◎風の便り花便り

6月20日
雨上がりの夜風に乗って、くちなしの香りが漂ってくる季節。
花の香りは疲れた頭や心をやさしく癒してくれる自然の贈り物と感謝して
思いきり吸って「あー幸せ」となごむ日々。
人の心の優しさや、迷いを丁寧に画いた素敵なテレビドラマを見ました。
水曜日の午後10時から放映の「光とともに」来週が最終回。
連続ドラマの途中から見たので、あーもっと早くから見ておきたかったと、残念でならない。
テーマは光君と言う自閉症児とその家族や学校、近隣の人々とのかかわり。
もし自分がその立場だったらと思うと、とても重いテーマです。
けれどこのドラマの自閉症児の両親は悩み、苦しみながらも周囲の人々に一生懸命に
理解を求め、わが子の一歩、一歩の成長を見守っていく。
取り巻く周囲の人達も偏見や同情から、やがて理解へと変わって行く。
その努力は並み大抵ではないけれど、遅々としながらも成長する主人公に思わず
こちらも「よし!そうだよ!」とつい画面に向かってかけ声をかけてしまう。
実話だそうです。
世間ではたくさんの悲しい事件が起きています。
誰の心にも事件を起こす要因があるのだと思い知らされる昨今。
人を大切にすることは自分を大切にすること。
人にやさしくなれることは自分の心もやさしくなっていること。
そんなメッセージを感じます。
演じる俳優さん達の顔が、毎週素晴らしくやさしい笑顔になっていくのは演技だけとは
思えない。
最初から見なかった人に、まだ見ていない人にも是非みてほしいから、再放送を期待したい番組です。


6月13日
  花ふたつ 紫陽花青き 月夜かな  泉 鏡花

どんよりとした梅雨空のもとに、あちらこちらの庭先や公園で紫陽花の花が
目を楽しませてくれています。
花や樹木はとても不思議な存在で、見る人のその時の心模様でいかようにも見える時が
あるような気がします。
誰でもが毎日が思うようにいく日、とばかりは限らない。
特に仕事上、やることなすことが裏目にでてしょぼんと落ち込む時や、
こちらの善意が相手につながらなくてお叱りを受けたりすると、もう気分はどん底状態。
そんな時に、ふらりと散歩にでて花や木々を見て歩いていると
「まっいいか 気にしない」とふっきれたりする事があります。
そんな気分転換の散歩の途中で見つけた花や木の名前がわからない時に、
役にたつのが成美堂出版から出されているポケット図鑑や山と渓谷社のポケットガイド。
「日本の山野草」とか「庭木、街路樹」などと各種出版されている。
ハンデイタイプなので、小さなバッグにも入る。
デジカメ片手に歩くのにも最適。
「花や木の名前を知ったからと言って、なんなのよ」と言われればそれまでですが、
ただ今人気のテレビ番組の「トリビアの泉」よろしく、無駄な知識を得る事は何とも快感なのです。
それに俳句の歳事記が加わればなお楽しい。
梅雨時には梅雨時の花が咲き、雨雲が去った夜の風はひんやりとして耳もとでそっと
ささやいてくれる。「負けちゃだめだよ」と。
そんな時、思います。やはり人はひとりでは生きられない、、、。


6月6日
  幹高く 大緑陰を 支えたり   松本たかし

木々の濃い緑色の葉が雨に濡れて、いっそう色濃く見える季節になりました。
イラクの砂漠地帯のニュースを見ていると、日本のしっとりと濡れた木々の美しさがとても有り難く感じられます。
有り難いと言えば、こんな経験をしました。
急速に変貌を遂げている臨海地帯有明で、宅建協会主催の賃貸管理士講習会を
2日間にわたって受けてきた帰途。くたくたに疲れて東京駅へ。
ちょうどサラリーマンさん達の帰宅時間と重なり、ホームはかなりの混雑。
数台の電車を待って座って行きたいところでしたが、
停車している青梅快速に乗れば時間はかなり短縮できると飛び乗った。
両手に重いカバンと本。お茶の水駅近くになると、あー失敗した。待てば良かったと後悔することしきり。
だんだんと目が回って、自分でも顔色が悪くなってくるのがわかってくる。
どうしよう、次の四谷で降りようかと思っていたら
その時、私のジャケットのすそをツンツンと引っ張る人がいる。
びっくりして目を開けると、目の前に座っていた40代後半とおぼしき男性が
「どうぞお座り下さい。」とおっしゃるのです。
数台の電車待ちをしなかった私が悪いのだからと思い遠慮したら
「無理はしないほうが良いですよ。」となんと手を取って座席に座らせてくれたのです。
正直言って、びっくりしました。
日本人の中高年男性にもこんなに優しい人がいるなんて。
日本人の中高年男性は、若い女性にはちやほやするけれど、オバサンにはいたく冷淡な人が多いといつも感じていたので。
どこのどなたか知らないけれど、本当に有り難かった。
お陰様で倒れる事もなく、無事に国分寺駅に到着。
その人が特別に心やさしい人だったのか、それとも昨今の男性はオバサンにも親切になってきたのか、
もしそうなってきたのなら、日本人の男性も進化したのだとオバサンとしては多いに喜びたいのですが。

5月30日
久しぶりに青く晴れわたった東京地方。
開き始めたあじさいの花のかたまりがいちだんと大きくなり、
あやめや都忘れの青い花々も咲き始めました。
春に輝くような黄色の花々で埋められていた公園の花壇が、
青い色の花に移りゆくとそろそろ梅雨がやってくるよという自然のお知らせ。
先日、用事で東京の下町の北千住に行って来ました。
下町とはいっても昨今は高層ビルが立ち並び、かつてのような面影はないかと思いきや、
一歩、路地に入ると家々の前に昔ながらに花の鉢が並んでいたり、
立ち話をしているお年寄りがいたりして、下町独特の人間が生活しているんだよと言うような
雰囲気が漂っていてほっとしました。
さて、「地図の読めない女」の代表みたいな方向オンチの私は丁寧な地図を片手に持ちながらも、
行けども行けども目的地につかない。
何とか自力で辿り着こうとしたけれど、足も痛くなってきてギブアップ。
ついに通りがかった中年の女性に声をかけた。
するとなんとその女性、ちょうどそっちに行くからと途中までついてきてくれた! 
そして次からの道順を丁寧に何度も教えてくれたのです。
まあたいていの人はこれから先は自力でいけるのでしょうが、
何と言っても方向オンチの私、またもや途中でどっちだった?と立ちつくす始末。
今度は通りがかった郵便配達のおじさんが「どうしたの?」と来てくれた。
「反対だよ。この道をまっつぐにいくの」とおっしゃる。
「まっつぐ」わーなんて懐かしい下町言葉。
郵便配達さんまで人情味があると感激しつつやっと目的地にたどりつきました。
「東京の人は冷たい」とよく地方からいらした方達は言います。
でも違うんですよね。
本当に東京の町にずっと昔から暮らしている人はとっても親切なの。
変わってない、変わってないと嬉しくなって、飛び跳ねたい思いの一日でした。

5月23日
小雨もようの肌寒い日が続いています。
あじさいの花のつぼみが淡く色づいて、「梅雨入りが近いよ。」とささやいているかのよう。
昨晩はそんな重い空気をさらに重くするような、
拉致被害者のお子さんの帰国のニュースが深夜まで続いていました。
5人の帰国の代償ともとれる食料と医薬品援助の巨額さに小泉総理の判断が
正しかったのかどうかは、わからない。
多分、歴史とはこのように後にならないと評価ができない事実の積み重ねなのかも
しれないと思いながらテレビに見入っていました。
そしてこの拉致被害関連のニュースを見る度に、被害者やその親族の方々の
冷静沈着で芯の通った発言に心から何て立派な方達なのだろうと頭が下がります。
みなさんが普通の人達です。
決して政治の表舞台で駆け引きをして来た人達ではないのです。
それなのに、事実を踏まえどの被害者の家族の人達にも配慮をして行動する。
普通の人が過酷な運命に翻弄されて、長い間苦しみに耐えて生きていらしたのに
それでも他の人々への配慮を忘れない優しさ。
ご高齢の有本さんのご両親や地村さんのお父様達が毅然とマイクを持って
感情を押さえて理路整然とお話になる。
増本さんや蓮池さんのご兄弟達は多忙なお仕事をやりくりして闘っていらっしゃる。
日本にはこんなにも立派な一般の国民がいることを政治家の方達は誇りに思って
ほしいとさえ思います。
人には自分の努力ではどうしようもない運命にほんろうされる事があることを
この事件は教えてくれました。
そしてそれでも勇気を持って立ち向かって行く人間の立派さも教えられた気がします。
まだまだ解決するには大変な道のりが続きそうです。
「みんなで応援していますから」そうお伝えしたい心境です。


5月12日
薄紫色のじゃがいもの花が初夏の風に揺れている。
国分寺市の南端の通りにわずかな畑が広がっていて、季節によってとうもろこし畑になったり、
ブロッコリー畑になったり、今はじゃがいも畑。
野菜の花は地味だけれど、花の形や色が穏やかで心が安らいで散歩道にはうってつけ。

じゃがいものおだやかなうす紫色の花を見ると思い出す人がいます。
ご存じでしょうか? 河西昌枝さんを。
今朝の新聞に、女子バレーの快勝の記事が躍っていました。
昨晩のスポーツニュースにも40年前の東京オリンピックで金メダルに輝いた、
当時の主将の河西さんが出演していました。
お若い方達の中には東京でオリンピックが開催されたことすら、知らない人がいるほどに
月日がたってしまったけれど、敗戦国の日本が立ち直ったことを世界に証明するべく
それこそ国家、国民あげての一大イベントの東京オリンピックがあったのですよ!
各種目の中でもバレーボールは強敵ソ連を相手に、何が何でも勝つ事を至上命令にされたのです。
鬼の大松と言われた故大松監督にしごかれぬかれた女子選手達が、
満身創痍でもう決死の覚悟で戦い抜いて優勝したのです。
その時にプレッシャーと戦い、選手達を守って、守って優勝に導いた河西さんは、
いつもおだやかで、しっかりしていました。
じゃがいもの花みたいに素敵な人だと思ったのです。
その時のオリンピックのあまりにも選手達には過酷なマスコミや国民の期待ぶりに、
それ以後はオリンピックの番組は見ないようになりました。
見ていても心が苦しくなるのです。
「そんなに言わなくてもいいじゃない。」と言いたくなるほどで。
久しぶりにテレビに映った河西さんは40年という過ぎ去った月日を忘れさせる程、
あの頃と同じ、穏やかな笑顔。
久しぶりに脚光をあびた女子バレーですが、
どうかマスコミの方々はメダル、メダルと騒がないでほしい。
言われなくても過酷な練習をしている選手達が一番ほしいのですから。
過熱報道にならないことを祈りたいと思います。

5月2日
 アカシアの 花のうれひの 雲の冷え  千代田葛彦

初夏のような汗ばむ日が続いたあとは、底冷えのする寒さが来て、
あわててセーターを着込みました。
アカシアやリラの花の咲く頃は思わぬ寒い日があったりして、
花冷えと言う言葉はなんてうまい表現だと感心しています。
先日、どうしても探さなくてはならない本があって、仕事が終わった午後7時。
駅前の大型書店の閉店にはまだ間に合うと大急ぎで出向きました。
昔ながらの本屋さんが街から姿を消して、どの駅にもチェーン店の大型書店が出店しています。
広い売場はコーナー毎に仕切られて、あふれるばかりに本が平積みされ、
仕事帰りや学校帰りの学生さんらしき人達でかなり混雑しています。
特にパソコン関連や資格試験のコーナーは立ち読みの人だかり。
活字離れが言われる昨今が嘘のような盛況ぶりです。
けれど、ここぞという必要な専門書が無い。
閉店時間まではまだ十分な時間があったので、丹念に各コーナーを廻り、設置されている検索エンジンも試しましたがやはり無い。
昔の書店街には理工学書、法律書、古文書と学者も顔負けの専門分野に詳しい店主がいたものです。
学生時代にレポートの題目を言うと、「これを読んでごらん」と何冊かの本を差し出してくれたりしたのですが、、、。
結局、2軒の大型書店をまわっても、私の必要な社会科学関連の本は見つからない。
いっぱんに売れ筋の物はあふれるほどに供給されているけれど、
ちょっと片寄った専門的な物や一部の人の好みの物はなかなか手に入らない。
商売の効率上当たり前と言えば、確かに当たり前。
けれど何か文化がないじゃない、それでは。そう思うのは私だけ?


4月25日
 げんげ田に 子が入りて先づ まろびけり  正岡子規

れんげの花は「げんげ」とか「げんげんばな」とも呼ぶそうです。
日本の農村に春になるとれんげ畑が一面に広がっていたのはひと昔前まで。
昨今はあまり見られなくなりました。
田植えの時期が年々早まり、また化学肥料の普及でれんげを田に鋤きこんで肥料にする農法が消えたからとか。
とは言え一面のれんげ畑は菜の花畑とあいまって、のどかな田園風景のイメージをかもしだして美しい。
一定の年齢層の人にとっては郷愁をそそる存在のひとつ。
毎年春になると、カレンダーの写真ではなくて本物のれんげ畑が見たいなあーと思う。
それはのんびりしたいなあーと言う思いとも重なって、憧れにも似た心情。
その願いが先日思わぬ所でかないました。
西伊豆から中伊豆へバス旅行に行ったおりに、
山あいに淡いうす赤紫の花畑が広がっているではありませんか。
一面のというほどの面積ではないけれど、れんげです。間違いない!
ワオーと喜びました。まだ作っている農家があるんですね。感激です。
その先の停車したドライブインの傍にもれんげ畑が広がっています。
ちょっと畑に入って花をさわらせていただくと甘い香りが鼻をくすぐり、あー嬉しいとまたまた感激。
旅行に行くといつも思います。
自然が豊かな山あいや海沿いはたまに旅行する身にはこんなに素敵なところはないけれど、
実際に住んでいる人達は不便という代償を背負っているのだと言う事を。
見知らぬ人達のお世話で、自然の美しさにひたれる幸せ。
山また山の、中伊豆の農家の人達に心から「ありがとう」とお礼を言わせていただきます。


4月18日
 新しき 街新しき 花水木  中村姫路

ここ数年、郊外にマンションやビルが建つと、その周辺にまだ細く弱々しい幹のハナミズキが
街路樹として植えられることが多くなったと感じます。
数年たつと淡いピンクや白の花が咲き始め、春の風に揺れる花々がなんともやさしい雰囲気をただよわせて、
そこに人が暮らしているという活気が感じられてきます。
先日、千葉県の埋め立て地に広がる巨大な新しい街並みを見る機会を得ました。
人工の真新しい街はただ広く、どこまでも高層建築物が続いていて、人のにおいが感じられないのです。
これは映画の世界? 虚構?
とんでもない所に踏み込んでしまったというような、恐怖に近い不思議な感覚に落ち入りました。
それが広くどこまでも続くような道路に植えられたハナミズキの街路樹に、
咲き始めたばかりの淡いピンクの花を見つけた時、
これは現実なんだ、人がいる街なのだとほっとした気分になったのです。
巨大なコンクリートの建築物やだだっ広い道路、もしそこに花や木がまったく無かったら
人はこんなにも不安や恐怖を感じるのだと知った時、日頃見ている木々や花々にどんなに
癒されているのかと改めて感謝しました。
そよ風に揺れているケヤキの若葉、土ぼこりに負けずに咲いている路傍のタンポポ、
あまりにも見なれた植物達だけれど、それらから多くのエネルギーをいただいていると思うと、あー有り難い!。
今年は四月なのにもう初夏の花のつつじやアイリスも咲き始めて、たくさんの花や木々
がいっせいにおしゃべりをしているみたいに賑やかになりそうです。


4月6日
    山又山 山桜又 山桜  阿波野青畝
この俳句を初めて目にした時、ウン? どこで言葉を切るの? と思い、
何度も反すうするうちによく写真で見る吉野山の山桜が、
折り重なるように咲いている光景が目に浮かんできました。
なんとまあ、言葉の響きの面白さを巧みに生かしているのだろうと感心し、
早速にその俳句の本を買いました。
書店で好きな分野の本を探すのは楽しさの極みですが、また全く興味のなかった分野の
本にも好奇心にかられる時があります。
先日、書店に平積みされていた一冊の本を手にとった時、これは面白いかも知れないと思わず買った本があります。
くもん出版の「脳を鍛える大人の計算ドリル」
小学校の低学年くらいの本当に単純な足し算やかけ算。
これを毎日続けると脳がいくぶんかは活性化するらしい。
脳の活性化?と聞いただけで私の好奇心はムクムクと沸き上り、これは買わねばと思ったのです。
算数は見るのも嫌だ。嫌を通り越して大嫌い。
高校の数学のテストの時にどうしても解らなくて、古今集の在原業平の歌をもじって
「世の中に、絶えて数学のなかりせば 私の心はのどけからまし」と書いて提出したら
なんと数学の先生は零点にしないで、この歌に30点あげるねと同情の点数をつけてくれた程に苦手。
良い先生でしょう。最近こういう粋な先生はいるかしら?
さてそんな算数嫌いだが、そんな事は言っていられない位に私の脳はもうとっくに退化の一途。
季節は桜咲く新学期、いっちょう頑張って取り組んでみようかと始めました。
事務所のスタッフ達も面白がって挑戦しています。
数カ月後に活性化した脳でバリバリ仕事をしているかどうかは数カ月先のお楽しみ。
春風に乗ってタンポポの綿毛が飛んでくる季節です。


3月28日
 桜の花 ちりぢりにしも わかれ行く
  遠きひとりと 君もなりなむ  釈 ちょうくう

連日の底冷えする寒さから一転して、東京は朝から晴れわたり、風もなく穏やかな日曜日。
待ちかねた桜の花が一気に開いて、まさにお花見日和。
あちらこちらの桜の名所はきっと大勢の人達がくり出している事でしょう。
名所一覧に載るほどではありませんが、府中市の公園や並木には桜の美しい所がたくさんあります。
連日から場所取りをしなくても、ふらっと散歩にでれば家々の庭や公園の桜が迎えてくれます。
桜の花は一本でも、桜のトンネルになるほどの並木道でも、そして満開に咲き誇っても
何故か、穏やかなやさしさと寂しさと時に凄みさえをも、漂わせているように感じます。
桜の咲く季節は卒業や退職の時期にもなるので、上記の釈さんの歌のように
ひとときを共に過ごした人と、ちりぢりになる別れの寂しさを重ね合わせる人も多いのでしょう。
机を並べたクラスメートや職場の同僚ともう二度と会わないかもしれない。
だから一期一会を大切にしなくてはと桜の花を見ると思うのかもしれません。
ご高齢の方ならあと何回見れるかしらと思うでしょう。
「サクラチル」の不合格を味わった人は来年は「サクラサク」にしようと心に言い聞かせているのかもしれません。
それぞれの人の思いの数だけの桜への思いが、この春の空にいっぱい漂っているような気がします。
一年のうちのたった一週間ほどの桜の花を存分に愛でたくて、今夜は夜桜見物と行きましょう。


3月21日
 うつうつと 雨のはくれん 弁をとづ  臼田亜浪

東京にさくらの開花宣言がでると予想されていた20日、朝から冷たい雨が降り、
昼前からは雪も混じってしんしんと冷え込んできました。
せっかく咲き始めたはくれんの白い花が思わず花弁を閉じています。
春は一進一退を繰り返し、「まだだよ、もうすぐだからね」と春を待つ喜びの期待をさせてやってくるようです。
旅行案内のパンフレットや雑誌が次々に届き、吉野山の桜や北海道の芝桜の美しい光景が
「おいでよ、きれいだよ」とささやきます。
昼休み時にスタッフ達と「どこか行きたいね、のんびりしたいね」と雑誌をパラパラとめくりながら、
気分は美しい花々に囲まれているかのよう。
けれど毎年、毎年同じ事をくり返しながら、結局は目先の仕事に追われて吉野山の桜も北海道の芝桜も
まだお目にかかっていません。
いつかね。この言葉に期待を込めて行った気になりそれだけでも楽しい。
春は不動産業は人の出入りが多く、予定は未定でうかつにスケジュールは入れられない。
もしや、まさかがいつおきるかわからないから。
どうしょうかと不安な気分で旅行しても楽しさは半減してしまうでしょう。
いつか本気でその気になったら行ける。多分ね。だから無理をしないで待とう。
待つ事は先にある楽しいことの予約だから。
机上の予約先は数知れず、ラベンダー咲く美瑛の丘もミモザ咲く赤毛のアンのプリンスエドワード島も待っててね。
「やっと来たわよー」とおばさん達のにぎやかな声が響くのを、、、。

3月14日
  土佐みずき 高きは風の 中に咲く  谷口ふみこ

春の嵐が吹き、土ぼこりが舞う3月中旬のここ三多摩。
土佐みずきやまんさく、ミモザと黄色い春の花が次々と咲き始めて花の周囲は黄色いベールに包まれたような趣き。
クサガメちゃんが5ケ月ぶりに永い冬眠からお目覚めになり、
ゆっくりと首を伸ばしたりひっこめたりと可愛い仕草を見せています。
さあー今年もお互い楽しく暮らそうねと、早速「かめのえさ」を水槽に入れたけれど
「そんなにすぐには食欲わかないよ」と言うかのようにまだ目をぱちくりしています。
3月は卒業や入学、就職の準備と忙しい季節。
そして嬉しさや辛さや悔しさやいろんな悲喜こもごもの気持ちの人が、大勢いることでしょう。
もし失敗してがっくりしている人はめげないでね。
「たたけば扉は開かれる」のですから。
この言葉は私が府中二中の卒業の時に担任の先生からいただいた「贈る言葉」です。
海援隊の歌う「贈る言葉」の一節に
 ♪ 人は悲しみが多いほど 人にはやさしくなれるから ♪
とあります。
そうなんですね。人の痛みや悲しみは分かっているようで実際に体験しないと
なかなか分からないこともあります。
人生はいつも順風満帆とばかりにはいかないもの。
失敗したときにその人の真価が発揮されることだってあるかもしれない。
中学の先生にいただいた「贈る言葉」はその後の私の人生の心の支えになりました。
あれから数十年。何度も何度も戸をたたき続けて、少しずつ戸は開いてくれています。
各地で行われる卒業式で心のこもった「贈る言葉」を巣立つ人に贈ってほしいと願っています。
あなたの「贈る言葉」の一言がある人の人生を立て直すきっかけになるかもしれないのですから、、、。

3月7日
早春の風は頬に冷たくまだまだ「春だよ〜」と浮かれ気分にはなれませんが、
季節は確実に春へ春へと移っています。
西国分寺駅南側にある広い国分寺公園では、こぶしの花が真っ白いつぼみをつけ始め、
沈丁花の花が真っ盛り。
「おおいぬのふぐり」や「ほとけのざ」も咲き始めて、お散歩が一段と楽しくなってきました。
早春の野菜はほろ苦い味が身上とかで、その苦さが冬に縮こまった体をしゃきっと目覚めさせてくれるとか。
自然の力ってすごいなあーといつも感心しています。
そんな折りに当社の原田スタッフが「ふき味噌」を作り、おすそ分けしてくれました。
ふきのとうはほんのわずかな期間にしか手に入らない、まさに季節の贈り物。
まだ20代の若さの原田スタッフが新聞に掲載されていた料理記事を見て、
今では「おばあちゃんの味」と言われる「ふき味噌」に挑戦。
それが初めて作ったとは思えない美味しい出来なのです。
昨今、デパートの地下の食品売場に行けば季節を問わず何でも出来合いの食品が手に入る時代。
手を抜こうと思えばいくらでも抜いて食卓に乗せられます。
旬や素材の良さを生かしたおかず作りがだんだんと忘れさられていると言うのに、
手間のかかる料理を作ってみようと挑戦する心が偉い!
ほろ苦い、けれどどことなくまろやかな自然の良さがしみとおった味を
じっくりと堪能させていただけた幸運に嬉しさひとしおでした。
スローフードと言う言葉がここ数年よく使われるようになり、
暮しをもっとゆっくりと丁寧に楽しもうとする人々が多くなっているそうです。
本当、そうですね。自然の恵みに感謝して、今日の一食に感謝する心。
忘れちゃいけないなって再認識しました。
今年はどこか土筆が生える土手か野原を見つけたいなあー。


2月29日
明日からは弥生三月。
今年の東京は暖冬で冬らしくない冬でした。それでも三月と聞いただけで
「春だよ 春になったよ」と何かほんわかとした気分になってきます。
早朝、東八道路の騒音をぬって、「ツピツピ」と小鳥のさえずりが聞こえてきます。
こんな排気ガスまみれの道路にも小鳥の鳴き声が聞こえる!
どんな鳥だろうとベランダに出て木々の梢を見回しても、なかなか姿は見えません。
一日中、車の音に耳をおおわれている感じの日々をすごしていると小鳥の鳴き声を聞くだけで心が癒されます。
朝のコーヒーも一段とおいしく感じられ、人は動物や植物にこんなにも癒されているのかと思う時があります。
先日、近所で飼われている小型犬のパピヨン15才が亡くなりました。
この犬は私の動物に対する恐怖心を一掃させてくれた可愛い犬でした。
遠くから私を見かけただけでも一目散に走ってくるのです。
人生を長くやっているけれど、私を見て一目散に走って来てくれる人なんてまずいない。
大きな耳をひらひらさせて走ってくる犬を見ているだけで、私の疲れた頭も体も癒されていたのに、、、。
生き物はいずれ悲しいお別れがあります。
わかっちゃいるけれど、とっても寂しかった。
私の好きなかすみ草とスイートピーの花を添えて、ありがとうと最後のお別れをした時、
生半可な事では決して涙を流さない私の目から、涙、涙。
人はひとりでは生きられない。
多くの仲間や花や動物達と共に生きているんだと実感しました。
冬眠中のクサガメちゃんはもうそろそろお目覚めかな?
待っているよ、元気な姿で目を覚ましてね。


2月22日
東京地方はここのところ日々、気温が上昇して3月下旬の暖かさ。
春の突風に満開の梅の花がはらはらと散り、名残りの香がただよってきます。
久しぶりに半日だけですが用事が無い貴重な休日が持てたので、
神代植物園に行き早春の花々を楽しんで来ました。
広い園内はまだほとんど花らしい花は咲いていませんが、
福寿草や節分草などの小さな花達が咲き始めています。
ここの熱帯植物園は私の好きな憩いの場のひとつ。
近場なのにバナナの花や椰子の大きな葉が元気に繁り、青やピンクの睡蓮の花も咲いています。
熱帯植物のたくましく、奇妙な形態の木々や葉を見ているとルソーやダリの絵の中にいるような
摩訶不思議な気持ちになり、帰る頃には持病の頭痛が治ると言う私にとっては特効薬。
木に架かっている植物の名札を見るのもまた楽しみのひとつなのですが、
そこで新発見をしました!。
よくテレビなどで東南アジアの風景といって「マングローブの林」が映ります。
水中からたこの足のような根がいくつもでている木。
私はその木の名前がマングロープだとずっと思っていました。
ところがその木には「メヒルギ」と名札がかかっています。
これはマングローブではないの? メヒルギ?
帰宅して植物図鑑を見たら確かにあのたこの足のような根をいくつもだして、
水中に林立している木の名前はメヒルギとあります。
マングローブと言うのは湿地帯の林全体の植生を言うんですね。
ついでにオヒルギと言う名の木もありました。
なるほどね、勝手な思い込みだったのね。
きっとこういう思い込みって世の中には大なり小なりいっぱいあるのかもしれない。
真実の口ならぬ真実の目を持つことって大切なのだと知りました。


2月15日
 クロッカス 幸せという 日の射して  玉木春夫

東京に春一番が吹いて、クロッカスの細い葉がツンツンと伸びてきました。
年々春の訪れが早くなり、まだ2月だというのに暖かい日射し。午後ともなるとついうとうととまどろんできます。
ここ数日、テレビでは吉野家の牛丼がついに販売停止になったと連日の放映。
鳥インフルエンザでとり肉も一部輸入停止。
我が国の食料の自給率の少なさにやっとこれでいいのか?と疑問の声がでてきた様子です。
地方に旅行に行くと休耕田の多さに驚きます。農家の庭先に鶏の姿も見えなくなりました。
田や畑は手を入れないと、やがては農耕に適さない土になるとのこと。
心あるひとならば「日本の農業はどうなるのか?」と心配になるはず。
価格安定化とか諸外国との輸出規制とかいろんな問題があるのでしょうが、日本の農地は耕作されない面積が増えているのは事実です。
多分、今の若い人達には真冬の「麦踏み」や「麦秋」という言葉さえ知らない人がいるでしょう。
二毛作とか二期作という言葉もあまり使われないようです。
ほんの数十年前の日本は田や畑のあぜ道のわずかな隙間にだって大豆を植えて、
食料確保に努めていた時代があったことを大人達も忘れてしまったかもしれません。
食料自給率が低くなると言う事はただ単に輸入が増え、日本のお金が外国に渡ると言うだけでなく、
自分達の食べるものがどこで、誰の手で、どのような過程を経て作られるのかと言う流れが目に見えない事。
食べ物が得られる有り難みさえ解らなくなってしまう恐ろしさがあると思うのです。
減作に協力して補助金をもらうシステムは農家の人にとって、こんな失礼な事はないと思うのですが、、、。
農家の人はよくインタビューでこう言っています。
自分達が作った物を「美味しいと言って食べてくれる人がいるからはりあいがある」と。
酪農家も養鶏家もきっと消費者が美味しいと言う言葉が何よりも嬉しいのでは。
今回の輸入停止を機会にみんなで食の自給について、張り合いが得られる仕事について
考えてみようよ、語り合おうよと提案したいのですが、、、。


2月8日
今年の冬はどうしちゃったの?と言うくらいに東京は晴天続き。
雨も雪も降ってこない。
受験シーズンは大雪になって、電車が遅れたりしてハラハラするのがつきものなのに。
そんな好天のせいか植物達の成長はいたって早い。
アイビーもポトスも新芽をニョキニョキと伸ばしています。
そして3年越しに育てていたクリスマスローズがついに花をつけました。当HPの巻頭の写真です。
小首を傾けて恥ずかしそうに咲いている姿は、清楚で美しいでしょう?
もう敢然に親ばかならぬ花ばか状態の心境になって、見る人達に美しさの押し売りをしている日々です。
この花との出合いは3年前。花屋さんの店先に小さな葉の鉢植えが売られていました。
ラベルには「クリスマスローズ」と書かれています。
なんてロマンチックな名前でしょう。色は白とも。
私は白い花が好き。野イバラ、雪柳、しろつめぐさなどなど。
私の葬式には白いかすみそうで埋めてほしいと知人達には頼んでいるくらいに白い花が好き。だから迷わず買いました。
クリスマスの頃に咲くバラみたいな花と勝手に解釈して花開く時を待つ事、3年。
もう咲かないのかも知れないと諦めかけていた昨年の暮れに、茎の根元が少しづつ太くなり間隔が開いてきて、
何やら芽のような形の物が見えてきた。
もしかしてつぼみ?ワクワクする毎日が続き、見て下さい!
ついに咲いてくれたのです。上品で清楚で美しい花が。
やはり植物は裏切らないのだともう感激です。
ちなみに名前は「クリスマスローズ」と言いますがバラ科ではなくてキンポウゲ科とのこと。
そして「クリスマスローズ愛好家」のサークルがたくさんあることもネットで知りました。
何にでも先達者や愛好家っているんですね。
ほんの店頭での一瞬の出合いが、ネーミングのうまさがこんなにも人の心を楽しませてくれるなんて。
名前もあだやおろそかにつけてはいけないと思った次第です。


2月1日
日だまりに咲く梅の花が奥ゆかしい香りを漂わせています。
背伸びをして枝先の花に顔を近づけると、うーん良い香り。
芳香剤が各種売られている昨今でも、梅の花の香りは今の時期にしか味わえない。
いにしえより数々の和歌に歌われる理由が納得できる程に、日本の香りだなーと嬉しくなります。

自衛隊派遣法案が野党欠席で決まったとテレビのニュースが流れています。
この国はいつもこうなのね。
60年安保も70年安保の時も、国の進路を決める大切な法案は強硬突破。
数の勝利を民主主義と思っている。
長期に渡って諄々と議論することも無く、国民に納得できる期間を設けないで決めてしまうのね。
そしてもし、戦争になったら国民には本当の事を知らせずに泥沼においこんでいくのね。
日本は戦争はしない。これは人道的支援。そう総理はおっしゃるけれど、
多くの大人の日本人はきっと、もしやまた?と不安感を抱いたと思います。
まさかまたあの大平洋戦争みたいなことが起きるのではないかと、、、。
あの時も軍部は独走した。そして国民を中国大陸に置き去りにしてしまった。
21世紀の今、そんな事はしないと政府は言うでしょう。
そして日本の国だけがのうのうと平和をむさぼってはいられないのだとも。
だからこそ、国会中継を時間を限らないでとことん放映してほしかった。
たとえ数の論理で政府与党の意見が通ったとしても、野党の意見はどうだったのか、
どんなに議員さん達が真剣に議論して、心底に国や国民の安全を思っているかを国民に聞かせてほしかった。
国民の多くは眠ってなんかいない。
「賛成多数で可決しました。」と言う河野議長の言葉に握手して喜ぶ総理や防衛庁長官以下、大勢の議員さん。
本当に嬉しいですか?本当に握手なんかしていいのでしょうか?
そして野党の議員さん。欠席しないで対抗する手立てはなかったのでしょうか?
国会は国権の最高機関、だから最高の方法を考えて示してほしいのですが、、、。
頬をさす風は冷たいけれど、沈丁花のつぼみがふっくらとふくらみ始めてもうすぐ早春。


1月25日
しんしんと寒さがつのる季節になり、多分夜間の外は零度近くに冷え込んでいるでしょう。
それでも万両や南天は元気に真っ赤な実をつけています。
冬になると植物って強い!といつも感心してしまうのですが、
植物の中には自然状態の激しい変化などに順応できずに、この世から絶滅してしまう種類もあるそうです。
東京都デッドデータブックによると、つい数十年前の多摩川の河原に行けば
どこにでも咲いていた「カワラノギク」という名のうす紫色の野菊が絶滅危惧種に指定されています。
地味でとりたてて美しいと言う程ではないけれど、多摩川の川の流れに添って風にそよぐ花は、
やさしい雰囲気をかもしだし、私は大好きでした。だからとても寂しい思い。
そんな危惧種の植物や動物を守ろうとする学者やボランティアの団体が、
さまざまな活動をしているそうですが、時遅しで絶えてしまった種も数多くあるとか。
そんな折りにイギリスの王立キュー植物園で世界にひとつだけの木になってしまった「カフェマロン」が
自家受粉に成功して白い花を咲かせたと言う嬉しい記事を見ました。
写真によるとコーヒーの花のような可憐な真っ白な花です。
延々と何百年にも渡って世界中の植物を集めたり、研究している王立キュー植物園。
その収集の仕方に時には批判もあったそうですが、
そこに予算を出し続けているイギリスという国の文化の一端を垣間見た気がしました。
目先の利益にならないところにもお金を出すという行為がさりげなく出来る国や人々は、幸せだと思います。
ちなみに東京でも公園や里山を守ろうと各地の公園や植物園などで募金をつのっています。
ほんの100円くらいから。それでも集まれば消えゆく可能性の植物や動物が生き延びられる一助になるかもしれません。
こういう運動は無理をすれば長続きしにくいもの。
ほんのちょっとした心遣いが役に立つと嬉しいな、といった気持ちで参加できたらいいですね。

1月18日
キリリとした朝晩の冷込み、頬を刺すような風が吹き、冬まっただ中。
そんな冷たい大気の中でも、東八道路の街路帯の椿の木には真っ赤な花が咲き始めました。
「こんなに寒いのにありがとうね。」と一声かけて通り過ぎたい気持ちになる程に
けなげな花で、シャキットしなくちゃねと元気づけられます。

今朝の新聞にはシャキットしない風潮を感じる記事が掲載されていました。
民主党議員の学歴詐称。
選挙の度に候補者の紹介の欄にどうして学歴が必要なのだろうといつも思うのです。
日本人は学校信仰、学歴信仰の強い国民性であることはよく感じます。
テレビのクイズ番組などでも何を学んでいるかを聞かずに「大学はどちら?」と質問しています。
本の著者の紹介欄にもご丁寧に書かれています。
選挙ともなれば誰だって自分を良く見せたいと思うのは人の常。
いくら学歴じゃないよ。実力だよとは言ってもそんなきれいごとで判断する世の中ではないことはみんな知っています。
経済的、家庭的な事情で心ならずも学歴をつけられなかった人はまだまだいるはずですし、
時には途中下車した人、そこに価値を見出せなくて拒否した人だっているでしょう。
少しでもよく見せたい一心で、見栄や体裁でつくろいたいことは否定できない事実。
仮に今回の議員が詐称であったとしても、一概に嘘つきと全面的に非難できない気持ちになるのです。
学歴尊重の「風土」とも言えるのが日本の社会の一部にある限り。
いっそ、学歴の欄を削ったらどうでしょう?
選挙にかかわらず、いろんな人物紹介欄にも。
たとえ学問的に高い素養を必要とする場合でも、別にどこの大学だとか、高卒だとかは関係ないはず。
本当に物事の真髄を評価したいのならば、、、。
勿論、そんな世間のうわっつらの評価や目を気にしない強い人もいるでしょうが、
所詮、人間は心のどこかに弱い面を持っているもの。
受験シーズンを向かえて思います。
学校って人生のほんのひとときの間。そしていつからでもまた訪問できる所なのに。


1月11日
   椋鳥の 嘴の黄色く 冬芽かな   篠原喜々

風は冷たいけれど、晴れ渡った青空が広がる東京のここ数日。
木々の枝先にはもう小さくしっかりとした冬芽が出来ています。
国分寺街道の府中よりのこぶしの並木の芽はかなり例年よりは大きくなり、
東八道路の日だまりに植えられた梅の木は蕾みがはっきりと形をつくり出してきました。
花開く春も嬉しいけれど、「咲くからね、暖かくなったら咲くからね」と言うように
寒さに耐えている冬芽を見るのも日々の楽しみです。

先日の夜、ふと手持ち無沙汰にテレビのリモコンをピッ ピッと動かしていたら思わず見とれた番組に出会いました。
お笑いタレントと称される若者達がとみに活躍している昨今ですが、
どうも日本の社会ではお笑いというジャンルは他に比べると、軽く見られがちのようで、
彼等のテレビでの扱いは、いわゆるタレントさん達の添え物に位置している感がします。
人を泣かせるよりも笑わせる方がずっと難しいと思っている私は、若い時は時々寄席に通った程のお笑い好き。
思わず見とれた番組は日本テレビの「エンタの神様」。
そこに出演する若者達のお笑いは従来のどつき漫才的なお笑いとは、ひと味もふた味も違ったシュールな笑い。
世情をしっかりと見る目がないと、とても言えないような鋭い笑い。
はまりました。かなり良いと、、、。
まずは長井秀和さん。
見た目も刑事役などを演じたらぴったりするような、ニヒルな風貌から発せられる言葉は
聞く人に思わず同感意識を植え付けること請け合い。
スタイルの良さ、なかなかの美人、そして歯切れのよい語り口の青木さやかさん。
元は地方局のアナウンサーだったとか。
そのさわやかな容貌から飛び出す言葉はこれまたかなりきつい風刺。
やるじゃない! お若いの!!
かれらの冬芽の時期は多分、かなり苦労したのでは?
そして今は3分咲きくらいの評価でしょうか。
もっともっと高く評価してあげたい。
チャンスをものにしてめげないで頑張れ! 満開に咲くまでね。


1月4日
 一つ散りて 後に花なし 冬牡丹   正岡子規

穏やかな暖かい陽射し日和で東京地方の新年は始まりました。
平凡な何ごともおきない日で始まった新年を、まずは有り難いと感謝します。
あまりの暖かい小春日和に誘われてちょっと散歩と、
JR国分寺駅前の都立殿ケ谷戸庭園までゆっくりと歩いてみました。
家々の庭に真っ赤な万両や千両が実っているのを眺めたり、
野川の岸辺に季節外れのカラーの白い花が咲いていて驚いたりと、
散歩道としてここ数年はすっかり有名になったお鷹の道はなかなか楽しい道です。
殿ケ谷戸庭園は国分寺駅前と言う立地条件にも関わらず、いつも人数の少ない静かな公園です。
築山に松、竹林のほかはわずかに季節になると季節の花が咲くだけのとりたてて何もない日本庭園。
けれどお正月の数日間は、春の七草等をあしらった箱庭や寒牡丹が飾られ、甘酒がふるまわれます。
熱い甘酒をいただきながら、雪つりの松や池の鯉を眺めてぼんやりとしていると体も頭もほっとしてきます。
今年は外国人の方達も甘酒を飲みながら、箱庭の福寿草や南天の寄せ植えを興味深げに眺めている姿が印象的でした。
日本文化と言う一つの形を、時代を超えて多少は変えながらも維持できているという事はとても素晴らしいことだと感じます。
世界のなかでは民族の歴史や文化が他民族によって抹殺されたり、表現できずに封じこめている所もあるのですから。

今年もささやかなメッセージを書かせていただきます。
お読みいただければとっても嬉しいです。



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1998.3.25 公開


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