◎風の便り花便り
12月26日
 「月日は百代の過客にして」と言われるように、日々悩んだり、喜んだり
しているうちに、一年は過ぎていき、もう今年もいよいよ数日を残すのみ。
多くの人々にとっては決して暮らしやすいとは言えない世相ですが、
それでも皆、一生懸命に毎日の日々を積み重ねているのですね。
連日にわたり都内の零細企業の大変さがテレビに映り、そこの社長さんがおっしゃって
おりました。
「今年こそ社員にボーナスを払いたかった、、、。」
人の良さそうな社長さんのぽつりと言われた一言。胸に響きました。
お互いに経営者は仕方ない。けれどせめて社員にわずかなボーナスでも
支払って年末は手みやげを持って帰郷してほしかったのよね。
日本ってなんて良い人が多い国なのでしょう。
それでも庶民は貧しい国になっていく不思議。

さて、今年の初めに本欄を読売新聞様が掲載して下さってからは、思いがけなくも
いろいろな方から声をかけられ、改めて新聞の威力を感じております。
人が生きていくと言う事は、お互いに助けられたり、助けたりの相互関係が必須で
またそれが生きていく張り合いにもなるのでしょう。
何気ない一言が人を喜ばしたり、悲しませたりもするものです。
どうせなら、よいしょっ! と褒めあって暮らしたい。
つたない文章を今年も読んで下さって、どうもありがとうございました。
暮らしの中にささやかな幸せを拾って、読んで下さる方と分かち合いたいと
願っております。
来る年がどうぞ少しでも安心できる社会となることを、
皆さまが少しはほっとしたと言える暮らしになることを共に祈りたいです。
弊社は31日まで営業しています。
戦後育ちのたくましさを発揮して、「最後まで頑張らなくっちゃ! 」
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


12月19日
 テレビに映し出された日本海側の大雪のニュース。
道路も家もすっぽりと真っ白い雪に包まれてとっても寒そうです。
長い歴史の間を、雪国の人々は保存食を作って寒さと闘ってきたかと思うと、人間って
強いんだなあーとつくづく感心しています。

さて、私の好きな歌人の与謝野晶子さんはもうびっくりするほどの強い人だった
のだと知りました。
与謝野さんは一度、現代語訳をした源氏物語が納得できずに再チャレンジ。
しかしそれを関東大震災で焼失、数千枚に及ぶ原稿が全て燃えてしまったそうなのです。
1923年のことです。
それでも再再チヤレンジして1938年に「新新訳源氏物語」を完成させた由。
もし今の時代ならばパソコンに打ち、保存データもいくつもとっておけたでしょうが、
当時はすべて手書き。
しかも12人の子供を育て、夫である鉄幹をもりたて、たくさんの歌も作り、文化学院で
教師もしながら。
電気釜も洗濯機もエアコンも無い時代にです!
美しい短歌の影には、まさに63年という生涯を闘い続けた強い人であったのだと驚いています。

携帯電話、パソコン、そして多くの家電製品に囲まれても、暮らしが大変だ!
今月はどう乗り切ろうと悩んでいる輩にはただただ感服するのみ。
きっと本来、人間と言う動物は強い種族のはず。
それが文明という諸々の物に囲まれて愚痴や不満を抱え込んでしまったのかしら?
そんな事を考えながら、さあ〜て今日もとにかく明るく頑張るしかないなと
自分を叱咤激励、鼓舞しております。
華やかなイルミネーションに飾られた街並のこぶしの木には、もう冬芽がしっかりと
育っています。


12月12日
 
 錦木もその辺りも真っ赤かな  高浜虚子

 暖冬らしい今年の冬、今日も温かい小春日和です。
モミジやイチョウの紅葉に見とれているうちに、それらの葉も落ちて、
今度は落葉低木の木々の実が赤く色づいて美しい頃となりました。
高浜虚子さんが俳句に詠んだ錦木は、小粒の赤い実をつけて周囲も赤く染まったかの
ようになります。生け花にすると小菊などと合って和の美しさ。
ピラカンサの実は錦木よりも、もっと小粒の実をさらにびっしりとつけて
その美しさは目を見張るよう。こちらは洋の美しさ。
小鳥達がやって来て、実を啄む姿もまた可愛いことこの上ない。

自然の変わりゆく変化を見ていると、四季のある日本に生まれてよかったなあ〜と
しみじみと思います。
そんな美しい日本の自然美を開発と言う名で次々に埋め立てたり、削ったりしていく
やり方が、今一段と争点になっていますね。
干潟の開拓は貴重な生物を絶滅させかねないし、利益にならないと放ったらかしにした
森林は次々と枯死していって、、、。
環境と開発をめぐって、各地で賛成、反対両陣営が争っています。
ここでよ〜く考えてほしいのは、一度環境破壊すると元に戻すのは大変な時間が
かかる、もしかしたらもう元には戻らないかも知れないという事。
産業の育成、雇用の拡大を掲げて開発をする人々の立場も必要性もわかるけれど、
せっかくの貴重な環境を生かして雇用につながる手だてはないものかしら?
産学共同でそんな研究をしてほしいな。
今年一年を表した漢字「新」にちなんで、新しい自然と産業のあり方を叡智をかけて
取組んでほしいと思うのです。
諫早湾の水門がやっとひとつ開いたけれど、死んでしまった海に呆然とする
漁民の人々の表情がテレビ画面で寂しく映っていました。
人は笑顔で暮らしたい。ね!


12月5日
 晴れれば暖かい小春日和、雨になると寒さひとしお。
そんな天候がくり返される近頃です。
さて、「年の瀬の慌ただしい候となりました」という文章に出会う季節ですが、
ふと、年の瀬の「瀬」って何かしらと思い愛読書の「美人の日本語」を
ぱらぱらと見ましたらありました。
「年の瀬」の「瀬」は川の流れが浅いところ、または急流のことで一年を川に
見立てると、暮れも押し迫ったこのころは岩に塞き止められた場所のように
流れが速くなる例えとか。なるほど!
そんな押し迫った時期は人の心も荒れるから慌ただしい、、、なるほど!

政局は難しそうで鳩山総理もなんと大変な事でしょう。
そして庶民もこの1ケ月をどう乗り切るか、なおなお大変な事でしょう。
そんな時は元気の出る格言をたくさん思い出して!
「夜の明けない朝はない」
「冬来たりなば春遠からじ」
「風よ吹け、波は荒れよ 希望は近ずけり」
などなど、先人は素晴らしい言葉を残してくれていますから。

先日、東尋坊で自殺をしそうな人達に声かけをしている方や、富士山の樹海を
パトロールしている方々がテレビで「生きていこう」と呼び掛けていました。
辛い世の中だけれども、生きていればきっと何か良い事に巡り合えるかもしれない。
素晴らしい人に出会えるかもしれない。命を大切にしようと、、、。
そう、世間は時に冷たいけれど、また時に温かい人にも出会えるかもしれない。

十数年前にいただいたシクラメンが今年もまた小さな蕾みをつけています。
「がんばれ!」って励ましてくれるかのように。


11月30日
 各地の山々や名所、旧跡を美しく染めあげていた紅葉もはらはらと舞い落ちて、
木枯らしの季節になりました。
今年もあと1ケ月、中小零細企業の経営者にとっては、この年の暮れの1ケ月を
どう乗り切っていくかと、胃に穴があく程の辛い思いで過ごす事でしょう。
不景気にデフレと日本の多くの中小零細企業の経営者と、そこで働く人々にとっては、
クリスマスどころでは無いと、お金のやりくりに必死の事と思います。

そんな時に仕分け人の蓮舫議員が無駄と思われる予算をバッサ、バッサと舌ぽう鋭く
追求する姿勢に拍手喝采をしていたのですが、その鋭さにかなりの反発や批判が
集中しているとか、、、。
誰でも、予算を削りますというよりは、差し上げますと言う方が気は楽でしょう。
でももうどうしょうもないのですこの国は。なんとか削らなければとなれば、
心を鬼にしても、気が強いと言われようとも必死にならざるを得ないのでは。
きれいごとや、優しい微笑みは誰にでも出来る。
まして評論することはいわんおやです。
嫌な事を敢えて言う立場に立たされて、真面目に取組んでいる蓮舫議員が
吊るし上げられているのが何とも私にはやりきれない思いなのです。

もっと笑顔で優しい言葉で言えないのか、それでも女かなど、まるで個人攻撃。
人民裁判みたいだと皮肉った方々もいましたが、本当の人民裁判ならテレビで
公開はされずに暗黙のうちに処理されてお終い。
日中に堂々と公開されて、何が人民裁判みたいだと軽々しく言うのかと、腹立たしい
かぎり。
何事も新しい事を始めれば、批判や攻撃はでるものですが、仕分け作業を公表するという
画期的な作業に真剣に取組む人々を、人間攻撃まですることは無いでしょう。
そんなことで、仕分け作業が今年限りで終わることの無いように。
「負けるな!蓮舫議員 ! !  あなたの真直ぐに人を見るまなざしは決して私利私欲の
ためでは無いことを、分かっている人は多いはずですよ。」


11月21日
 久しぶりに晴れ渡った東京地方、気温もぐんぐんと上昇して
心も体もほっとするような暖かさです。
立川の昭和記念公園では黄色く染まったイチョウ並木がひときわ美しいとのこと。
並木を見上げて舞い落ちるイチョウの葉を両手に受け止めたら、どんなにか
幸せな気分になれるでしょう!

私は大きな樹の下に立つと「おー立派だ」と叫び、よく風雪に耐えたねと
手を合わせるのが好き。
桜咲く時期には桜並木の下で両手を挙げてくるくると舞うのが好き。
海に行ったら、浜辺に立って「海だあー」と叫ぶのが好き。
年がいも無くと一緒に行く人達には呆れられるが、この所作だけは
欠かせない。
せっかく素敵なシチュエーションの場所に行くのですから、思う存分に
自分なりに楽しみたいと思う。まさに年がいも無いと言われてもね。

人は老いていっても心も一緒に老いていくとは限らないのではないかしら?
当分、遠方には行けないけれど近場でイチョウやモミジの紅葉の場所を見つけたら、
両手を挙げて美しい葉を受け止めようと、わくわくしている毎日です。

与謝野晶子さんの美しい短歌
 金色の小さき鳥のかたちして イチョウ散るなり 夕陽の丘に

イチョウの葉を小さき鳥のかたちと表現した与謝野晶子さんは、なんて心の
豊な人でしょうと感嘆しつつ、秋のつかの間の自然の美しさを楽しみたいと
思っています。
日本の経済も政治もいろいろとあるけれど、そして弊社もいろいろと悩むことも
あるけれど、ちょっとだけ自然の美しさに感謝する時間を持ちましょ。


11月13日
 雨降り続きの寒い日、府中駅前のケヤキ並木の葉がはらはらと舞い落ちて
晩秋という何か寂しげな言葉の響きが似合う季節となりました。
夜は暖かい暖房が恋しいですね。
十年以上も愛用した、すっぽりと足を入れて寝る電気式の暖房器具は去年ついに
寿命がつきて壊れてしまいました。
さて今年はどうしよう?と思っていましたら、巷では若い方々の間で湯たんぽが、
流行っているとか。
それもネットによると動物をかたどった形などいろいろと楽しそうな物がいっぱい。
カバーもふわふわ、もこもことした見るからに温かそう。
エコという理由で若い方々に人気とか。
そうね、湯たんぽという手があったわねと、早速納戸をごそごそと探したら
ありました! 30数年前にわが子が使った湯たんぽが。
それが何とも心地良いのです。
あーこんなに良い物があったのに、どうして電気製品ばかりに目がいっていたのかしら?
煌々と冷たく光る蛍光灯から、温かい電球に戻ったような感覚。
せっかく温かい気分になったのですもの。
バスタオルをまいただけの一時しのぎのカバーでは寂しい。
若い人達を見習って可愛いカバーでも作りましょうとまたまた納戸の引き出しを
ごそごそと開けて見繕う。
これもまた楽しい!

政界では仕分人と言われている人達が、マスコミに叩かれても、非難されても
節税に闘っています。
もう日本人の多くは節約にこれ日々邁進していることでしょう。
日々の暮らしも節約、節約、でも楽しく節約したい。
戦争中に「贅沢は敵」と書かれたポスターに「贅沢は素敵」と「素」を書き込んだ
反骨とユーモアの心を持つ日本人らしさを思い出して。


11月7日
 
すっかりと冷え込んできました。
昼間は晴天の暖かい日射しでも、夕方になるとうん? 肌寒いと感じます。
ハナミズキや桜の葉がひらひらと舞い落ちてきます。
この落葉、人によってはかなりカンに障るらしく、「毎日落葉掃きができないのならば
1本の落葉樹でも植えるな」という方がいらしたと言う報告に驚いております。

他人の家の落葉は例え1本のハナミズキの量でも気に障るとねえ〜 
ふ〜んそういうものなのだと、改めて昨今の世情を認識させられました。
まあー私は古い世代に入る年齢ですから、「道を掃除する時はよそ様の分も
日頃お世話になっているのだからと言う気持ちでお掃除するもの」と
しつけられてきました。
落葉の葉の色合いもさまざまで、そんな落葉の色も楽しんで落葉掃きを
したものですが、ま〜ね、時代と共に人の考え方も変わってくるのでしょうねえ〜。

さて「棚から本マグロでございます」という名言で紫綬褒章の受賞を
語った中島みゆきさん。
ファンの一人としておめでとうございます。
中島さんの歌う「時代」にずいぶんと元気をいただいています。
勿論、この不況で苦しい今は特にもう毎日、毎日聴いております。

 ♪そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
  あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ ♪

きっと笑える日がくることを、笑って話せる日を来てみせますぞ !と
空元気を出しているところです。
中島さんの歌には優しい歌詞から激しいメッセージの歌詞まで変幻多彩。
そしてメロディーも同じ人?と思うくらいまたまた変幻多彩。
「まつりばやし」の悲しみ。「シュガー」の負けないよという強さ。
「3年B組金八先生」のバックミュージックでぞくぞくする程の感動をうけた「世情」
などなどファンとしては数え上げ切れない程に素晴らしい歌ばかり。
お母上の介護などのご苦労もあった由。
それでも活躍なさる姿にたくさんの元気をいただいているファンは多い事でしょう。
おなじ時代を生きている一人として今後のご活躍をお祈り致します。


10月31日
 秋晴れ続きの良い天気に恵まれているせいか、近くの国分寺遺跡周辺は
旗を掲げた人を先頭にご高齢の方達がハイキングをする姿を良く見かけます。
寿命が伸びて退職後の暮らしをどう過ごすかが、社会問題になってきた昨今。
このように趣味を同じくする人々が歴史散歩などをするのも、良い物でしょうね。

けれど人と人との付き合いは時に難しく、これもまた疲れるとおっしゃる人も
いるのも現実。
実際に私も人付き合いは上手とは言えないのですが、美輪明宏さんと国語学者の
斉藤孝さんの対談集の中に美輪さんがこうおっしゃっていました。
「人との付き合いは腹六分目にすれば良い。べったりとよりかかる付き合いは
 長続きしない。」と
この腹六分目にするという美輪さんの孤高の強さに感嘆しました。
人はつい気心が知れてくると何もかも期待して、ついついと頼ってしまう傾向が
あるもので、そこをぐっとこらえて腹六分目にして付かず離れずにしていくのは
けっこう難しい。
大人とは腹六分目にできる人なのだと自分に言い聞かせているものの、なかなか
これが出来ない。
しかし、所詮は人と自分は違うのですから、意識して時には寂しさにも耐えて
いかねばね。
そんな私の周辺にも「本仲間」「花仲間」などちょっとした趣味のおつき合いの
輪があります。
最近はもっぱら古本屋さんで購入した本をあげたり、いただいたり。
花一輪やおかずをおすそ分けしたり。けれどこれも嗜好があるので、
いる?と聞いてからが原則。押し付けはいけない。

不況、不況で苦しんでいるご同輩のみなさま! 何とか気持ちだけでも
助け合って年末を乗り切れるように頑張りましょうね。


10月24日
  団栗を掃きこぼし行く箒かな  高浜虚子

 都立武蔵国分寺公園を散歩していると、たくさんのドングリが落ちています。
はかまをつけたままの姿はベレーボーを被ったみたいで可愛い。
落ちた団栗は来年には芽吹くのでしょう。
公園を下に降りていくと昔ながらの農家が立ち並び、早朝からお年をめした方が
箒で落ち始めた枯葉を掃いています。
秋半ば、毎年繰り替えされる光景ですが、人はこうやって自然の流れにそって
老いていき、また新しい命が産まれるのだななどとしみじみと考えてしまいます。

ミュージシャンの加藤和彦さんの訃報はそんな秋半ばに人の一生って何なのだろうと
考えさせられました。
テレビに映る加藤さんはいつも穏やかな笑顔、その音楽も美しいメロディーで
聞く人をほっとした気持ちにさせてくれたのに、、、。
名声も富みも得て、庶民には何の不足があったのだろうと思うのですが、
人には他人に決して言えない悩みや葛藤があるのだろうと想像するのみ。
「あの素晴らしい愛をもう一度」のメロディーが耳に残ります。

オリオン座の近くを通る流星群を見たくて夜に外に出ました。あいにくの曇り空で
なかなか見る事ができません。
三千年前に放たれた光が今の時代に見えるなんて、人の一生に比べたら
まさに悠久のお話。
星に比べたらほんの一瞬の人の人生ですが、できれば寿命とやらを
まっとうしてほしかったなと残念な思いでした。

白いお茶の花も咲き、柿の実も色づいている「お鷹の道」を散歩してみませんか?
ほんの少しの距離ですが、昔ながらの自然が心に響きます。


10月18日
  白露もこぼさぬ萩のうねりかな  芭蕉

 秋風に萩の花がゆらりゆらりと揺れています。
強い台風の去った後も、萩の花はゆらりゆらりと揺れて小さな花を
枝いっぱいにつけています。
一見、かよわそうな萩の枝はもしかしたら強靱なのかもしれないと最近は
萩の花のようにならねばと言い聞かせている昨今です。

さて、民主党政権になって1ケ月、まあーマスコミと言う世界はなんでそんなに
民主党政権への成果を性急に期待しているのでしょうか?
中でもミスター年金と呼ばれた長妻議員のお疲れ具合は痛々しくさえ見えて来ます。
議員さん達もさぞやさぞや、日々マスコミに追われ、マニフェスト通りに
いかなければ非難を浴びて、なんて大変なのでしょうと同情をしております。
わずか政権を取って1ケ月。
あまりにも成果を期待し過ぎでは。
何十年と政権を持ち続けて来た自民党からわずか1ケ月でそんなに大きな成果が
あげられるのならば、一体自民党は何十年も何をしてきたのでしょう。
ね、そう思うでしょう!
とかく人のあらを捜しがちなのが人間の本性なのでしょうが、ここは萩の花のように
ゆらりゆらりと揺れるゆとりを持って、そして政府には強靱な持続力を期待して、
見守っていこうではありませんか?
派遣村の村長さんの湯浅誠さんが「政策参与」に起用されたことひとつとっても
素晴らしい一歩前進の活気的な処遇ではないかしら。

庶民は一匹63円也のサンマの特売に並び、食パン1斤99円のお店に飛んでいき、
そうやって自分の暮らしを必死に支えていっています。
日本の国民はけなげで賢い! 
だから議員さん達、本当に日本の国に、国民のためになる政治をじっくりと
腰を据えて取組んで下さい。
マニフェストを100%実行してほしいなんてみんな思っているはずではないのです。
その心意気に投票したのだと国民を信じて。


10月10日
 秋の陽は釣瓶落としといわれるように、夕方の5時を過ぎると
薄暗くなってきます。
気温も日に日に下がり、今年も残すところ2ケ月有余となると、
景気の良く無い業種に属している方々は、年末までの資金ぐりにどうしようと
頭を抱えていることと思います。
そんな折りの亀井金融担当大臣の融資見直しの提案はどんなにか中小零細業者に
勇気を与えてくれることでしょう。
けれど金融機関関係者には不快感を与えたようです。
でもねと思うのです。
金融機関や証券会社、そして大企業などの破綻のときは彼等は当然のように
社会不安を与えるからと言う名目で国に支援を求め、また国もそれに対応してきました。
それも一社に何百億という中小零細業者にとっては想像もつかない巨額のお金を。

日本の国の産業の8割を占める中小零細業者の倒産は、まるで努力もしない会社なの
だから仕方ないさと言わんばかりに無視されてきたのが今までの現実なのでは。
ここに切り込んでくれた亀井担当大臣に「良く言ってくれた!」と
涙で拍手する中小零細の方々の気持ちを、どうかいわゆる大手企業のお偉いさんや
議員の方々にはわかってほしいのです。
一社に何百億を融資しろと言っているのではないのです。
せめてこの不況で仕事が無く、支払いの出来ない会社に支払いを猶予してほしいと
言うけなげな業者のお願いを亀井金融担当大臣はおっしゃっているのです。
中小零細業者は仕事がしたいのです。
払えるものならばお支払いしたいのです。
そういう貧乏だけれど、真面目な国民が大勢いる日本という国の建て直しに
この際、銀行や大企業のお偉いさんは助ける気持ちになれないのでしょうか?
公務員という職業から、零細企業に転職して私は初めてこの国の体質を知りました。
貧乏人のお金の苦労も知りました。同時に貧乏人は必死に税金の督促や融資の督促に
対応していることも知ったのです。

秋風が人の世の冷たさを運んでくるようでは情けないではありませんか?


10日3日
 
そよそよと涼しい秋風にホトトギスの花がゆれています。
季節は秋へと移り、もう真夏の焼け付くような暑さはないでしょう。
そんな時期に創業80年のあの有名な「黒岩スリッパ店」の廃業の新聞記事が
目にとまりました。
お茶の水の駅の南口を降りて、少し西側に歩くと3階建ての白い清潔なビルが
あります。
今から40数年前、このビルを初めて見た時、「スリッパ専門店があるんだ!」と
当時学生だった私は驚きました。
まだまだ日本人の生活は畳みが大半で、和洋折衷の洋館建てが憧れの時代。
「黒岩スリッパ店」には一足、一足を全て手作りされたと素人めにもわかる
高級なフエルト製やラフイア製のスリッパがショ−ウインドウに美しく
並べれていました。
その高級な店構えに貧乏学生の私はただ見るだけでしたが、お店の方も
嫌な顔をせずにスリッパにうっとりと見とれさせてくれました。
こういうスリッパを履く人はどんなお家に住んでいるのかしら?  などと夢見る思い。
通学の往復に眺めては胸をときめかせ、やがて社会人になってからもお茶の水駅に
用事があるときは「あのお店、まだあるかな?」と確かめて、それでも
「う〜ん、まだ私には買えない」と買える日をまたまた夢見て。

ひとりの職人が一足のスリッパを最後まできっちりと作るという姿勢を最後まで
貫き通したとの記事に、だからあのような丁寧な温かい雰囲気のスリッパができたのね、
と感慨もひとしおです。
世間では素材はフエルトやラフイアから、安いビニール製などの大量消費へと
変化していって素材の輸入や職人さんの育成にも苦労なさった由。

丁寧に心をこめて、職人さんの誇りが物を作っていくそんな世界がまたひとつ消えた
ことが、とてもとても寂しく思います。
それは技術立国、日本の損失だと思うのです。
「黒岩スリッパ店」さん。長い間夢をみせて下さってありがとう。
とうとう貴店のスリッパを履く事はなかったけれど、でも心にあったかい
思い出が残っています。



9月26日
   秋天に届かで高き紫苑かな  松根東洋城

さわやかな秋の風に畑の隅で紫苑の花がゆれています。
薄紫色の紫苑の花は通称「野菊」と呼ばれて日本人に好まれる儚げな「よめな」とは違って、
草丈2mは超える丈夫な茎とたくさんの花をつける、逞しい花です。
それでも柔らかい色合いといい、可愛らしい花の集合体といい、秋になくては
ならない花だと思っています。

亡き父が詠んだ俳句に
  紫苑咲く夕餉の米を研いでいる という句がありました。
我が家は母が病弱だったために、子供の頃から家事は私がほとんどを担当。
父もお米を研いだり、洗濯をしたりと手伝っておりました。
その時のヒトコマを俳句に詠んだのでしょう。
数十年たっても、毎年秋になるとこの俳句を思いだし、父を偲んでいます。
父は世渡りが下手で、およそ立身出世とは縁がなく、当時としては高学歴にもかかわらず、
平凡なサラリーマンとして愚直に働くのみ。
子供心に頼りにならないな、私はこんな大人になってはいけないと不満も抱いて
いたのですが、、、。
けれど、文学や音楽、絵画とお金儲けにはならない趣味の世界では多才な人で、
特に俳句に関しては同人誌の常連でした。
親子というものは、決して似たく無いと思っている血を受継ぐようで、
そんな父の性格をそっくりと受継いだしまった私。
世渡りベタで生涯お金とは縁が無く、一生貧乏暮らしで終わりそう。
ただただ、毎晩の読書を何よりの楽しみとし、絵や音楽には心をときめかせる
ささやかな幸福感を父と同じように味わっている。

時に、この不況風をまともに受けて私の人生って何だったんだろうと、
おのが愚かさに反省することしきり。
きっと亡き父もそんな思いで恵まれなかった人生を回顧していたのかな?
紫苑の花は茎が太くて逞しい。その逞しさを忘れちゃいけない!
ちなみに紫苑の花言葉は「追憶」と知りました。


9月19日
 ひんやりとした涼しい秋風が、夏の疲れた体に心地良く感じられる候となりました。
すすきの穂や萩の枝がゆれて、なんとも日本的な美しい風情ですね。
「秋ねえ〜」と言って清々しい気分にひたっていたいところですが、
この頃のマスコミの報道には、ちょっと気分の悪い思いをいだいております。
新聞やテレビのニュースでは衆議院選挙で圧勝した民主党へ、こんな言葉を良く
耳にします。
 「お手並み拝見としますか?」
この言葉どう感じますか?
どうも、「マニフェストに書いたことが出来るものなら、やってみなさいよ。」
という意味合いの冷ややかな発想と感じるのですが、、、。
ちなみに辞書を引いてみましたが、広辞苑には掲載されていませんで、Goo辞書に
よりますと、
「腕前や能力がどれほどのものか見させていただきましょうと、相手をやや見下した
感じの言い方」とあります。
まさに今のマスコミに登場して発言なさる方々はこの意味合いでおっしゃって
いるのではないかしら。

民主党へのやっかみともとれるこういう発言を、国民のひとりとして、とても
悲しく聞いています。
ここ数年の庶民の暮らしは本当に辛い。
もうどれだけ辛いかは言わなくても庶民は十二分に承知している。
知らないのは高級官僚と政治家、大手企業の経営者などの裕福な人達ぐらいでしょう。
底辺で喘いでいる国民が代弁者として期待したのが、今回の民主党。
そのことがわかっていたら、例え民主党に反対の方でも、公の場で
 「お手並み拝見としますか?」と言えますか?

せめてマスコミの方々や、有識者と言われてコメントを求められた人々には、
人としての最低のマナーは守ってほしいなと願うのですが。


9月12日
 夜風が心地よい季節になりました。
東八道路は朝晩にウオーキングやジョギングを楽しむ人がとても多い。
毎日とはいきませんが、私も仕事や家事を済ませて、少しまだ体力が残って
いるなと思う時は、のんびりと夜道のお散歩をしています。
昨日はどこからともなく今年初めての木犀の香りが漂ってきて、思わず深呼吸をして
香りをいっぱいいただきました。
まだ虫の音も聴こえます。

草野心平さんの詩に「秋の夜の会話」という詩があります。
 さむいね。
 ああさむいね。
 虫がないているね。
 ああ虫がないているね。
 もうすぐ土のなかだね。
と続く詩です。
秋の夜、人間の知らない世界で動物や植物達がこんな会話をしているのかなと
想像すると、とっても楽しいでしょう。
この世界は人間だけの物では無いんだから、大切にしなくちゃって思うでしょう。

どなたか忘れましたが、近頃の少年や青年は詩を読まなくなったと嘆いていらした
作家の方がいらっしゃいました。
詩を読まなくても何も困らない。
詩なんか知らなくてもお金儲けはできるし、暮らしに不自由はしないけれど、
人の世の長い人生のうちには、詩や短歌や俳句を読んで、ほっとするなんて言う時も
あると思うのです。
子供や若い人にたくさんの詩や短歌などにふれてほしいな。
今、世界中で認められているビートたけしさんこと北野武さんも、
う〜ん良いなと思う詩を書かれています。
図書館や書店で詩のコーナーにちょっと立ち寄ってみてはいかがかしら?
秋の夜長、思わず感銘を受ける詩に出会える機会もあるかもしれません。

9月5日
 さやさやと朝晩に吹く風がひんやりとして、夜半に鳴く虫の音も
忍び泣くような音になってきました。
愛読書の「美人の日本語」によると、この虫の音は「虫時雨」と例えるのだとか。
「むししぐれ」美しい言葉ですね。
この本によると、「右能しか使わなければ、単なる物音や雑音としてしか
聞こえない虫の鳴き声を、日本人は左能でも聞く数少ない民族」だとか。
そのような繊細な神経の持主の日本民族が、選挙となると途端に相手陣営の
悪口を言う粗雑な神経を露呈してしまうようで、今回の衆議院選挙はまさに
その見本のようだったと後味悪い気持ちが残っています。

自民党も公明党も民主党への悪口雑言はすさまじかったことは
ご存じだったことでしょう。
こうまでしなくては勝てないと追い込まれたのか、その焦りはかえって国民に
反感をかったのも敗退の要因のひとつではと思っています。
日本人の庶民は我慢強い。じっと耐える。けれど政治家が考えているよりは、
はるかに賢い。
落選したかつての与党の議員さんが「国民は政治の事何もわかってないんじゃないの」
とふてくされ気味におっしゃっていたけれど、わかってないのはどちらかしら?
何が何でも今度は民主党をやっつけてやると、もし自公の議員さん達がはりきって
民主党への意味のない反撃ばかりをしたら、国民の目はきっと更に冷ややかに
なることでしょう。
本来、政治家たるものは国民を国政をよりよく導く人であるはずなのですぞ!。

今、日本の庶民の生活は本当に苦しい。
若者も年寄りも将来への不安は抱え切れない程。
「もうこんな暮らしは嫌だ」といって一票を投じた国民の思いを真剣に捉えて欲しい。
坂本竜馬さんの言葉「日本と言う国を洗濯したく候」。
そうです! 洗濯して下さい。
国民の声を雑音として聞かないで、左脳も使って聞いて下さい。

萩の枝がゆらりゆらりと揺れて小さな花がほころび始めています。

8月29日
 日中の厳しい日射しが隠れると、ひんやりとした微風が漂ってきます。
秋の気配は風と共に少しずつやって来ているようです。

さて、秩父の山奥に住んでいた「小林むつ」さんと言う方をご存知ですか?
住んでいたと過去形で書かなくてはならないのが切ないのですが、
NHKテレビで時々「小林むつ」さんの生活を追うドキュメント番組が
放映されていました。
愛称「むつさん」は秩父の山奥の段々畑を耕し、昔は養蚕もして早朝から
深夜まで働き詰めの「秩父の農家のお嫁さん」でした。
秩父の農家の嫁は眠る時間も与えられないと昔から言われていた程に、
過酷な暮らしに耐えて、「むつさん」はやっと大好きな花を育てられる年齢になりました。
「花はいいよお〜、かわいいよお〜」と穏やかに語る、素朴な笑顔の「むつさん」。
かたわらには長年苦労を共にした寡黙な夫がいつも一緒。
テレビ番組を見た多くの方が「むつさん」のフアンになり、放映を楽しみにしていたそうです。
「むつさん」は80歳を超えると体力に限界を感じて、野菜を育てていた段々畑に
ひとつずつ、花の咲く木を植えていきます。
長い間、野菜を育てさせてくれた段々畑に感謝して、今度は道行く人に花木を楽しんでもらおうと。
「通る人が季節毎に花を見て喜んでくれたら良いよお〜」と言って。
モミジの木の下には「むつさん」の夫が手作りの椅子も置きました。
ひと休みして紅葉を眺めてくれる人のためにと。

今年の1月、畑で倒れて「むつさん」は先に旅立った夫の待つ天国にいかれました。
今でも、そのままに残された家を訪ねる人達がいるそうです。
ひととき「むつさん」の思い出にひたり、きっと元気をもらって帰るのでしょう。
やがて秩父の山には早くも秋がおとづれ、越冬の準備が始まります。
一人の女性の生きた道のりが多くの人に安らぎと勇気を与えてくれた、
そんな「むつさん」のこと、覚えていて下さいね。

8月22日
 まだまだ相変わらず蒸し暑い毎日です。
それでも早朝と夜は路地裏の草むらから、涼しげな虫の音がかなり大きく
響き渡って来るようになりました。
さて衆議院選挙もまっただなか、昨日JRの三鷹駅周辺は自民党の議員さんが若者に
人気のある応援議員と共に演説をなさるとかで、大変な混雑ぶりでした。
そんな駅前は駅から直接伸びた高架陸橋がでんと広がり、駅前の一等地は
どこの駅前とも同じように、あるのは銀行と大手ドラッグストアと居酒屋チエーン。

いつからこんな駅前になったのかしら?
以前の三鷹駅前は武蔵野の面影を残す、ナラやクヌギの植えられた広場があり、
そこに国木田独歩の名作の一節の「山林に自由存す」と書かれた石碑がありました。
道行く人が「ほほお〜これがあの石碑!」と足を留めたのどかな駅。
その駅の近くには本屋さんやレコード屋さん、果物屋さんなど個人商店がならび、
その商店主がみんな意外な教養の持主で、さすが武蔵野は素晴らしいと感じたのですが。
そんな駅前の本屋さんで学生時代アルバイトをしていました。
そこのご主人が素晴らしかった。
アルバイト学生は昼間学校に行き夕方から働く人や、昼間は働いて定時制高校に
通う人達。
そんな学生さんの親代わりとして定時制に通う子には保護者会に出席したり、
大学生には試験中は早く帰りなさいと融通をつけてくれたり。
本が好きな私には返品前の本を好きなだけ貸してくれました。
経営者も働く人も商店街の人達もみんな仲間だよって助け合った時代だったのですが。

そんな人情が煩わしいのか、街はどこも同じような企業の顔ばかり。
「寂しいねえ〜」
程よい節度のおせっかいと、ありがとうと言う言葉の往来が無くなって、、、。
駅に駅前広場に人と自然が介在するそんな街がいいんだけれどなあ〜


8月17日
 たび重なる地震や豪雨と被害にあわれた方々は、後片付けに追われている事と
存じます。
泥に埋まった家や泥水につかって売れなくなった商品の山、
無惨にも落下した果物、何もかも今までの苦労が徒労になってしまい
泣いても泣き切れないご心境でしょう。
本当に心穏やかな日々は少ないのだとテレビの画面を通してしみじみと感じています。
歴史の本を読んでいると、飢え、争乱、病気と人々の暮らしがおよそ安定とは
程遠い暮らしだったと思い知ります。
そして現代、どんなに文明が進歩しても、自然の脅威の前には人は力及ばない事も
たくさんある事を思い知らされます。

さて「歴女」という言葉、ご存じですか?
歴史に興味を持って自分の好きな人物や年代を楽しく且つ徹底的に調べ歩く女性の事だそうです。
秋葉原の「オタク」に似たものかな? と思っていたのですが、かなり明るく楽しそう。
特に若い女性の間でブームになっているとかで、歴史の教科書には乗っていないような
細かいいわゆるネタ物など思わず「へえ〜」とうなってしまう事も多々ある。
過去を知って現在を見るには素晴らしいブームではないかと感心しています。

8月15日に若者と年配の方が戦後の問題をテレビ討論していた時。
国民的人気グループのアイドルの方が
「戦争はいけないことだと言わないで、戦争に参加した人の気持ちが理解できない」と
当時の若者を批判めいた発言をしました。
すると、年配の方が
「戦争はいけないことだと言えなかった時代があったことを知らないなんて、
理解できない」と驚いていました。

まさにここに歴史を学ばなくてはならない意味があるのだと思ったのです。
受験歴史のみで終わらずに、本当はどうだったのだろうと疑問が抱けるような
歴史の見方ができたらいいなあー。
「歴女」ブームが「歴男」ブームも呼んでくれるとなお嬉しい。
夜、虫の音が聴こえてきました。秋の気配がしのびよっているのでしょう。


8月8日
 毎夏、東八道路では蝉の声がすさまじい。
ケヤキの木々が一斉に鳴いているかのように一日中、ジーッ、ジーッと響いていた。
それが今年は蝉達がやけにおとなしい。蝉の異変?
鳴き声が少ないばかりか、木々にとまっている蝉も幹の低い所にとまり、
人が手を伸ばせばすぐにつかまってしまう。
気候の変動なのか、周期的にそうなるのかわかりませんが、妙に気になっています。

さて、原爆投下から60数年がたち、被爆者の方々もご高齢になられました。
広島に原爆投下された翌日に広島周辺に降った「黒い雨」を浴びた人々の
認定がいまだされずに、60数年もの間、体のだるさ、吐き気、癌などの病気で
苦しんでいらっしゃる方々が大勢いらっしゃいます。
国に被爆者認定を要望しても科学的根拠が無いとの返事とか。
ところが、旧ソビエト連邦が、広島原爆投下からわずか数年後にカザフスタン地域で、
核実験を何回も行い、その時に降った「黒い雨」を浴びた人々がいまだに
広島と同じような症状を訴えているというのです。
どちらの国もその人々への対応が悪いのですが、民間の医師同士での協力がなされつつ
あるそうです。
長い間、被爆者の対象にもされずに生き抜いていらしたご高齢の方々が、安心して
治療を受けられるように国は速やかに対応してほしいと思うのです。

政治家の皆様、どうか選挙の時だけ国民を見ないで、日本の各地で必死に生きている
市井の方々へ目を行き渡らせて下さい。
「黒い雨」を浴びたり、その雨がしみ込んだ地下水を飲んで病気になられた方々が
国へ要望書を提出しても何の措置もないとは情けない話ではありませんか?。
一般のしかもご高齢の方々が国に要望書を提出するのは、よくよくの事なのです。
その事を政治に携わる方は真摯に受け止めるべきでは。

原爆投下時に咲いていたという夾竹桃の紅い花が、夏の空に満開の季節です。


8月1日
 いつまでも梅雨のようなどんよりとした不快な天候続き。
小さいお子様のいるご家庭では、むずかる子供を寝かすのにご苦労なさって
いることでしょう。
先日、皇后様がカナダの小児病院で子守唄を歌われたニュースが好感をもって
各所で語られているようで、嬉しく思っています。
読売新聞でも西舘好子さんが「明るい光が日本にさした」と書かれていらっしゃいます。
私も偶然にテレビをつけた時に、皇后様のやさしく美しい歌声に引き付けられ、
素晴らしい交流をなさって下さっていると、涙がでる思いでした。
「ゆりかごのうた」北原白秋作詞のこの歌は、やさしさあふれる言葉で語られて
います。
私のお気に入りの2番の歌詞は
 ♪ ゆりかごのうえに 枇杷の実がゆれるよ
   ねんねこねんねこ ねんねこよ ♪

想像して見て下さい。
大きな枇杷の木には大きな葉が茂り、そこにあたたかいオレンジ色の
小さな枇杷の実が揺れている。
ゆらゆらゆれるゆりかごの中の赤ちゃんの気持ちの良さそうな寝顔を。
幸せな光景に思わず微笑みが満ちるようでしょう。

子守唄も最近は歌われなくなったと記事にもありますが、きっとどの家族にも
子供を寝かせる何らからの方法があるのでしょう。
わが子が幼かった頃、なんとしてもむずかる子供を抱いてあの歌を歌った時、
あれほどむずかっていた子供がぴたっと泣き止んで、すやすや眠った歌があります。
歌の題はわかりません。私の父が幼かった私に歌ってくれた歌なのですが。

 ♪グットバイ グットバイ グットバイバイ
  父さんおでかけ 手を上げて電車にのったらグットバイバイ ♪
軽快なテンポのこの歌、ご存じの方いらっしゃいますか?
「不思議ねえ〜」とご近所のお母さん仲間がうちも、うちもと覚えて試した歌です。

各政党のマニフェストにある子育支援のバラまき金よりも、お母さんが安心して
子供を産める病院、保育施設の充実の方が大切なのではと思うのですが、、、。


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1998.3.25 公開


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