◎風の便り花便り

12月30日
 26日の商店街やデパートはクリスマスの飾り付けが一夜にして、
お正月の飾りへと変わりました。
毎年、思います。まさに神業だと。
 テレビも年末総集編などと「師走」を意識した番組がめじろ押し、
何となく忙しい気分になり、何かしなくてはとそわしわしてきます。
 そんなそわそわ気分をちょっと休めて、心静かに反省してみようよというような
一文にであいましたのでちょっとご紹介を。
 朝日新聞の夕刊の「たまには手紙で」というコラムに小山薫堂さんが
上質な暮らしについて触れているのですが、これがなかなか含蓄のある文章なのです。
 「上質な暮らしとは朝起きてトイレに入ったとき、いつもトイレがピカピカになっている。
清潔なタオルで体を拭く。完璧な焦げ目のつくトースターで毎朝パンが焼ける。」
などと日常の何気ない事例をあげています。
 でもそれらはよく考えると暮らしている人の心の落ち着きと、当たり前の事の感謝、
そして何よりも自己の暮らしを見つめた確かな生きざまがあってのことと察せられるのです。

 今年も世間ではさまざまな事件や事故があり、ワイドショ−はにぎやかでした。
けれど本当に地に足をつけて、しっかりと暮らしている人々は自分にとって相応しい
暮らしを見つめて確かな日々を暮らしているのでしょう。
 上質の質は人さまざまでしょうが、もう一度自分の暮らしを見つめ治してみようと思った次第です。

 今年も弊社のHPをご覧下さいましてどうもありがとうございました。
スタッフ一同、良い家を造ること、お客様にありがとうと言っていただけるような仕事を
していくことを心に念じて来年も努力していく所存です。
 来年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
来年が皆様方にとってより良い年であることを心よりお祈り申し上げます。


12月23日
 冬の風がガラス窓をゆらし、 夕方になるにつれてしんしんと冷え込んできました。
見上げると木々の梢がカチカチと鳴っています。
 「今晩は彗星が見られるでしょう」と夕方のニュ−スが伝えています。
寒くなってきましたね。

 冬の夜空を見上げると思い出す本があります。
ご存知でしょうか? 「クレオ」というドイツの本を。
多分、私が最初に読んだのは50年位前。子供向けの本だったと記憶していますが。
いくつかのお話が集められて一冊の「クレオ」という題名だったと思います。

 何戦争だったか、第一次大戦か、はたまた普仏戦争だったか、の戦時下のドイツで
つつましく暮らす一家が、冬の夜空の彗星を楽しむシーンがあります。
毛布にくるまって家族が夜空を見上げては歓声をあげるこの場面が心に残っています。
 多分、読んだ当時の日本もまだまだ敗戦の余韻が色濃く残り、国民が彗星を見上げる
楽しさなんていっていられない時代だったからでしょう。

 ベランダ越しに見上げた夜空にはほんの少し、僅かな星がまたたいているばかりで、
とても彗星は見えないようです。
 府中のような都心から離れた所でも空が汚れているのか、わずかにオリオン座と金星
が見つかった程度。
 子供の頃に読んだ本は大人になってから、ハッとする程に記憶を呼び覚まして、
あ−こういうことだったのと気づくことがあります。
クリスマスプレゼントに一冊の本を送るのも、後になって喜ばれるかもしれませんね。

 日本の習慣に根づいたかのようなクリスマス。
夜空を見上げて何千年か昔をしのぶのもまた冬の良きひとときかもしれません。


12月9日
 東京地方は小春日和の穏やかな日々が続いています。
散りゆく木々の葉を眺めながら、暖かい日射しにほっとする気分です。
 市内の商店街はクリスマスソングのにぎやかな音色、そして新聞のチラシは
クリスマスプレゼントの品々の掲載で、もうとってもカラフル。
この時期は何も見てもワクワクしてしまいます。
 でも人にプレゼントをするってとっても難しいですね。
「品物じゃ無いよ、心だよ」なんて言う人もいるけれど、その心を何に託すかが
問題で。

 以前にこの「風のたより花だより」でご紹介させていただいた小説「ひとがた流し」
がNHKで土曜日の夜9時から3週連続でドラマ化されています。
ご覧になっていらっしゃいますか?
  3人の女性とその周囲の人々との友情と愛情を描いた、とても心をうつお話です。
この小説を読んでいると、人への本当のプレゼントとは、その人を心から思うことなのだと
感じます。
 でもそれは一番難しいことなのだとも考えさせられるのです。
小説の人物たちは時に手作りのおかずを、時には留守番役を、そして時には厳しい注意を
自然な形でプレゼントし合っています。
 
 自分の人生の中でこのような贈り物をしたことがあったかしら? と考えながら、
今年はクリスマスプレゼントを選んでいます。
喜んでもらえるかな?

12月2日

 敷きつめし 銀杏落葉の 上に道  池内たけし

 今年の東京の紅葉は目を見張るばかりの美しさです。
神宮外苑のイチョウ並木の美しい写真が新聞に掲載されていました。
暇が無い人や体の具合の悪い人などは紅葉の名所に行かずとも
ほんのご近所にも美しい木々はありますよ。
 例えば近くの小学校の校庭の桜の葉は赤や橙色と微妙な色合いの変化が目を奪います。
府中市の中央を貫くケヤキ並木もまた今年は黄色や茶色と、何とも輝くばかりの
色彩の変化を楽しませてくれています。

 ここ数年、排気ガスの影響なのか地球温暖化のせいか、東京の紅葉がぱっとしなくて
寂しかっただけに、毎日もうルンルン気分で家の周囲の木々を眺めては「美しい!!」を
連発しています。
 移りゆく季節に木々の美しさを堪能できることは何と幸せなことでしょう。
地球を考えると広葉樹林帯で紅葉を楽しめる国や地域はそんなにはないのですね。
広大な砂漠やサバンナ、そしてジャングルと厳しい自然環境の中で暮らしている人々は
大勢います。
 そう考えるとイチョウやケヤキ、ナラやクヌギとそれらにからまるツタの葉などに
ありがとうと言いたいほど。
紅葉した木々の下にたって空を見上げると、重なりあった葉から木もれ日が見えます。
両手を広げてそれらを抱きしめたいくらい。

 忙しくてどこにも行けない人も、身体が悪くて出かけられない人も今年は
家の近所の紅葉を存分に楽しんで下さいね。
それも無理な方には落葉の一枚も拾って「ほうら きれいでしょう」と見ていただくのも
お見舞いになるかもしれませんね。


11月25日
  錦木の 実もその辺も 真赤かな  高浜虚子
 
 
草も木も赤や黄色に染まって美しい季節ですね。
今、公開されている映画「続 allways 3丁目の夕陽」がじんわりと
人気を呼んでいるそうです。初回の「allways 3丁目の夕陽」を見て感動した私は、
嬉しいなあ、ああいう時代の映画が支持されているんだと喜んでおります。
 テレビで初回版が先日放映されましたが、それを見た若い方達が
「なんでこの映画、こんなに暗い画面なの?」と聞きました。

 蛍光灯の明るすぎるくらいの照明に慣れた若い人達には、電球の照明の時代の画面は
暗いと感じたのでしょう。
 昭和の時代を描いたこの映画はまだ戦後の貧しかった時代に、一生懸命に生きた
庶民の生活を、電球のほんわかとした明るさに象徴されるように、見る人を温かい気持ち
にさせてくれます。

 「戦後って何 ? 関ヶ原の戦い?」と答えた女子高生もいました。
確かにもう平成も約20年になろうとするのですから、昭和は遠くになりつつあるのでしょう。
 過去の世界を体験することは出来なくても人の話や映画や本で知ることはできます。
そしてそのような苦しみや悲しみはもう体験しなくて済む社会になるようにと
みんなで、考えて実践していけたらなとついついと思ってしまうのです。

 街は早くもクリスマスの飾り付けでにぎやかです。
府中では商店街のイルミネーションのコンテストがあり、毎年豪華な美しい光景が見られます。
 それはそれできれいで楽しみですが、「あ〜夕陽だあ〜」と
夕焼けの空を見上げる余裕も時にはほしいですね。


11月18日
 ここ数日の冷込みで街路樹の木々の紅葉が美しく冴えてきました。
柿の落葉がひときわさまざまな色合いを見せて、思わず手にとって眺めたくなります。
 さて季節にも四季があるように人生にも四季があるとか。
古代のインドでは学生期、学住期、林住期そして遊行期と区別され、
大体は林住期と言われる社会人としての務めを終えたあと、もっとも充実した
第三の人生を夫婦で楽しむ時期にはもう生を終えていたようです。
 平均寿命の延びた昨今、林住期はまだまだ再就職や孫育ての手伝いと家庭でも
社会でも必要とされる年代であり、同時に熟年離婚などと夫婦の我慢も限界に達する時。
 けれどいくら寿命が延び、元気な中高年と言っても身体は確実に後退への道を進んでいきます。
これを医学的には「加齢」と表現するとか。

 私が初めて「加齢」ですと言われたのは「黄斑変性症」になった時。 
そして今夏、脳梗塞で入院したときにも身体のあちこちに支障がでました。
それらを医師は「まあー加齢ですね」とおっしゃる。
 事実、自分の年齢はわかっているけれど、「加齢です」と言われると、
「もう年なんだからしょうがないよ」と言われているようで、
何とも悲しい気分になってきます。
 人間とは欲張りなもので、身体は老化の一途をたどっていても、
気分はまだまだ若いと思っているもの。
そして、華やかなりし青春時代の楽しい思い出ばかりが脳裏をよぎるのです。
 そこで「加齢」は「華麗」とも言えるじゃない!!と思い直すことにしました。
そう思ったら身体が痛ければ休み、目が回れば休み、けれど治ったら思いっきり
気分だけでも華麗になろうよってね。
 そこで私の華麗はまずはデパートのカタログから暖かそうな下着を買うことから始めました。
ちょっと高価でしたが、そこは華麗にね。(何ともささやかな華麗ですが)
 次にはどんな華麗を楽しみましょうか?

 林住期のみなさあ〜ん、自分を老い込まないでね。


11月11日
 お茶の木に白い花が下を向いて咲く頃になりました。
清楚な花です。なんとも控えめで。
お茶の花が咲き出すと今年も残り少なくなったなあとしみじみと感じ入ります。
 つい最近までは暑くて、暑くてと言っていたのにと歳月の過ぎ行く早さをひとしお
またまた感じ入ってしまいます。
 
 さて「冬の星座」という歌を知っていますか?
確か中学生の音楽で習ったような記憶がありますが。

 ♪ 木枯らし途絶えて さゆる空より
   地上にふりしく くすしきひかりよ ♪
 こんな歌詞で始まる歌ですが、メロデイーも歌詞も、寒い夜空にきらめく
星の美しさを歌いあげていて私の好きな歌です。
 最近の夜空は都心からはずれた府中市でも星はほんの少ししか見えなくなりました。
真夜中でも街路灯は煌々とついていて漆黒の闇夜などはもう想像の世界。
星座など見上げてもみつかりません。
かろうじて金星がまたたいているぐらいです。

 天の川を見てみたい。というのが私の願いで、たまに旅行に行った折りに
空を見上げるといつも曇り空に遭遇してばかり。
 冬の夜にコートを着込んで、首にはぐるぐる巻きのマフラーなどをして
あれがオリオン座!なんて体験したいなあー
勿論、ミルク色をした天の川を見る事ができたら最高!!!

 何億光年の彼方から発した星の光なんて、考えただけで素敵でしょう!
この「風の便り花便り」を読んで下さっている方は男性の方が多いようです。
夢見る男性陣よ、冬の星だよりを伝えて下さいね。


11月3日

 曇り空の日が続いたせいでしょうか、朝夕の気温は一段と冷えこんできました。
高原や山では紅葉が美しく輝いていることでしょう。
 11月2日は白秋忌。
数々の日本の美しい叙情詩を残した北原白秋は今でも人々に愛され口ずさまれている
ようです。
 今の季節なら「からまつ」なんていいですね。

 からまつの林を過ぎて  からまつをしみじみと見き
 からまつはさびしかりけり たびゆくはさびしかり

と続くこの詩は日本語の音の美しさを、そして日本人の繊細な心を歌っているように
感じて、この季節になるとふと思い出し、口ずさんでいます。

 日光や白根に旅行した時に「からまつ」の葉を落とした林を見て、
なるほど詩のとおりだとその寂しい状況に心を奪われたものです。

 さて今日、日本の教育界は世界の中で学力の低調が際立って目立ってきて、
従来の「教育国日本」の立場が崩れようとしています。
本当の学力とは何かを評論家の方々はテレビでも激論なさっていらっしゃいます。
 でもね、と私は思うのです。
教育って評論家の方々の激論の中から生まれる以前の問題があるのではと。

 ひと昔前の日本の家庭ならば、そんな豊かな家庭では無いごく普通の家庭でも親は、
白秋や芭蕉の詩や俳句などの一遍を子供に聞かせたりしていたのです。
 学歴の無い父母でも、何となく口ずさんでいたような記憶があるのでは。
日本人ってそんな民族だったのではないかしら、、、。
 急速な高度成長と共に、そしてその後の経済の低迷期を経て、
本来に日本人が持っていた心の豊かさが失われて来たような気がするのです。

 近くの畑の隅には小菊が揺れて良い香りが漂ってきます。


10月28日
 台風の雨が降り、黄ばみ始めた街路樹のケヤキの葉が舞い落ちてきます。
東八道路は季節の移り変わりを美しく見せてくれます。
 ところがどうもこの道路を通る人の中に、この美しい木々の街並には
相応しく無い人がいるようなのです。
 ここ数年来、ずっと続く盗難です。
それもわずかなスペースに花を育てている人や雨上がりに傘を干している
人達の暮らしの時間帯が解ってでもいるかのように、ほんのちょっとした
外出時間を狙って花の鉢や傘が無くなります。
それも数ある花の中でも必ず立派に咲いている鉢やブランド物の傘だけ。
かなりお目が高いようで。
 例をあげれば切りが無い程にあの家もこの家もそして我が社も被害にあっています。
交番に届けた人達もいるのですが、一向におさまりません。
 もう花を店先に置くのは止めようと思いつつも殺風景な店頭が寂しくて、
ついついと季節毎にパンジーやペチュニアなどを育ててしまいます。

 さて昨日も来春に咲くチューリップを夢見て、まずは鉢に土を入れて
一晩外に出したままにしました。
翌朝、球根を植えようとしたら鉢が無い!
まさか土だけの鉢を? もしかしたらもう既に球根が入っていると思ったのかしら?
 それにしても私が球根を買ったのをどうして知っているの?
新聞にのるような凶悪犯罪ではないけれど、日々の暮らしのなかでの薄気味悪さ。

お天道様シリーズ Part2
 昔の人は言いました。
「悪いことをするとちゃんとお天道さまが見ているよ」
そんな大人の言葉に言動を戒めて生きて来た時代に戻ってほしいなあ〜。


10月21日
 爽やかな秋晴れに柿の実が少しずつ色づいてきました。
涼しげに吹く風も気持ち良く、あー日本の秋って素晴らしいと
季節の恩恵に感謝しているこの頃です。

 ところがこの頃は季節の恩恵などという自然への感謝を忘れているのでは?と
感じる事柄に出会います。
 あの「赤福」が、そう江戸時代から続いていたお伊勢参りのお客様を廉価でもてなすと
言う企業精神のあの「赤福」がです。
 食品を扱う業者はその扱いが難しいのは事実でしょう。
売れれば売り切れ、あまれば売れ残りとなりそのへんの製造量の判断は難しいとは
思います。
 けれど年間で何千キログラムという量を再利用するのが当然の慣習みたいな作業工程
は誰でも?と疑問を抱くはず。

 デパートの物産展では「赤福」は人気の的。
私も良く買い、そして「一度は行きたやお伊勢さん」の言葉のように、お伊勢参りを
し、「赤福」の本店で食べたいものだと思っていたのですが、、、。

 「赤福」の材料になるあずきも餅米も砂糖も、み〜んな農家の方々が汗水たらして育てたものです。
そして何よりも自然の太陽や雨の恵みを受けて育った成果。
 それらの材料を手にする時に、農家の方々や自然への感謝があったなら擬装事件などは
決しておこらないはずでは、、、。
 もう一度、日本人は昔の人が良く言う諺を思い返し、暮らしを振り返ってみてはと
思うのですが。
 例えば物を粗末にしたり、人の道にはずれた事をすると祖父母などはこう言ったものです。
 「お天道さまのバチがあたる」
 少しは古きをたずねてみるのも大切ではないかな?と思ったりしています。


10月14日
 東八道路の街路樹帯のキンモクセイが香り高く漂い、道ゆく人達が花に顔を
近ずけて深呼吸をしています。
 小さな花の集合体がこんなにも良い香りを放ってくれる。
秋の素晴らしいお土産ですね。

 さてテレビは秋の特番で今年はクイズ番組が多い。これがかなり難問もあって
ただ今、私は夢中になっております。
病気後の注意事項のひとつが読書の時間は少なめに。
 その不満を埋めるかのようにクイズ番組に見入っています。
そこで気がついた事をひとつ。学歴と知識は別物だということです。
 いわゆるお笑い系と言われる昨今の若者達の中には、世間で言うところの教養ある
文化人やアナウンサーさん達を向こうに回して、文学や社会系統から数理的知識に
いたるまで、舌を巻くほどの物知りです。
 しかもきちんと理解している。この理解しているということが大切だと思うのです。
暗記して学校の受験を要領よく乗り切った人達との違いが歴然とするのですから。
 かくしてこれらの番組の常連さん達もいつ脱落していくか、必死の努力をしてい
るようで、これがまた面白さを増しています。
 若い頃、私もクイズにはかなりの高率で正解を出し、テレビを見ながら「よし私の頭も
まだ少しは大丈夫」と悦にいっていたのですが、加齢と共に今は「へえ〜そうなの」とか
「あー忘れた」という状況に変化しつつあります。
 それでも若いお笑いのタレントさんが一流大学卒を名乗る方々を次々と追い抜いていく
姿に「頑張れ!」と思わず判官びいきをしては楽しんでいます。

 意地悪婆さん? まあーそうかしらね。
でも秋の夜長、けっこう楽しいんですよ。
 秋風に萩の花が揺れて、われもこうがすくっと立って咲いている。
日本的な風情が楽しめる貴重な季節ですね。


10月6日
 さわやかな秋風がススキの穂をゆらして、一年でもっとも清々しい
季節になりました。
でも世の中はそう清々しい事ばかりでは無いようです。
 沖縄の人々が立上がりました。
12万人という大勢の人々が気持ちをひとつにして。
「集団自決」に日本軍が関与したという教科書の削除をめぐってです。
長い統治政治に耐えて耐えて生きてきた沖縄の人々の思いが、
12万人という数字に込められていると感じます。

 一度でも沖縄に行ったことのある人ならばいまだ存在する「本土」と
「沖縄」の差別感を否応無しに気づく事でしょう。
 そして沖縄の歴史を少しでも学んだ人ならば、沖縄の人々がどんなに
我慢強く生きてきたかがわかるでしょう。
第ニ次大戦は沖縄の人々の多大なる犠牲の元に終戦を迎えたことも。
 軍隊と言うところは上官の命令は至上命令で決して逆らえないことも、
ご存じでしょう。
それを戦後60年もたって何を今さら否定するかのような教科書を作成するのかと
大いに疑問をいだきます。

 起きた事実は事実として正確に記載して、これからはそうしないような社会を
作っていこうと学ぶのが歴史だと思うのです。
政治家や官僚の方々がこんな素直な問題が理解できないはずはないのに・・・。

 ザワワ ザワワとさとうきびが揺れる沖縄の人々の心が癒されるような国になることを
秋風と共に祈りたい心境です。


9月30日
 ススキの穂が揺れる季節になり、やっと秋が来たなあーと
ほっとした気分です。
 これからの季節はよそ様の庭に咲く、菊やほととぎすの花を見て歩くのが楽しみ。
こんな俳句をご存じですか?

 有る程の 菊なげいれよ 棺の中

 明治の文豪 夏目漱石の句です。
漱石の友人の大塚保治氏の奥様の楠緒子さんは大変に聡明な女性でいらして、
多くの文壇の方達に慕われた方だそうです。
 その楠緒子さんが亡くなられた時に夏目漱石は大いに悲しみ、上の句を読まれた由。

 多分、この菊の花は現在の斎場に飾られるまっすぐな茎の立派な、いかにも大輪です
よといわんばかりの菊の花ではなくて、家々の庭に咲くちょっと曲がったりしたひなび
た庭の菊の花ではなかったかと、私は勝手に解釈しています。
 そんな可憐な菊の花をたくさん入れて故人へのお別れにしたのではと想像すると、
ちょっと気難しそうな漱石さんも、心の優しいお方だったのだと、親近感を抱いてしま
うのです。
 何気なく読んでいた本のなかに見つけたこの俳句。
私はとても心に残って秋になると思い出しています。

 人の訃報を聞いたりすると、棺の中に心のこもった花をいっぱいに入れてもらえるよ
うな最後を迎えられるようになりたいものと、しみじみと思います。


9月24日
 ようやく涼しい風が吹き、ほっと一息ついた気分です。
全く持って昔の人の言うように「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものと思います。
 さて「ハモネプ」ってご存じですか?
知らない? ならアカペラならご存じでしょう。
無伴奏で合唱する、そうあれです。
 もう5〜6年前になりますが、高校生を中心とした全国コンクールが何度か開催されて
いました。
 ごく普通の明るい、そしてとってもユニークな若者達が河原や校舎の片隅で夢中になって
練習している光景は、それはとっても爽やかで私はすっかりフアンになってしまいました。
 それが今年6年ぶりにまた開催されたのです。
今年も全国から多くのチームが参加しましたよ。
審査員の先生方が涙を浮かべて聴き惚れるくらいに、みんなとっても頑張ってね。
 司会のネプチューンの3人も日頃のお笑いの舞台とはひと味違って、味のある司会。
こういう若者達が甲子園を頂点とする学校単位の大会とは違って、
同好の仲間と共に泣き笑う姿ってとってもすてき!
 高齢者には若き日の青春時代が甦り、若い人には野球や勉強以外にも夢中になれる
ものがあるってわかったらきっと自信がつくでしょう。
 負けて去る若者が勝ち残ったチームに「頑張って」とエールを送る姿も、とっても
もう素敵!!
 来年も開催してくれたら良いなあーと期待しています。
もしまた機会がありましたら是非ご覧になって下さいね。
今時の若者の価値観を見直しますよ。きっとね。
 隣家の彼岸花が今年も咲きました。お彼岸にピタット。自然って不思議・・・。


9月17日
 9月中旬になったとはいえ、ジリジリと焼け付くような残暑が続いています。

「秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」と 
藤原敏行朝臣様は有名な歌を歌っていらっしゃいますが、
この暑さ、とてもそよとした風の音などは聞こえてはまいりません。
 ただ、午後になり太陽が西にやや回ると樹木の陰が長くなったなあーと気づきます。
暑さ寒さも彼岸までと言いますからもう少しまでの辛抱とがまんしましょう。

 さて突然の自民党の総裁選挙に何だか変だなあーと思うのは私だけでしょうか?
時、あたかも社会保険庁の不手際で多くの人々が今後を心配し、
日本の未来に大きな希望を見出せないと社会調査は発表しています。
そして拉致被害者のご家族の方々の年齢は高くなり、早急な解決への努力が望まれてい
るというのに・・・。

 元総理のお子様やお孫様などの政治家一族の方々は、庶民のささやかな安定を望む声
すらご理解いただけないのではと生活感の格差を感じております。

 某テレビ番組で福田候補は「日本を誇れる国にしたい」とおっしゃっていらっしやいま
した。勿論ですとも、私も誇りに思いたいです。「日本って素晴らしい国でしょう」と。
 麻生候補は「信」という言葉をあげられました。
誠にごもっとも。本当に国民は政治家を信じたいのですぞ。
国民のために身を途して頑張って下さると。

 まあー ちょっと皮肉りたくなってたわいごとを申してしまいまして・・・。
そろそろ彼岸花の咲く頃、暑さにくたびれた体力を振り絞って庶民は頑張りましょうね。


9月9日
 各地に甚大な被害を残して台風が北に去りました。
被害者の方々は復興に大変な事と存じます。
 そしてまた暑い日射しが戻ってきて、東八道路の街路樹では蝉が最後のひとしきり
と言わんばかりに鳴いています。
 秋風が待ち遠しいですね。
さて1ケ月、本欄をお休みしてしまいました。
どうしたの?と言う温かいお気持ちのお問い合わせに感謝しております。
 実は筆者もこの暑さに耐えきれずか、持病が悪化しまして約1ケ月間、入院生活を送っておりました。
ただ今、退院して少しずつ元の生活に慣れるようにしているところです。
  さて入院して昨今の病院事情を初めて知りました。
病院の看護士さん達スタッフの方々の献身的な態度にまずは頭が下がる思いでした。
そして次に、日本が高齢化社会にまさに突き進んでいることを実感したのです。
 認知症の方々がいかに多いか。
介護をする病院のスタッフの方々も大変ですが、ご家族の方々のご苦労もいかばかりかと
胸がふさがれる思いをいだきました。

 明日は我が身、そんな言葉がまさに実感です。
福祉や介護費用を消費税からなんてあいまいに徴収しないで、はっきりと福祉、介護料として予め、
税金で徴収したほうが支払った分はいずれ国民に返ってくると納得するのではないかと思った程です。

 今、日本の国はかつてない高齢化をむかえています。
あらゆる角度から検討していかないと、この国は大変なことになると感じた今夏でした。
 秋風にススキの穂が揺れるそんなのどかな日本の景色が、のんびりと眺められる国になることを
祈りたいのですが、、、。


7月29日
 東京地方は30度を越す暑い日が続いています。
さるすべりの花が炎天下に咲き誇り、その逞しい生命力にはすごいなあーと
ただただ感心するばかりです。
 夜空の花、花火。
昨日の日曜日は隅田川の花火大会でした。
夜空に咲く大輪の花火を屋形船から眺めるという機会に恵まれて、花火を堪能してきました。
 その時、人は感動すると思わず、うあわーと叫んで拍手をするものだと気づきました。
よく講演会などにいくと、司会の方が「皆様、盛大な拍手をお送り下さい」といいます。
いつもその言葉が私には何かとてもむなしく聞こえていました。
拍手したかったら、言われなくてもするのに、、、と。 

 本当に感動する時は人は催促されなくても自然と拍手と歓声をあげるものなのですね。
1時間あまりの間に屋形船から沿道の人々から、橋の上から大きな拍手と歓声があがり、
花火大会を主催した人々はどんなにか嬉しかったことでしょう。
花火師の方達の一年間の努力が報われた結果を共に喜びたいな、そんな気持ちになりました。
何ごとも地味な準備があってのことですものね。

 花火の後の東京の夜空にまあるい月が輝いて、隅田川の川面を吹く風が心地良いひとときでした。


7月22日
 余震の続く新潟地方の方々の不安は並み大抵ではないとお察し致します。
雨や地崩れの不安に怯え、仮設での共同生活と心身のお疲れはピークに達して
いらっしゃることでしょう。
 そんな中で人間っていいなあーと温かい気持ちになるニュースが報道されています。
過去に地震の被害にあわれた神戸や山古志村の方々が応援に駆けつけているとのこと。
炊き出しで温かいお味噌汁やおにぎりが配られ、手作りのお漬物が添えられている由。
疲れた時、心が寂しい時、日本食の原点とも言えるおにぎりとお漬物。
どんなにか嬉しかったことでしょう。
 そして何よりもさすがに経験した方達の配慮だと感心したのは、仮設住宅等に
行くに行けない方々への援助まで心掛けているとのこと。

 政治家の方々もこのような庶民の心からの応援を見習ってほしいですね。
失言では済まされない閣僚の方々の物言えば唇寒しというような、虚しい言葉に聞く側は
「どうせ、議員さん達は庶民の暮らしなんて何にも解っていないのよ」と思うばかりですから。
 庶民の底力のある日本の国ですもの。
助け合いの精神が行き渡っている風土のある日本の国ですもの。
政治家の皆様! どうぞこの国民を、この国土をしっかりと守って下さる政治を心掛けて
下さいと期待したいのですよ!!!
 真夏の花の夾竹桃が咲き始めています。

7月16日
 ゴッホの絵にそっくりな花の形をしたひまわりを散歩道で見つけました。
何個ものやや小型の花をいくつもつけたあのひまわりの絵のような。
 ゴッホもきっとこんなひまわりを見て創作意欲をわきたたせたのかな?と足を止めて
つくづくと眺めました。
 自然は四季のうつろいの美しさを堪能させてくれる有り難い存在ですが、
一転するとまた自然の脅威はすさまじいもの。
大型台風が雨と強風を伴い到来して、各地で被害が続出しています。
人と自然との闘いは永遠の問題なのでしょうか?
 おりしも参議員選挙の運動中です。
国政は国土や国民を守ることも大切なテーマのはず。
年金問題も勿論重要なテーマですが、もっと広い視野にたって、国の問題を
論じてほしいなとも思うのです。 稲が水につかり、果物が風にもぎとられ、
家が壊されて途方にくれている人々の顔がテレビ画面に映し出されると、本当に
お気の毒の一言で片付けてはいけないとつくづくと感じてしまいます。

 この欄をお読み下さっている方からよく言われます。
「選挙と敗戦については必ず書きますね」と。
私は戦後の混乱期に生まれ、選挙権が成人国民全員に獲得された貴重な時代に育った者の
一員として、これらの事を若い世代に伝える義務があると思うのです。
 選挙に行きましょうね。
よ〜く考えて国の未来を、現実を考えましょうね。
長い闘いの歴史を経て、やっと国民みんなが選挙に行けるようになったのですもの。
その闘いで多くの人々の命が失われた事を忘れないようにしましょうね。


7月1日
 空梅雨もようのうっとうしい日々ですが、夜になると一陣の風がクチナシの花の香りを
乗せて吹いてきます。
しのぎにくい季節にも自然はこんなプレゼントを与えてくれるんですね。

 さて弊社が所属している不動産業界の団体である全宅連東京支部に
今年、レディス部が誕生しました。
21世紀の時代に男も女もないとは思うのですが、そこは何と言っても依然と
男が威張っている日本の社会? (異義を唱える方はかなり恵まれている方と思いますが、、、)
仕事の中で女性故に辛い思いをしている方も大勢いることと私は思います。
 そんな女性達がお互いの知恵を交換したり、時に楽しく勉強しあうのは
素晴らしいことと考えて早速に参加しました。
 第一回の勉強会はマナーについて。
これが実に楽しかったのです。女性講師の人を引き付ける話術が素晴らしい。
 ほとんどの人がみんな知らない同士、その人達を一瞬にして仲良しにしてしまうような
プログラムなのです。
 例えば隣の人を花に例えるならとか色に例えるなら?と初対面の人同士が
お互いを見つめあうチャンスにはうってつけの質問。
講演会の終わりにはつい1時間前には見ず知らず同士が次回の再会を約束するような
関係にしてしまうのです。

 人間というものは不思議なものです。
例えわずかなひとときでも自分の事を良く見てくれる人には親しみを覚えます。
それは一緒に過ごす時間の長さでは無く、過ごした内容なのでしょう。
そんな事を考えさせられた楽しいひとときでした。

 ふと見上げた柿の木には小さな小さな青い実がついています。 


6月24日
 まとまった雨が降らずに、いよいよ真夏の水不足の心配が現実味をおびてきました。
ペットボトルの水の買い置きをしておこうかしらと言った話さえ交わされています。
 降れば降ったで洗濯物が乾かないと言い、降らなければ水不足と、
まあー何と人間は文句の多い種族なのでしょう。

 毎日、近所の家で飼われている犬が弊社に立ち寄ってくれます。
犬好きのスタッフ達が、やさしい声をかけて撫でるのを待っていてくれるのです。
 暑いの寒いのと文句も言わずに(犬の本音を聞いてみたいのですが)、
じっとスタッフが気づくのを待っている姿に「見習わなくてはねー」とは思うのですが・・・。
 さてそんな犬のしんぼう強さには遠く及ばない私は、これからの暑い日々が何よりも
辛いのです。
 エアコンがあるじゃない? と言われますが、エアコンの効いている部屋から
効いていない場所への移動さえ体にこたえて夏はまさに休暇をとって涼しい避暑地にでも
行きたい気分となります。
 そんな贅沢は許されない身。せめて仕事が終わった後は気分が集中できる読書が楽しみです。
 本欄を読んで下さっている方の中には私がお薦めの本を必ず読んで下さる方がいらっしゃいます。
そこで今回も寝苦しい夜にお薦めのほんのご紹介を。
 眠れない時は限りなくファンタジーな世界がお薦めです。
童話とも大人の読み物とも区別がつかないような。
 柏葉幸子さんの「霧の向こうの不思議な町」そして梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」
という本はまさにピッタリですよ。
 小学生も十分に読める内容や文体、けれど大人にも満足感十分な不思議な世界。

 今日も清水ヶ丘のお瀧神社に寄って雨が降りますようにと願ってきました。
後は読書の世界でも楽しむとしましょう・・・。


6月17日
 連日、東京地方は真夏のように暑く、外にでるとジリジリと肌が焼けつくようです。
あわてて日傘を引っぱりだして夏の日焼け対策を始めました。
梅雨入り宣言したばかりなのに、雨雲はどこにいってしまったのでしょう?

 こんな暑さに弊社の社長が育てている夏野菜達は急激に成長して、
キュウリやナスが連日収穫されてきます。
せっかくの収穫物ですから、なんとか社員一同、そして仕事仲間達で
美味しくいただいているのですが、なにしろ収穫時は一度にどっときます。
 そこで無駄無く保存する方法はということで、ホームページの料理集が大活躍。
昔なら本屋さんに行って料理本を買ってくるのですが、昨今は気に入った
ホームページをプリントし、さらにコピーして皆に渡すという何とも有り難い時代の
恩恵を享受しております。

 そんなわけで本離れがしきりに言われておりますが、それはそれなのでしょうか。
私がよく行く国分寺駅ビルの本屋さんはいつもレジに行列ができる程に混雑しています。
「はいお次の方どうぞ」とベルトコンベヤーに乗っていくように会計を済ませます。

 町の小さな本屋さんが姿を消し、駅前の大型書店にあらゆるジャンルの本が
置かれるようになりました。便利な事この上ないのですが、いつもレジの番をする
本屋さんのおじさんやおばさんと世間話のひとつもしながら本を買うという楽しみも消えました。
 本屋さんから書店へと呼び名も変わって、それと同時に人と人とのコミュニケーションも
薄れていくような寂しい思いをしています。
 時代の便利さを享受しながらちょっとわがままだとは思うのですが・・・。




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1998.3.25 公開


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