◎風の便り花便り

12月24日
 ひゅっひゅっと 星の流れる 冬木かな  石井みや

冬の夜空はしんしんと冷え込んだ冷気に包まれて、漆黒の空に星がまたたいていたものです。
昨今の東京の夜空は街灯や電飾に明るく照らされて、星を見上げることもあまりなくなりました。
けれどクリスマスの晩などに、ふと見上げた夜空にわずかな光ながらも、瞬いている星を
見つけると、お願いごとをしてみようかな?と星に不思議な力を感じる事があります。
地上は有史以来、悲しい事や悲惨な事や理不尽なことがまかりとおっているけれど、
きっと良い事もあるはずだから、、、。
「精一杯に生きているまともな人達が幸せになれますように」と。
拉致被害者の横田めぐみさんのご両親の姿がテレビに映し出されるたびに、胸を打たれます。
「めぐみ」と言う愛情いっぱいの名前をつけたわが子の生存すら定かではない。
この苦境に厳然と立ち向かうご両親。
この夜空のどこかに生きていてほしいとみんなが願っていることでしょう。

今年は普通に暮らしている人々がどんなに立派な心構えで、
真摯に生きているかを教えられた年のような気がします。
中越地震の被災者の方々も台風の被害にあわれた方々も、わけも無く殺害された遺族の方々も、
どなたも毅然と目の前の苦しみに立ち向かっていらっしゃいました。
そのような方々の映像を見ると、百の立派な説教よりも心に響いてきます。

一年間、このHPをご覧下さったみなさまに心よりお礼を申し上げます。
またつたない文章をお読み下さり、感想を寄せて下さったみなさま、
ありがとうございました。
小さな会社の小さなHPですが、製作を手伝ってくれている青年はいつも言います。
「継続は力なり」と。
来年もみなさまに少しでも安心と信頼を、
そして、ちょっぴりでも楽しさをお届けできるようにしたいと思います。
どうぞ良いお年をお迎え下さいますように。


12月17日
十二月も後半になり通常ならば木枯らしが吹き、マフラーを巻いて外出するはずなのですが、
今冬はなんて暖かいのでしょう。
府中や国分寺の農家の庭先には、柿の実が枝先に残っている傍で、
菜の花が満開に咲いているという、何とも珍しい光景が見えます。
さて、年末になると「流行語大賞」が発表されます。
受賞した「チョー気持ちいい」も、ギター侍の「残念!」も良いけれど
私は中越地震の被災者の方達が取材陣のマイクを向けられた時の言葉が一番印象に残ります。
家を失い、田畑も流された絶望の淵にいるご高齢の方達が、
「命があっただけでも有り難い」とか
「皆様の暖かいお世話に感謝しています。」と答える健気な言葉が胸につまりました。
人は追い込まれた時にその人の本性が出ると言われます。
この地方の方達は豪雪遅滞の長く寒い冬に耐えて先祖伝来の土地を守り、
辛抱強く生きてこられたのでしょう。
文句や愚痴を言う前に、まずは感謝の言葉を口にする。村びとの誰もが。
偉いな、とても真似のできる生き方では無いと、心底、感動しました。
この方々に感謝状を差し上げたいほど。
クリスマスのイルミネーションが美しい夜の街にはあまり星は見えませんが、
今年は夜空の星に願いをかけたい。
「豪雪地帯の雪よ、どうか今年は少なめにね。」と。


12月3日

 柊の葉の間より花こぼれ    高浜虚子

暖冬のきざしのような暖かい小春日和の日が続いている東京地方。
それでも木々や花々は遅ればせながらも冬支度を始めてきました。
桜の葉はほぼ落ちて、さざんかはやさしい色合いで今が盛りと咲いています。
木々や花々は何も言わないけれど、今年は特に「辛い事があっても頑張ろうね。」と
ささやいてくれているみたいに感じます。
年の瀬になったとは言え、自然災害があまりにも多かったので、クリスマスやお歳暮といった年中行事に
積極的に準備する気持ちにはあまりなれないのです。
それでも街はクリスマスの飾り一色。
駅前広場やビルは夜になると電色に彩られて思わず立ち止まって見入ってしまいます。
テレビはそんな華やかな東京の街の映像のニュースの後に、中越地震の被災地の冬支度の映像が流れています。
何だかとても言うに言えない違和感を覚えて、ぬくぬくと暖かい部屋でテレビなどを見ていていいのだろかと、
ついつい居心地の悪さを感じてしまいます。
そんな折り、所用があって新宿に行ってきました。
新宿の街は相変わらず調和の無い乱雑な色と人の波。
そんな色の氾濫の新宿ですが西口広場にまわったら、緑色の上着を着た大勢の人達が募金を募っています。
良く見たら中越地震被災者への募金活動をしている人達。
歩いている人達はどんな行動をとるのだろうと見ていると、かなり素っ気無く通り過ぎて行きます。
立ち止まって募金をして行く人はどちらかというと、服装も見た目もかなり地味な暮らし向きと思える中高年の人が
多いのに気づきました。
自分の暮しが厳しいから、厳しい立場の人の気持ちがわかるのでしょうか、、、。
それとも、街頭募金を装おう詐欺を警戒してしまい街頭で寄付をするのはためらってしまうのでしょうか。

柊の花は地味な小さな花です。昼間は気がつかない程に。
けれど夜になるとその真っ白な小さい花から素晴らしい芳香が漂い、ひとときの安らぎを与えてくれます。


11月12日
東京は遅まきながら木々が紅葉を始め、ケヤキやユリの木の葉がはらはらと風に揺れて散っていますが、
例年に比べると、どことなく紅葉が冴えない色合い。
今年の厳しかった天候の変化を表しているようです。
今年も残すところ1ケ月半。今年の過ぎ去った思い出をたどるにはあまりにも過酷な状況に置かれている人々が多くて、
とても回顧などする気持ちにはなれない心境になります。
テレビに映し出される被災地の方々の避難所の生活は広い体育館や公民館に、まさに雑魚寝の状態。
プライバシーの無い、人の目やカメラにさらされる日々は、台風や地震の恐怖に等しいくらいの辛さだとお察しします。
せめて家族の間に「つい立て」でも立ててあげたらと思ってしまうのです。
日本人は昔から庶民の生活は狭い住居が多く、いわゆる長家住まいの人達は
「聞こえていても聞かなかったそぶり」「見えていても見なかったそぶり」とお互いに配慮して暮らしていたとか。
長家の仕切りは薄い板。当然に隣の様子は手に取るようにわかるけれど、
それでも板が一枚あればそこは他者と自己の境界。
また広い家屋敷の上層階級の人達も広い部屋につい立てをたてて自己のプライバシーの線引きをしていたとか。
緊急の避難場所も時間と共に生活の場所になっていけば、ストレスも溜まるでしょう。
「つい立て」という日本の文化の良さをこういう時にこそ、取り入れたらと思うのですが、、、。


10月24日
台風や地震の被害が相次いでおこり、不穏な自然環境にびくびくしてしまいます。
そんな日々に近くの小学校から運動会の練習の音楽が軽快に流れてきます。
うん? この曲 どこかで聴いた事があると、しばらくじっと耳を傾けていましたら
曲のテンポが違うけれど間違いなくあの曲

 ♪ 君の行く道は はてしなく遠い
   だのに なぜ歯を食いしばり
   そんなに してまで 君は行くのか♪
            「若者たち」より

多分、今から約40年ほど前でしょうか、「若者たち」というこの曲がはやったのは。
まだまだ当時の日本の社会は貧しさが残っていて、この歌が主題歌の映画は
そんな貧しい環境の中で精一杯に生きる若者たちを描いて好評をはくし、人から人へと歌い広まりました。
♪ 君の行く道は とこの歌を口ずさんで、「負けるものか」とどれだけ多くの若者達が
励まされたことか。私も今でもふっと口ずさんでいる時があります。
その時はスローテンポ。
今、流れているのは行進曲風の軽やかさ。
それでも曲の良さは懐かしい思い出と共に心に響いてきます。
練習している小学生達は、この歌詞を習ったのかしら?
まだなら知ってほしいな、歌ってほしいな。
人生と言う道はいつも平穏とは限らない。過酷な時がくるかもしれない。
けれどこの歌はこう続きます。
 ♪ 君の行く道は 希望へと続く ♪

朝夕の冷え込みに街路樹のケヤキが少し黄色くなり、小菊が咲き始めました。

10月17日
やっと晴天になった秋空に柿の実が色ずき、東八道路のユリの樹は、
微風にもかさこそと葉を落とし始めました。
「秋だよ! ほら秋だよ。」と木々や風がささやいているような、嬉しい響き。
先週、宅建協会主催の「宅建経営塾」と言う5日間ワンクールの研修に参加してきました。
不動産業はとかく世間ではあまり評判の良く無い業種の筆頭にあげられているようですが、
そんなイメージを払拭する素晴らしい研修会でした。
ですから是非、皆様にお披露目したいのです。
もう一度、初めから不動産業の事を勉強しようという主旨で、契約や重説の書き方から、
物件の査定や情報社会への取組みなど、みっちりと講師の先生方の熱弁があり、
また受講生がただ聞くだけではなくて、実際に契約書を作成してみたりと、参加型の講習会。
興味深かったのは受講生は大体が40才から60代後半ぐらいの方達なのに、
講師の先生方は30代くらいの「今が元気真っ盛り」といった感じの
若い弁護士や不動産鑑定士の方から、何でも聞いてと言った感じの頼もしいベテランの方までさまざま。
わずかな休憩時間には講師の先生をぐるっと囲んで、質問攻め。
とにかく皆さん、とても真剣なのです。
ここのところ、賃貸住宅の原状回復問題など、新聞やテレビでも不動産業会の話題が
取り上げられていますが、とかく業者が悪者に見られがち。
でも現実には私達は日々、消費者との間に挟まれて真面目に取組めば取組む程に、
悩みはつきないのです。
そんな日頃の私の悩みは参加したみんなも同じように抱えていたのだとほっとしました。
「仲間がいた。」この収穫は大きかった。
一度、植え付けられた世間のイメージを払拭するのは並み大抵ではないのが世の常。
でもこんなに大勢の人達が真剣に業務に励んでいれば、
いつかきっと不動産業と言う言葉から悪いイメージは消える時がくるかもしれない。
ささやかな光りを感じた嬉しい機会でした。
ピラカンサスの黄色や赤い実を小鳥が食べにくる10月です。


10月3日
ここ数日気温がやや下がり、朝方は冷え込んで夜具を一枚追加したくなる程。
長かった猛暑がやっと去って、疲れた体がほっと一息ついています。
連日、イチローの安打記録更新が報道されて、海外と日本のメディアがぐっと近づいた
のを感じていますが、記録が更新された日に、テレビに映し出された球場の客席に70〜80才位と
お見受けする、スーツを上品に着こなした女性がいらっしゃいました。
達成の瞬間に拍手をし続けるその美しいご婦人の笑顔が、なんともやさしくエレガント。
放映を見ていた人の中には、心を動かされた方もいらしたのでは、、、。
その女性が、記録を塗り替えられたシスラーの娘さんだった事を後程、新聞で知りました。
シスラーのご家族の方にとっては複雑な心境だったのかもしれないのに、
おしみない拍手をおくるご婦人の美しい姿に、アメリカ人の持つ懐の深さを垣間見た気がしました。
年齢を重ねることがこのような気品を増すのであれば、老いて行く事がちっとも恐く無いとさえ思い、
心の持ち用を教えられた気持ちになりました。
ただ若いだけでチヤホヤする昨今の日本人やメディアに、
一石を投じたようなこの映像の瞬間を見る事が出来ただけでも、テレビの効用があったと思いました。
萩の小さな花が揺れる頃になりました。


9月26日
お彼岸を過ぎてもまだ暑い日が続いています。
浜名湖の花博に涼しくなったら行こうと楽しみにしていたのですが、一向に涼しくならない。
このままだと終了してしまうので、意を決して行って来ました。
やはり暑かった。
「日傘の事故が多発していますから、お気を付け下さい。」と場内アナウンスが連呼しているし、
かき氷やアイスクリーム等の売店は長蛇の列。
私は想像していました。広い園内には洋の東西から集められた美しい花や木々が咲き、
モネの池や家を再現した庭はさぞやロマンチックなのだろうと、、、。
そして花や木にはそれが何科の何と言う名のものか、原産地はどこか等が書かれた札がそれぞれに付いていて、
自分の知らなかった物に出会える感動があるのだと。
確かに夏と秋のはざまの季節、今年の猛暑、管理する方々はさぞかし難儀なさったことと思います。
それを考慮すればコスモスやりんどうの花達はよくぞ咲いていると、褒めてあげたい。
けれど私が望んだ感動は無かった。
立て札があまりにも少ない。この花の名前は何だろうと探しても見つからない。
私の好きな神代植物園やフローラ、アンジエ、など植物園には随所に説明の札があり、
好奇心を満たしてくれるのに、、、。
唯一の収穫は40年来、見たかった「イランイラン」の木の花が見れたこと。
帰宅してそもそも博覧会って何だろうと広辞苑を調べたら
「種々の産物を蒐集して公衆の観覧及び購買に供し、産業、文化の振興を期するために
 開催される会。」とありました。
そうなんだ、産業の振興ね。それならあの程度でも仕方ないのね。
と思いつつも、文化の振興も目的のひとつなら、もう少し配慮がほしいな。
デジカメで映した花々が何と言う名前なのか全く解らなくて、手持ちの植物の本のページをめくる日々。
帰宅する人達の手にもお土産の鉢などはあまり無いみたい。
産業の振興にはなったのかな?

9月19日
ふと香るキンモクセイの香りに思わず自転車を停めて「あー秋!」と感じる頃。
日中の暑さはまだまだ続いていますが、朝晩に窓辺から吹き込む風はひんやりとして、
本を読むには最適の季節になりました。
活字離れが言われる昨今ですが、駅前の大型書店はいつも大勢の人達で混みあっています。
新聞の書評欄を見ると、読みたいなと衝動にかられる書名がたくさん掲載されています。
この書評欄を読むのが新聞を読む楽しみのひとつなのですが、先日、面白い本を見つけました。
岩波新書の「判断力」 奥村 宏著です。
このなかに、最近の書評はほとんど本の宣伝だとあります。
「批評」ではなく「宣伝」ではその本や著者の迎合となり、出版文化は進歩しないと、、。
確かに批評することは時に敵を作る事になり、書評する人には不利になる可能性があります。
適当な賛辞を書けば喜ばれ、丸く収まることが多いでしょう。
けれどそれでは本当の判断力はつかないと言うのが著者のご意見。
ごもっともだと同感しました。
日本人は議論することが苦手、いや学者でさえ、論争することは人にたてつくことだと捉えられがちだとよく言われます。
そう思って、書評欄を読んでいくと確かに批評らしき批評はほとんど見当たりません。
なるほどね、本当の書評を書いている書評家を探すのもまた楽しみのひとつになりそう。


9月12日
散歩道としてよく歩く国分寺遺跡周辺には、その季節になるとおおよそ毎年決まった時期に、
決まった花が咲き、実が実ります。
秋のお彼岸の頃には、まるで申し合わせたように赤い彼岸花が咲き、栗の実がはじけています。
普通、お彼岸の頃に咲くから彼岸花と言うのでしょうが、
ここ数年は自然界にはこの「普通」という概念がややずれて早く来るようになりました。
そして自然界のみならず、人間の世界でも従来なら「普通」ならこうするという当たり前のような事柄が
かなり「普通」では無くなりつつあるような気がするのです。
今、不動産業界ではこの「普通」で四苦八苦しています。
例えば、「普通」なら家賃を払っているとはいえ賃貸住宅を借りていれば、人様の家なのですから、
掃除をしてこぎれいに暮らすのが「普通」だと思うのです。
風呂場にカビが発生したり、換気扇がべたついて動かなくなるまで放おっておくことは、
みっともなくて、恥ずかしいことと思うのが「普通」だと思うのです。
けれど昨今は、うら若き女性の部屋が解約退出時に立会うと、カビと埃が固まって無惨な
状況だったり、クロスやガラス窓にシールをべたべた張り付けたりと、とても「普通」とは思えない事が多々起きています。
普通、家賃は毎月払うもの。ところが滞納などは当たり前。
督促しても知らんぷりはもう毎回。
一方では消費者保護の下に、解約時には賃借り人に原状復帰の費用をどこまで負担させるかが大きな問題になり、
極力、負担させない方式へと変わりつつあります。
いわゆる「東京ルール」の実施が間近になってきました。
このような法律には「通常」という言葉が頻繁に使われています。
通常ならこうであろうという予想をたてて法律は作られるのでしょうが、
この「通常」「普通」の受け止め方の個人差が極端なのでしょうか?
とても現実は「通常」では済まされないことが続出なのです。
いっそ、法律を改正する時には、この場合の「通常とは」と「通常」の詳細なる範囲を規定して頂きたいと思うほど。
多分、多くの良心的な不動産業に従事する方達は「東京ルール」に泣かされるでしょう。
もっとも「普通」の人は不動産業者に良心的な人っているの?と思うのかな?


9月2日
 ささやかな地異は そのかたみに
 灰を降らした この村に ひとしきり
 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった
      立原道造 「萱草に寄す」より

ずっと昔、確か1954年頃だったでしょうか?
浅間山が噴火して、ここ府中市にも灰が降り続けた事がありました。
空は薄暗くなり、校庭や民家の屋根に火山灰がさらさらと降り積もる。
イタリアのボンベイみたいに東京も埋まってしまうのだろうかと、
子供心にも不安な気持ちで見続けていた記憶があります。
やがて中学生になり、立原道造の上記の詩を読んだ時に、
火山灰が降るという現象を詩人はこのような繊細で優美な言葉で表現できるのかと感激して、
以来、立原道造のとりこになっています。
それから50年近い時を経て、浅間山はまた活動を開始しはじめたようです。
時代は進化して、山の頂上付近からの空撮の実況中継がテレビで伝えられ、
それはまるでスポーツの実況中継のような感じを受けています。
クエートの戦争以来、テレビは現実の恐ろしさをゲームでも見るかのような錯角を
視聴者に与えているのではと思う時があります。
科学の進歩に人間の想像力や判断力が追い付いていけなくなると、
危険かもしれない。そんな気持ちになった昨晩のニュースでした。
深夜まで鳴いていた蝉の声がどこかに消えて、虫の音がひときわ高く聞こえる夜になりました。


8月22日
夕暮れの時間が幾分か早まって、木々の梢をゆらす風も少しは涼しげ。
満開に咲いていたひまわりやおしろい花も花数が減り、
夏の終わりが近ずいているのを教えてくれる時期になりました。
夏休みも後10日足らず。子供達は宿題を大あわてで済ませないとね。
宿題は期限があるからあわててでも済ますけれど、期限がないとついついと後回しになりがちなのが普通の人の常。
普通ではない努力をしてオリンピックに出場している選手の方々をテレビ画面を通して見ていると、
あの場所にいられるだけで偉いと尊敬してしまう。
そして夏の恒例の24時間テレビで紹介されるハンデイと闘っている子供達の姿、
毎年ながら「君たち、偉いよ すごいよ。」と褒めてあげたくなります。
また、この頃はこういう従来なら福祉や教育の現場は女性の仕事と思われていた職場に、
多くの男性の若者が、いきいきと働いている姿が多いのが嬉しくなります。
「老人のおむつ交換や入浴介助をしています。」とにこやかに話す若者の姿を見ていると
彼等の職場が一生働いていけるだけの給与体系にしていくのが、
高齢化社会へ向けての日本の「宿題」だと思ったりするのです。
女性の多い職場=低賃金といった従来の構図ではとても優れた人材は集まらないと思うから。
あぶらぜみの激しい鳴き声に混じって、ひぐらしの涼しげな声が聞こえてきます。
晩夏から初秋へと自然は少しずつ移り始めているようです。


8月15日
敗戦記念日の今日、東京地方は珍しく涼しい一日となりました。
白いサルスベリの花が曇り空にぼんやりと咲いて、亡くなられた多くの方達の悲しみを
背負っているように見えます。
毎年、この日になると私は思うのです。
終戦と言わず、きっぱりと敗戦記念日と言った方が良いと。
時に言葉は事実をあいまいに片付けてしまうことがあります。
8月15日以後に亡くなられた多くの兵士や沖縄、中国などの戦地に残された民間人の方達は、
もし軍の上層部が敗戦をそして連合軍と日本軍の力の差を認識していれば、
生きる事ができたかもしれないのにと気の毒でならないから。

あれから59年が過ぎ、今年の夏はアテネのオリンピックが開かれています。
戦争で命を落としたのと同じ位の年齢の青年達が青空の下で、力いっぱい闘っています。
実況中継するアナウンサーの言葉にいつもひっかかるものがあります。
金メダルを期待していた選手が2位とか3位の時に「2位に終わりました」とか
「3位に終わりました」というあの「終わりました」と言う言葉は使ってほしく無い。
期待はわかるけれど「2位でした!」とどうして喜んであげられないのかしら。
オリンピックに出場できることはすごいことなのだから。
いろいろな競技に挑戦している多くの人達の中から選ばれた、ほんの数人の優れた人が、
世界中から選りすぐられた人達と競い合うのです。たとえ最後だって「よく頑張りましたね」と褒めてあげたいのに。
言葉は時に人を奈落の底に陥れる事もあれば、「よし!今度こそ」と勇気を与えることも
できる魔法の武器。
田中英光さんの「オリンポスの果実」という短編にはオリンピックに出場し、
敗退したボート部の青年達の苦悩が手にとるようにえがかれています。
敗退して帰ってくる選手達にも「お疲れさま」と暖かい言葉で放送してほしいと願っています。
夕空にトンボが飛び交う頃になりました。


8月7日
今年も真夏の強烈な日射しを受けて、夾竹桃の花がたくましく咲いています。
59年前の広島の夏にも夾竹桃の花が元気に咲いていたと聞きました。
一瞬のうちに焦土と化すまでは、、、。
戦争の悲惨さはそれからも世界中のどこかで続いています。

今、中国で行われているサッカーの試合会場では、日本チームに対してブーイングの嵐が吹いている
と言うニュースを悲しい気持ちで見ました。
世界史を学んでいると歴史が記録されてから戦争の無い時代はなかったと、思い知らされます。
学ぶと言う事は年号を暗記することでは無く、事実関係を正確に知り、
伝えると共に再度の過ちをおかさない事だと思うのですが、人間とはなんとも愚かな動物で
いくら同じことを繰り返してもわからない生き物であるようです。
けれど思うのです。
イラク戦争もイスラエルとパレスチナの問題も憎しみの連鎖は憎しみを増すばかりだと。
犠牲者の悲しみや憤りは押えきれるものではないけれど、侵略は決して許される事ではないけれど、
スポーツをしている若者に直接の責任のない今回のサッカー試合に
「ごう慢な日本人の鼻を折ってやる」と厳戒体勢をとるほどの行動は、
スポーツの本来の姿からは逸脱しているのではと。

ヨーロッパではナチスにより侵略を受けた国々の人々が
「許そう、けれど決して忘れない」をスローガンにしているそうです。
次の世界を担う若者達が双方の歴史を認識した上で、平和な社会をつくるために手を差しのベあう
そんな出合いをしてほしいのですが。
 映画「さとうきび畑」を見て、いつも泣くのは普通の人々と胸がつまります。


8月1日
やっと八月になりました。やっと。
今年はあまりにも暑い日が続いているので、七月がとても長く感じられました。
暑さに弱い私は、一体いつになったら涼しくなるのだろうとため息まじりの日々。
深夜から早朝にかけて車の騒音と蝉の鳴き声が一段と増して、
不眠症が更にひどくなりほとんど眠る事なく朝をむかえてしまう日もしばしば。
どんな病気も辛いけれど、不眠症も辛い。電車の座席で隣の人の肩にもたれて眠りこけている人を見ると、
一度でいいからあのくらい熟睡したいと羨ましくなる。
頭がスッキリするだろうなあーと。
眠れない重い頭を抱えていてもしょうがないので、今年の夏はいつもより早く朝の散歩に出ることにして、
国分寺遺跡から万葉植物園、お鷹の道へと歩いている。
そこで思わぬ発見をしました。
午前6時半頃、遺跡の広場ではすでに10人前後の人達が太極拳をしているんです。
尺八を吹いているご高齢の人もいます。
車座になってシナリオの素読をしている数人の劇団(?)の人達の姿も。
画架を立てて絵筆を動かしている青年もいます。
かと思うと、まだ朝露がきらめく芝生では犬の調教をしている人も。
猛暑とはいえ微風が吹けば早朝はまだ幾分かは涼しく、
思い思いに自分の世界を楽しんでいる人達がいることを知りました。
早朝のお墓参りを済ませた人が立ち去ると、カラスがお供物をめがけて飛んで来た。
きっとカラスの朝の日課なのだろうと思うと、「君の縄張り?」と聞いてみたくなる。
木陰のひんやりとした万葉植物園では、もう黄色いおみなえしの花が咲き出しています。
夏の次には秋が来るのよね。
待たなくちゃね、みんな工夫して生きているのだから。


7月25日
夏の花の松葉ボタンや真っ赤なサルビアの花が満開に咲いて、今年の東京の夏はものすごく暑い。
ものすごく暑いとはどの位かと言うと、砂漠の国のリビアから来日した外交官が「砂漠より暑い」
と驚いたと言う位暑いのです。
深夜まで街路樹からはセミの鳴き声が響き渡ってくる。
まさに西洋人が「日本には鳴く木がある!」と驚いたと言う話が本当だと実感する。
昼間の外を歩けば、熱風が襲ってくるような暑さ。
東八道路に直接に面している当社は、窓を開ければ渋滞する車の排気ガスが家の中に
入ってくるので閉めているが、冷房を切ると室温は40度を超える時がある。
とても打ち水や風鈴ではしのげなくて終日、エアコンはかけっぱなし。
電気代だの省エネなどとは言っていられない。熱中症になりそうだから。
それなのに、あーそれなのに、訪れる各社の営業マンは背広を着ている。
いくらスーツが礼儀にかなった服装の常識とは言っても、この営業の常識はとても理解しがたい。
顔を赤らめ、毛穴から汗を吹き出してまでスーツを着ているのが、礼儀正しい営業マンとは思えないのだが。
気の毒でとても見るに耐え難いのに。
今の東京はまさに熱帯地方だ!多分。
熱帯地方でスーツは辛い。
あーそれなのに、日本社会の常識をみんなが守って汗だくでスーツ着用。
洋服文化が日本に浸透して約100年。がんじがらめの常識から脱却して、服本来の目的と
時代に合った常識感を見直すには今年の猛暑は最適だと思うのですが、、、。
今夜も熱帯夜らしい。せめて一陣の夜風がほしい。


7月18日
真夏の花の夾竹桃が咲き、真っ白いむくげの花も咲き出した今年の早すぎる夏。
暑い日射しに負けじと毅然として美しく咲くむくげの花が私は好き。
むくげの花は韓国の国花。そして今、世間では韓国ブームとか。
なかでもドラマ「冬のソナタ」の人気は一向に衰えるどころか人気は増すばかり。
深夜放送にも関わらず放映を待ちわびている中高年女性が多いと言う。
何がそんなに中高年女性の心をとらえたのだろうと見てみたら、納得。
これは日本の我がままな、かろうじて良く言えば表現下手な夫に耐えて、
我慢の人生を送った中高年女性にはもうたまらない!
このドラマは満たされなかった女性の人生の縮図を、物の見事に埋めてくれているのだと知りました。
 「ペ・ヨンジュンを追ってみようか七十は誰もとがめぬ楽しい雀」
上記の短歌は7月15日付けのアサヒタウンズに特選で選ばれた西原さんという女性の歌です。
70才の女性がやっと「誰にも咎められない」と言う言葉を使う、
この事が日本の中高年女性の歩んだ人生の足枷を象徴していると思うのです。
ヒロインは美しく建築士として自立している女性。まずこれだけでも中高年女性には羨ましい。
その女性に思いを寄せる二人の男性は穏やかで心優しく、辛抱強く彼女を愛する。
中高年女性の多くは一人の男性にだって辛抱強く愛される事さえ無く、夫から出る言葉は「風呂、飯」と命令調が一般的。
行きつけの飲み屋のママさんには誕生日の花束を届けても、我が女房殿に誕生日があったことさえ忘れた夫に、
半ば諦め、半ば耐えて生きて来た。この人生、いったいどうしてくれると叫びたいところ。中高年女性の大半はね、、、。
自分の人生、何故好きに生きぬ!と若い方々は思うでしょうが、
ほんの30年位前までの日本は今みたいに女性に自由は無かったのですぞ。本当に。
テレビの画面に映る優しく思いやりに満ちた青年に心ときめかし、涙する。
架空の絵空事だってことは百も承知。
男性から見たらオバサンも、夫から見たら単なる空気のような女房も、
純情な乙女心が息づいていることを世の男性は知るべきです。
女性にもてないとお嘆きの男性は、自分の女性感を訂正してみれば。
女性を一人の人間と見て対等に接する男性には、世の女性はほおってはおきません。
かくしてやっとテレビのチャンネル権を手に得たオバサン方は、苦々しく見る夫をよそに今週も土曜日の深夜、
テレビの前に鎮座して失った青春時代に浸るのです。
男性方よ、夢ゆめ「おーい。ビール」などと邪魔をしてはなりませぬ。
おのが老後の始末を期待するならば、、、。


7月11日
暑い! 何と言う暑さでしょう。
初夏のさわやかな風にひたることもなく、猛暑が東京にやって来た!
ひまわりは大輪の花を「ほうらもう咲いたよ、こんなに立派に」と言わんばかりに咲き誇っています。
夏になれば、ひまわりが咲く。
そんな当たり前の事さえも、とても幸せな事だと感謝したくなるこの頃です。
ジャカルタで家族と再開した曽我ひとみさんのニュースを見ていると、
他者に強制された過酷な人生をよく頑張って生きていらしたと思う。
そして自分の人生を自分で選択して生きられる事は、本当はとても幸せな事なのだと改めて認識させられています。
同じくして、やっと中国人の強制連行の裁判所の判決がでました。
長い闘いの末に認められた損害賠償。
自分の意思に反して人生を狂わされた人々が、どんなに長く辛い闘いをしてきたのかと思うと心痛みます。
またこの判決を聞くこともなく亡くなった犠牲者の方々の事を考える時、
戦争はいかに多くの人々を長きに渡って苦しめるのかと思い知らされます。

ここ数日、スーパーの店頭にお盆のお飾りの「おがら」や赤いほおずきが売られています。
曽我さんが滞在しているインドネシアでは毎日、多くの神々にお供物の花が飾られるそうです。
宗教や慣習は別としても万物に対して感謝する心は、大切なのでは、、、。
人間よ、おごるなよ。そんな思いを込めて。
時には夏の一夜を、当たり前の日々を暮らせる幸せをしみじみとかみしめて、意に反した
人生を押し付けられた人々を悼むのも、生きている人間のせめてもの務めではと思ったりしています。


7月4日
真夏日のような強烈な日射しを受けて、濃いピンク色のさるすべりの花が咲き始めました。
「さあー暑い夏が始まるよ! 覚悟してね」と言わんばかりに、
たくさんの蕾みをつけて長い夏の間中咲くぞ!と準備万端の様子。
さるすべりの花は俗称で「くすぐりの木」とか「笑いの木」と呼ばれているとか。
つるつるとすべるような幹を揺さぶると、花が笑っているように見えるんですって。
今度、試してみよう!

数日前に宅建主任者の更新のための研修会に出席しました。
一日中、全く知らない人達が、広い会場で講議を受けるわけです。
たいていの場合、知らない人達でも席が隣とか前後なら、休憩時間には挨拶ぐらいはするし、
景気はどうかとか、とりとめのない世間話をして気分転換をするものです。
少なくても今までは、会場のあちこちでなごやかな雰囲気が漂っていたんです・・・。
昔から女性はきわめて少ないので女性を見かけると、どちらからともなく微笑みをかわしたもの。
十年前に受講した不動産アナリストの講習の時などは3日間も一緒に過ごしたので、
すっかり打ち解けあってお昼も一緒に食事をしたり、その後も何かと仕事の情報交換などもして楽しかった。
それが今回は異様だった。
隣の人も前後の人も誰も挨拶もしない。
休憩時間になると、いっせいに携帯電話を出して話しはじめたり、メールをしている。
周囲の人に目がいかないのだ。
会場に三百人もの人がいるのに、みんな気持ちは携帯電話に集中している。
携帯でのメールをしない私には、その光景が何だかSF映画を見ているようだった。
「微笑み返し」という美しい言葉のある国に生まれたのに、
せっかくの一期一会の出会いなのにと、寂しい気持ちにさせられた。
帰途、スターバックスの椅子に座り、街行く人を見ながらコーヒーを飲んで思った。
5年後の更新の時には世の中の人はどうなっているのだろうかと・・・。


6月27日
強風と大雨の台風が去り、東八道路に植えられた街路樹のユリの木の枝が、
なぎ落とされて無惨に散っている。
ユリの木の成長は早い。
東八道路が一部開通された16年程前に植えられた時は、ひょろひょろの2メートル位のか細い木だった。
それが今では3階建てのビルをはるかに追いこし、太い幹となつた。
けれどこの木は枝が弱いのか、ちょっとした風にも枝先からばさばさと折れていく。
ユリの木の間にケヤキと楠が植えられている。
こちらは成長はユリの木にはかなわないが、風に強い。
木々を見ていると、どの木にも持ち味がある。得意分野があるのだと自然の妙味に感心してしまう。
参議院選挙が公示されて、各党の党首演説やコマーシャルが流れている。
ここ府中市は都心から離れているせいか、選挙地盤の広い参議院選挙では、
あまり選挙カーも走ってこないが、かつて良識の府と言われた参議院が衆議院とたいして変わらなくなって久しい。
清潔な選挙や良識ある見識を掲げても票につながらないし、それでは国会で戦えないのだろうか?
政治にも、議員にもその党やその人の持ち味があってこそ、いろいろな考えの大衆の代表となれるのにと思ってしまう。
参議院議員として地道な福祉活動に取組んだコロンビア.トップさんの訃報を聞いて、またひとつ参議院の星が散ったと寂しい。
こんな状況を故市川房枝さんは、天国でどんな思いで見ていられるだろう、、。
選挙に行こう。まずは行こう。ベストな人がいなければベターな人を見つけて。
のうぜんかずらの花がもう咲き出した蒸暑い今年の梅雨です。




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1998.3.25 公開


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