳パック ラップの芯など いわゆる捨ててしまうような物を
巧みに変身させてくれるので、30数年前に小さな子供のいる家庭では、それらが
貴重品となっていました。
まさにエコ。
みんなが車に乗って観光地に出かけられる家庭ばかりとは限りません。
でもほんの少しのアイデアで楽しいこともあるんだよって、教えてくれたノッポさん。
長い間どうもありがとう! そしてまだまだ子供達を楽しませて下さいね。
子供の日を前に嬉しいニュースでした。


4月25日
 昨晩から降り続いている雨は一向に止まず、「涙雨」なのね。
そう思うと何だかとても辛いのです。
清水由貴子さんという一人のタレントさんの死が今の日本の高齢化社会の現実を
まざまざと語っているようで、、、。
 ♪ お元気ですか、幸せですか ♪ とふっくらとした笑顔で歌っていた
しあわせいっぱいのような少女が数十年後に介護に疲れて死を選ぶなんて。
欽ちゃんフアミリーの演じる「欽ちゃんバンド」を子供と一緒に見ることは
当時、仕事と家事に追われていた私の毎週一度のささやかな楽しみでした。
ユッコちゃん、あなたの笑顔に癒された人は多かったはずよ。

あれから30年後、日本は高齢化社会に突き進んで行くことは政府も十分に
解っていたはずでしょう。
けれど現実は介護施設も老人ホームも、介護する家族や収入の得られる家族が
いる人達には利用することは厳しい。
そして何よりも、真面目な人ほど、出来うる限り家族で世話をしなければならないという
暗黙の世間体と言うものも存在しています。
そんなもろもろが高齢者を抱えている家族を疲労の極みにまで追い詰めているのでは?

人は悲しい結果がでると「誰か相談できる人がいなかったのかしら?」とか
「公の機関に相談すれば良かったのに」というものです。
でも 相談された人だって、公の機関だって、すぐに何とか出来ない程に、高齢者は
多くなっているのです。
統計的にわかっていることなのに。

「お元気ですか」の歌の歌詞は最後にこう言っています。
♪お願いします、お願いします。
 お元気で そしてまた会いに来て下さい。♪


4月18日
 仲春は寒暖の差が激しい時、真夏日に半袖のセーターを着て、次の日は
う〜肌寒いとあわてて長袖に。風邪をひきやすい時期ですね。
さて、西国分寺の南口に史跡通り住宅という一団のマンションがあります。
そのマンションを左右に分けている道があり、桜や椿、山吹と季節毎に通る人の
目を楽しませてくれています。
今は樹木の下に「しゃが」の花が咲いています。
アヤメ科の淡い白薄紫系統のそそとした雰囲気の花で、たまに通る時、
あーもう「しゃが」の咲く季節になったのねと、移り行く季節を教えてもらっています。

 しゃが咲いて仏と神の国つなぐ  神蔵器

この句はどんな意味か私には理解できないのですが、でも心に残っている句。
ここ数カ月、ご高齢の方のお見舞いに病院通いをしているのですが、自分がどこに
何のために入院しているのかも解らなくなった方や、絶えず過去の人生の愚痴ばかり
こぼしている方など、まさに高齢化社会の悪い場面を見せつけられています。
いずれかは神の国か仏の国に召される方々が、絶望的な毎日を送っているのかと
思うと、長生きが果たして幸せなのかしらと不謹慎にも考えてしまうのです。
人生の晩年は自己責任と言い切ってしまうことは、この世の複雑さを考えると
あまりにも非情なこと。
でもせめて、少しでも笑顔で長生きして欲しいな。
最近、市役所から「高齢者の方へ」などという通知をたびたびいただいている身として、
とても他人事とは思えなくなってきている毎日です。


4月11日
ここ1週間は穏やかなあったかーい日が続いています。
そんな好天気のお陰で桜の花も雨や風に会うことも無く、長く楽しめています。
入園式や入学式の記念写真にもさぞかし美しい桜の花が映えていることでしょう。

さて今まで桜の木を見上げていらした方もちょっと目を下におろして下さいね。
きっとあちらこちらの道端や公園でやや小型のオレンジ色の花を見る機会が、
ここ数年でぐっと増えていることにお気付きになるのでは。
この花、「ミナガヒナゲシ」という外来種。
ものすごい繁殖力があるのです。
私が初めて目にしたのは10年程前に野川公園の川べり。
なんて可愛いのと可憐な姿に感動したのですが、その姿からは想像できない程に
とっても逞しい。
どんなアスファルトの道の隙間でも、木々の間にも種が風に飛ばされれば必ず
根付くという外来種特有の丈夫さなのです。
そしてここ府中でも、もうあちこちで、只今一斉に咲いています。

勿論、「ミナガヒナゲシ」に罪はないのですけれど、外来種の逞しい繁殖力に在来種の
花々が絶滅危惧種になりつつあるというのも現実。
生物が生き抜く為の戦いをしているのを、うららかな春に目を止めて下さいね。
多摩川の河原では私の好きだった淡いピンク色の「カワラナデシコ」が絶滅危惧種に
なりつつあります。
セイタカアワダチソウなどに住処を奪われて。
生きて行くのが大変なのは人間だけではないんですね。

4月4日
さくら!咲きました!!
ここ数日の暖かさに東京の桜は一斉に花開き、府中の桜通りも国立の大学通りも
東八道路の西原町周辺も老樹から若木までが、淡いうすピンク色に染まっています。
「さくら」「桜」「サクラ」どう書いても良いけれど、私は「さくら」と表現するのが
好ましく感じます。
60年ほど前の小学校の入学式に見上げた「さくら」
モノトーンの写真には戦後の(第二次大戦ですぞ。戦後と言ったら何時?
「応仁の乱」と応えたタレントさんがいましたがそんなに長生きはしていません。)
物資不足な時代、みんな粗末な姿の小学生の顔が緊張して写っています。
そうまだカメラも見た事の無い子供が多かった時代ですもの。

あれから日本の国の人々はすさまじいほどに必死に働き、勉強してきました。
今、そんな世代の子供や孫達が、不況の中でリストラや内定取消しにあっています。
老樹のさくらはそんな日本の国をどんな思いで見ている事でしょうか?

北朝鮮の「人工衛星」? の打ち上げに緊迫した雰囲気の市ヶ谷自衛隊本部からの
中継にも、背後には満開のさくらが揺れていました。

 ♪さくらの花の咲くころは  うららうららと みなうらら♪
小学校で歌ったこの歌のようにせめてひととき、美しく咲くさくらを
ゆったりとした気持ちで眺めたい。
さくらには人の心をやさしく包んでくれるような力があると思うから。


3月28日
東京には桜の開花宣言が出ましたが、まだまだ寒い。
府中の桜並木は木々の梢がほんのりと赤みを帯びた程度です。
こんな時期には夜風に乗ってどこからともなく、沈丁花の香りが漂ってきます。
 
 沈丁の香にひたりいて過去は過去  上村占魚
 
早春の季節は卒業や就職など人生の岐路に立つ時。
過去の栄光にひたって現在を嘆いている人もいるでしょう。
また現在から脱却してさあー行くぞ! と勇気いっぱいの方もいることでしょう。
人の一生のうちには良い時もあれば艱難辛苦の時期もあるもの。
上の句の作者の上村さんはどんな思いで過去は過去と割り切れたのかな?
沈丁花のやや重い感じの甘さが、人の心をそんな気分にさせたのかもしれませんね。

まだまだ政局も経済も相変わらず停滞しています。
弊社も家賃の滞納や遅れているお客様に、心ならずも催促の電話をしたり、
督促状をお出ししています。
ところが事情をお聞きすると不況の影響は底知れない程のひどさなのだと、
憤りを感じてしまうのです。
「こんな世間に誰がした」と大声で言いたいくらい。
一生懸命にひたむきに生きてきた人々が、明日の暮らしに不安でビクビクしている
なんて本当に変でしょう?
ながあ〜い不況は飛んでいけ! 春よ来い! 身も心も軽くなる春よ来い!
そう祈りたい心境です。


3月20日
一雨ごとに暖かくなり、一雨ごとに桜の開花予想を伝えるニュースが
流れています。
今年は例年より更に早く咲きそうと言う事で、各地の桜祭りの実行委員会は
スケジュール調整にやきもきしているとか。
一年のほんの一週間くらいを多くの人が待ち望んでいる桜。
「世の中に絶えて桜のなかりせば」と歌った古人の気持ちもわかりますね。
桜は花を愛で、葉を桜餅の皮にしてほのかな香りを楽しみ、また最近では
ジャムや香水とゆかしい香りが好まれて、まさに桜さまさま。

さて桜の花のジャムとはいきませんが、ここ数日私はいただきものの夏ミカンや
リンゴでジャムをせっせと作っております。
リンゴはちょっと古くなったけれどと言われて、
夏ミカンは庭で消毒もしないのにこんなにたくさん収穫できて、酸っぱいかも。
何の何の。少々古くても、少しくらい酸っぱすぎてもコトコトと煮込めば
美味しいジャムに変身するのですもの。
仕事が終わった夜。誰もいない台所で皮を剥き、スライスしお砂糖をまぶし、
流す音楽はカーペンターズの「イエスタディーワンスモア」
これで状況はもう完璧。

後はじっくりとあせらずに、時々お鍋をのぞくだけ。
このゆったりとした過程で、疲れた私の脳もゆっくりと安らいで、心に溜まった
もろもろの疲れを癒していってくれるのです。

相変わらず、インターネットの倒産状況では中小企業の星と言われた優良企業までが
倒産しています。
「負けないで、生きていって」そう願いたい。
貧乏は何とか工夫で最低限度の暮らしはできそう。だからこの不況に心までは
貧乏や絶望には負けないでね。
落語の「長屋の花見」ではたくあんを卵焼きに見立ててお花見を楽しんでいる庶民が
いるのですから。

3月14日
雨降りのまだまだ寒い日が続いていますが、木々や花々は刻々と変わる
季節を敏感にキャッチしているようです。
国分寺街道のサンシュユの木は黄色い小さな花を精一杯咲かせています。
あまりにも小さい花なので見落とされてはならじとばかりに花を開かせて
いるかのようですし、雪やなぎも白い花がぽつぽつと開き始めています。
早春の木々の花は小さいのね。不思議!
 
さてただ今、大評判の映画「おくりびと」をご近所の仲良しさんに誘われて
観てきました。
映画が終了しても誰も席を立とうとしないのです。
みんな胸の奥に何かずっしりとしたものを抱いたかのように・・・。

死は古来より日本では不浄なものとされて、それに携わる人は差別されて
きたのが現実。その現実をしっかりととらえながらも、それでもそういう
職業が人々に与える影響を静かな、本当に静かな映像で表現しているのです。
美しい山形県の自然を背景に。

この不況と地球のどこかで絶えまなく続く戦乱、そのような時代に
人の死を真心込めて悼む納棺師の仕事が認められたとしたら、
それは素晴らしいことだと思うのです。
職業に貴賎無しと言う事は、貴賎が人の心にあるからこそできた言葉でしょう。
この映画をみて多くの人が、人の死に携わる仕事をきちんと評価するように
なったら、とても意義深いものとなることでしょう。
またこの映画が欧米の人々に評価されたのも意外に感じます。
もしかしたら、人の所作の美しさというものも評価の一因になったのかも
しれないとも思いました。
所作、今の日本人にも忘れかけているものが。
お薦めしたいです。どうぞご覧になることを。


3月6日
 はてもなく菜の花つづく宵月夜 母がうまれし国美しき 与謝野晶子

依然と吹く風は冷たいのですが、お花屋さんの店頭には黄色い菜の花が
春を呼んでいます。
この優しい色合いの菜の花を見ると、40年程前の若き日の失敗談を思い出します。
当時、茶道教室に通っておりました。
床の間に飾るお花とお菓子を選ぶのはお弟子さん達の当番制。
季節にふさわしいお花とお菓子を選ぶのはお当番さんのセンスの見せ所。
さて私の当番の日、張り切って選んだのがやっと先端のつぼみがほころび始めたばかりの
菜の花。「わー季節の先取り」と喜んだのですが、その日はまだ3月上旬でした。
お茶を習っている人には当たり前の、利休忌前には菜の花を飾ってはいけないと
いうことを初心者の私は知らなかった・・・。
千利休が秀吉の命で切腹した日が3月28日
その時飾られていたのが菜の花。
ですから3月28日以前に菜の花を飾ってはいけなかったのです。
先輩から教えられて私は顔面蒼白、無知を思い知らされどうしようとおろおろ。
と、先生は
「今日は良い教材がありますよ」と言って利休忌のお話をされ、
失敗した私を叱責なさらなかったのです。

人はとかく他人の失敗には厳しいものです。
私も自分のことは棚に上げて、人の失敗を責めてしまいがちです。
けれどあの時のお茶の先生の柔和な笑顔を思い出しては、あーこれではいけないと
反省しています。もっぱら反省しっぱなしですけれど。
菜の花には美しい日本語の響きのこのような歌もありますね。
 ♪菜の花畑に入り日うすれ、見渡す山の端かすみふかし♪


2月28日
東京に雨混じりの雪が降り、凍えそうな冷たさでした。
2月も今日で終わり。
明日はいよいよ弥生三月の始まりです。
三月とは言ってもお彼岸の頃までは、まだまだ寒いのですが、三月と聞くだけで
何だか気分が春めいてきます。

この時期になると毎年、一枚の貼り絵を飾ります。
可愛らしい着物姿の少女が女雛を嬉しそうに持っている春色の貼り絵です。
これは随分前に95才という長寿を全うして亡くなった私の大叔母が、
亡くなる数年前に製作して送ってくれたもの。
80才過ぎて貼り絵に挑戦した大叔母はたちまち腕をあげて、季節の花や行事を
題材にした美しい作品を送ってくれました。
貼り絵を掛けかえる度に亡くなって久しい大叔母の笑顔を思い出し、
「お世話になりました。ありがとう。」とつぶやいています。

亡くなってからも季節毎に心に残る贈り物を残してくれた大叔母の、
何ごとにも一生懸命に取組んだ人生への姿勢が「諦めてはいけないよ」と
私を支えてくれています。
さて、私は誰かにそんな生きる姿勢を示せたかしら? と考えると皆無です。
人の一生はその人の生き方ひとつ。
そう思うと明治生まれの女性の芯の強さにただただ頭が下がる思いです。
昭和生まれの私も、だてに歳をとってはいけないと思うこの頃です。
近くのマンサク公園で、黄色いマンサクの花が咲いています。
地味な花の形ですが、ちょっと立ち止まって見てあげて下さいね。


2月21日

 長病の母に摘みけり蕗のとう  青柳照葉

 
2月も中旬になり、日足が長くなってきたなと感じています。
「ほうらね。春の香りの蕗のとうが顔を出しているでしょう。」
上に掲げた俳句の作者はきっと長患いのお母さんに、そんなことを言いながら
ほろ苦い蕗のとうを摘んで、目と舌で春が来ている事を感じてもらいたいと
励ましているのかもしれませんね。
短い言葉の中に作者の温かい心が現れているようで、私の好きな俳句です。

春は寒さに縮こまった体をシャキッとさせるために苦味のある野菜が多いとか。
本当の路地物ではなくて、最近は山菜なども栽培されている物が多いそうです。
それでもほんの少し苦味があるおかずが食卓に乗ると、もうすぐ本格的な春が
やってくるなと嬉しくなってきます。
子供の頃にはどうしてこんな苦い物を食べるのだろうと不思議だった蕗のとう。
それが年と共に、「美味しい」と感じだして、今では大好き。
人の嗜好って不思議ですね。
何ごとも先入観でこうと決めつけてはいけないのだなと思います。

ますます混迷する政局、そしてワークシェアリングという言葉の響きにつられて
何だかとても良いことみたいに聞こえるけれど、現場の社員さん達は低賃金を
余儀無くされている由。
貧しい人々がより貧しくなっていくのがワークシェアリングなんて変じゃないかしら?
ワークシェアリングという言葉がいいみたいという先入観があるとしたら、
もう一度、本当に多くの人々が助け合えるワークシェアリングとは何かを、
企業側の責任逃れになっていないかなどいろいろと考えて見るべきでは、、、。
なんて思ったりしています。
苦さもほろ苦いから味わい深いので、苦いだけだったら辛いでしょう。


2月14日
 季節は一進一退をくり返しながら、少しずつ春へと近づいています。
今日は国分寺遺跡の近くの道端で、オオイヌノフグリの青い花がぽつぽつと
咲いているのを見つけました。
小さな花々が「ほうら、もう春ですよ」って呼んでいるみたい。
嬉しくなってしばし眺めてきました。

季節は春に向かっていますが、ここのところ、私は銀行の振込みに行く度に
自分が人生の晩年にさしかかっているのだと嫌が上にも思い知らされています。
「もしもし、オレオレ詐欺にひっかかっていませんか?」と
ご親切にも警察官の方が必ず声をかけてくるのです。
どんなキャッシュコーナーにも警察官が常駐しているようで、この経費たるや
膨大なものと推察していたのですが、どうやら警察官さん達も振込みに来る人達の
年齢を推察しているようで、この人は騙されていないかな?と思われる人を見ては
声かけをしている様子。
それがどうやら70代位を目安にしているみたいなのです。

今日もご親切な警察官さんに声をかけられました
う〜ん、私まだそんな年ではないのにと内心は不満ながらも
そこは老年のゆとりを見せて?
「大丈夫です」とにっこりと微笑んで会釈。
警察官の方が騙されたらお気の毒と心配して下さるのは有り難いのですが、
帰宅をすると鏡を覗く毎日。
やはり不景気病で老けたかな?

ところで、あんなに連日に渡って報道されていた派遣切りで住まいを失った方々は
その後どうなったのでしょうか。
報道は一過性ではなくて、良い方向に解決されるまでは続けてほしなと思います。
誰の身の上にも暖かい春の風が吹いてほしいですもの。

2月7日
 立春と聞くと暖かい響きがありますが、北風が冷たい毎日です。
でもね、国分寺街道の府中よりの「こぶし並木」の冬芽はほんの少し
ふくらんできましたよ。
我が家の鉢植えのクロッカスも濃い緑色の芽がツンツンと出てきました。
なんだかとっても嬉しくて、ついでに「景気もよくなって!!」と祈りたい気持ち。

さて国分寺街道と東八道路の交叉する場所に正學寺というお寺があります。
お寺といっても外観は普通のビルみたいなので、見過ごしてしまいそうですが。
そこに立て看板がありまして格言や名言が書かれています。
時々変わるので、今日はどんなことが書いてあるのかな?と楽しみ。
今週は「人の欠点がよく見えること自体が自分の欠点である」。
う〜んなるほどね。確かに、イライラしている時や物事がうまく行かない時は
どうしても他人のせいにしがちですもの。

昔、少なくても私の子どもの頃のお寺は地域の社会教育の場になっていたお寺が
いくつかありました。
住職さんや奥さんが夏休みには子供達の勉強をみたり、除夜の鐘をつかせてくれて
煩悩のお話などを聞かせてくれたり。
そのようなお寺のお世話になって育った私は昨今の葬祭専門のお寺が多くなった事が
寂しい気がするのです。
宗教や宗派の違いはあっても、宗教団体が地域に役立つ事って、
人の心にとても大切だと思うのです。
そんな意味でこの栄町の正學寺の看板、ちょっと立ち止まって見て下さいね。
なるほど、そうよね、と反省させられます。
そして元気ももらえます。


1月25日
 昨日の寒さとはうって変わって今日は暖か。
沈丁花のつぼみが少しずつほころんでいます。
風に乗ってただよう香りが待ちどおしいこの頃です。

さて、多くの人々が待ち遠しかったであろうオバマ大統領の就任式の模様が
連日メデイアに流れています。
厳寒の中でオバマ大統領の登場を待ち続けるその人数に驚き、涙を流して歓迎する
人々の顔が写しだされる度に、黒人の方々が差別に耐えて生きて来た歴史を
嫌が上にも世界中に伝えているかのように受けました。
就任演説はこれはアメリカ合衆国の開国以来の「叙事詩」ではないかとも
感じて聞きました。(正確には字幕を読んでいました。)

世界的な金融危機、その発端ともなったアメリカ合衆国の未来をずっしりと
両肩にのせて、今後の手腕をアメリカ国民ならずとも期待したいところでしょう。
それにしても思います。
どうしてこうも堂々と演説が上手いのでしょう。
原稿を棒読みする日本の首相とは比較にならない。
勿論、すべてオバマ氏が作成したわけではないでしょう。
シンクタンクの優秀なスタッフが共に考えたのかもしれませんが、
官僚が作成したことが、すぐに解ってしまう日本の首相演説とは段違いと
感じた人は多かったと思うのです。

日本では小学校の頃から「目立たないことを良し」とする風潮が、依然として幅を
きかせています。
自己表現や自分の言葉で発表する事が、好意的にとられない教育の差ではないかと
思うのです。他人の目、世間の目そういう目ばかりを気にする国民性から脱却しないと
世界では通用しないなと改めて感じた次第です。

夜風に乗って花の香りが漂う日を待ちましょうね。


1月17日
 
東京地方は晴天ですが、北風が冷たくて洗濯物を干す手もかじかんで
きます。
神経痛などの持病をお持ちの方は辛い季節ですね。
でもね、1月15日の読売新聞の多摩版には可憐な「スノードロップ」の花が
昭和記念公園で咲いていると掲載されていました。
殺人事件などの殺伐とした記事が多い中で、ほっとするでしょう。
白い花を小首を傾けた姿で、けなげに咲いている写真を見たら、朝から
気分は上々の気持ちになりました。
腰痛がひどくて、よいしょ、よいしょとかけ声かけないと動けないのですが・・・。
「スノードロップ」という命名も良いけれど、私は和名の「待雪草」の方が
響きが美しく感じられていいな。

ロシア童話の「森は生きている」には継母に雪の降り積もる真冬に「待雪草」を
摘んでくるようにと言われる女の子のお話しがあります。
凍える雪の中をさまよう女の子に神様はなんと「待雪草」の花を咲かせてくれるのです。
この神様、どんな宗教の神様?
ヨーロッパでは純潔の象徴とされて、カトリックの教会では聖燭節に祭壇に
飾るのだそうです。
でも私はきっと優しい心の「自然の神様」だと思いましょう。
「生きて行くことは辛いことがいっぱいあるけれど、そう捨てたものではないよ」
そんなことを教えてくれる神様だと。
花言葉は「希望」ですものね。

1月10日
 東京地方は晴天続きの暖かい日が続いていましたが、やはり冬。
9日は冷たい雨が降り、足元から冷え込んできました。

それでも、去年植えた水仙の球根はもう白く香しい花を咲かせ始め、
「さあー今年も頑張ろうね」と私を励ましてくれているようです。
花は見る時のその人の心模様ひとつで、悲しさを増したり、また励ましを与えて
くれると思うのです。

私が好きな白い「日本水仙」がひときわ際立って効果をあげている小説があります。
樋口一葉の「たけくらべ」。
そう5,000円札に描かれたと言えば若い方にもおわかりでしょう。
主人公の美登里さんが生活のために売られて行くシーン。
そこに彼女を慕う青年に何らかのメッセージを託して、垣根にそっと挿したのが
白い水仙の花。

暮らしのために娘が売られていく悲しい明治という時代、
そこに凛とした姿で咲く水仙の花が、彼女のこれからの厳しい人生と
そこに立ち向かわねばならない決意を表しているかのようで、忘れられないシーンです。

今、多くの人々が生活への不安を抱き暮らしています。
勿論、私だって、正直言って、あと数カ月先どうなるかわからない業種に属して
不安でいっぱいの毎日です。
だからこそ、水仙の花に目をかけて、自らを鼓舞していろいろな元気が出る格言を
心の中で唱えています。
まず今日は「叩けば扉は開かれる」という中学時代の恩師の言葉を唱えましょう。
元気が出る格言がほしい方はご一報を!
なんたって、苦労人ですもの、任せて下さいな。


1月5日
東京地方のお正月は青空が広がる好天気でした。
皆様のお正月はいかがでしたでしょうか?
昨年からの不況は相変わらずで、テレビに映し出される日比谷公会堂の
テント村に集まる住まいと職を失った人々の群れに、明日は我が身と思った人は
決して私一人ではないと思います。

首を切る会社もあれば、ボランティアで炊き出しをして、政府に何とかせよと
他人のために行動する人もいる。
まさに人間の多面性をテレビ画面は映し出していました。
こんな時にまっ先に自分は忙しくても配下の者を現場に走らせ、陣頭指揮を
取るのが行政を担う人の役目と思うのですが、、、。

「2009年も厳しい年です。」なんてわざわざ総理の年頭挨拶で言わなくても
誰でもわかっていること。
「だからこうします」って言ってほしいのにね。

今年の暮らしが少しでも上向きになって、人々の心に明るいきざしがでることを
心から願っております。
NHKの連続ドラマの「直江兼続」さんはそんなヒントを与えてくれるでしょうか?
子役のきりっとした逞しさに、そんな未来を期待したのですが。



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1998.3.25 公開


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