◎風の便り花便り

6月23日
府中市新町の建築現場に写真を撮りに行こうと自転車を走らせていたら、
関東医療少年院の近くにひときわ鮮やかな赤や橙色の花が目にはいりました。
えっ! もしかしたらノウゼンカズラ? でもまだ6月、ノウゼンカズラは夏の花。
真夏の太陽に照らされて松の木などに絡み付いて咲く、妖艶な印象の花なのに、、、。
季節はここ数年、早く早くと先を行っているからもしかしたら?と、
自転車を停めて近付くとまさにノウゼンカズラの花。 

温暖化のせいか路地の植物も少しずつ、早く早くと咲くようになり、
従来の旬がどんどんと変わっていくのを感じています。
そのせいか旬のものを見たり味わったりする感動が薄れてきて、物を粗末に扱ったり、
味わったりしているようで、いろいろな「物」達に申し訳ない気持ちになっている昨今です。
せっかく地上に育ってくれた植物や動物が人間の手にかかり、添加物をたくさんあびて、
挙げ句の果てには安全基準をオーバーしていると言われて廃棄される。
もったない。こんなことしたらいけないのにと切ない気持ちになります。
食事の時に原材料を作った人や、調理した人に・・・。
また、現在のこの一食をいただける有り難さを「いただきます」という美しい日本語に
感謝の心をこめて表現した先人にも「こんな世の中にしてごめんなさい」と謝りたいほど。

実は、あるフアミリーレストランをひいきにしていました。
そこは経営者が食材にこだわり原材料に有機野菜を使っていることを売りにしていたから。
一度でも家庭菜園やベランダ園芸をした人なら、殺虫剤を使わずに有機農法で野菜を
作る事の難しさを知っているでしょう
その苦労をいとわずに安全でおいしい野菜を作り、
提供しているとはすごい経営努力だと単純に感心し、且つ信用していました。
ところがそのフアミレスの食材に基準をオーバーしている食品が摘発され、
好物だったメニューが消えました。
裏切られた怒りよりも悲しい気持ちです。

一度にたくさんの物を大勢の人に、ある程度の価格で提供する。企業利益も乗せて。
過当競争のフアミレス界です。経営者の苦労は並み大抵のことではないことは、
想像できます。でもしていいことと、いけないことはあるでしょう?
今回の件のみならず、今の日本には人として、してはいけない最低のラインすら
守れない人々がいることが、本当に悲しいのです。
早すぎず、遅すぎず、時のままに自然にあるべき姿をいただくことが、
本当に有り難いことなのだと思うこの頃です。


6月16日

紫陽花の花色が日々美しくなり、いよいよ梅雨本番。
雨が降ったり止んだりして湿度の高い毎日が続いていますね。
今週もWカップのお話をさせて下さい。
欧州の乾燥した空気に慣れているwカップの選手の方々にとっては、
この湿度がたまらなく不快だと放送されています。
ここ数年の日本は亜熱帯?と思う程に、暑くじっとりとした気候になりつつあるのですから、
涼しい乾燥した空気の土地で生まれ育った選手にとっては耐え難い事でしょう。
世界を走り回るスポーツ選手にとつては各地の気候に慣れるのも、
トレーニングのひとつなのだとテレビの画面を通して実感させられています。
そしてサッカーを見る度に興奮と共に我が身を反省させられているのです。
このスポーツはなんと頭と神経を使い、且つ精神の強さを要求されるものかと。
敵の動きを見ながらボールを追い、そのボールの行く先を予想しながら、
それをキャッチしたら味方のどこに流すかを瞬時に判断する。
さらに自分の周囲には敵がぴたっとはりついて来る。
時には審判の目を盗んで、敵のユニホームを引っ張ったり、背中を押したり、、、。
短気な人なら思わず「さわるな!」と怒鳴りたくなるでしょう。
絶対に私ならカッカと頭に来て喧嘩になり、レッドカードをもらう事は確実。
それなのにです。わずか20代前後の若者がそれらの諸条件のもとで、
世界中を走って活躍しているのです。
しかも活躍の場を与えられる選手はほんのひとにぎり。
控えで終わる選手の方が多い。やけになったり、ひがんだり、落ち込んだりと
普通ならなるでしょう。
今回、大活躍しているGKの楢崎選手もずっと川口選手の控えでした。
耐えて、耐えて掴んだチャンスを活かす。偉い! あなたは偉い!と誉めてあげたい。
地味であまり目立たないけれど大切な時に力を発揮する明神選手も偉い!
などとみんなを誉めてあげたくなるのです。
青い波のごとくに揺れるサポーターの応援だって素晴らしい。
「今時の若者は」と苦言を呈している大人は毛嫌いしないで見てほしいと思う。
きっと「たいしたもんじゃないか」と口元がゆるんだりすると思うのですが、、、。


6月10日
初夏の強い日射しに木々の緑がきらめいて、まぶしい季節になりました。
ご覧になりました?  Wカップの日本選手達のまぶしい程の笑顔!
対ロシア戦での試合中の汗を滴らせて引き締まっていた顔が、
勝利の瞬間にはもうはちきれるばかりの笑顔、笑顔。
きっと、日本中のサッカーフアンは飛び上がって喜んだことでしょう。
野球全盛でまだサッカーがあまり認知されない時代から応援していたフアンの方達なら、
もう涙がでるほどの嬉しい瞬間だった事と思います。
「良かったね! 本当に良かったね」とテレビの画面の彼等に拍手しています。

世のおじさん達は言っていました。
 スポーツ選手の髪が長いなんてとんでもない。
 金髪や茶髪とは不良じゃないか。
 ゴールしたら大騒ぎして抱き合うとは何ごとか。
スポーツ選手は坊主頭で、勝っても嬉しい表情は出さないものだと言う
従来型の考えの方々にとっては彼等の態度は許せなかったのでしょう。

おばさんの私はその度に思いました。
 髪の色を染めようが、ロングへアーだろうが、ゴールして飛び上がろうが、
 いいじゃない。
 素敵な自己主張でしょう。活き活きしていて人間らしいじゃない。
 選手が外国のチームに移籍することだって狭い日本の中だけにいるよりも
 素晴らしい経験でしょう、、、どうしてそんな狭い了見で見るの?

批判や重圧に耐えて運営してきた事務方の人々も、美しい芝やサッカー場を作った
方々も、みんな選手達と同じように感涙しているでしょうね。
無事にWカップが終わる事を祈りつつ、まずはおめでとうございます!!!


6月2日
梅雨入り前の東京は強い日射しになり、日傘をさす人の姿が多くなってきました。
青葉のきらめきに、初夏の訪ずれを感じる頃ですね。
先日、上野の森に改築された国立西洋美術館に久しぶりに行ってきました。
上野動物園の開園120週年記念や、各種の展覧会と重なり、
相変わらず修学旅行生が多いにぎやかな上野。
ゆっくりと好きな絵を堪能し、幸せな気持ちになって館外に出て、
「ついでに公園でも散歩しよう!」とウキウキ気分で公園に向かってびっくりしました。

いまだ日本の不況は続いているのだと思われる光景を見てしまったのです。
昔から上野はいわゆるホームレスの方々が多いことで有名でしたが、
以前に見た光景とはあきらかに異なっている方々が多かったのです。
きちんと背広を着て、元はホワイトカラーでかなりの地位があったのでは?
と推測されるような雰囲気の方が、畳の上敷きなどを敷き、
多分数枚の着替えでも入っているであろう紙袋等を
そばに置いて、新聞や本を読んでいるのです。
その人数はかなりでした。

リストラか、家に居られない理由があるのか、
それぞれに公園に寝泊まりせざるを得ない理由があったのでしょう。
本人も家族にも、他人には言えない辛さがあったのではと想像すると、
胸が苦しくなる思いがしてきます。
長い人生には予期できない事が数多くあるものですが、
野宿するまでに追い込まれた過程とは何だったのでしょう、、、。

家のローンや子供の学資にやりくりしている位の苦労とは、
比べものにならない「何か」を背負っているのでしょうか。
彼等の背中を見ると、誰にだって明日は我が身になる可能性があるのかもしれないと、
不安感で気持ちが沈んできました。
ロダンの「考える人」の像のそばには青い紫陽花の花が咲いていた5月の末の話しです。


5月19日
和歌(やまとうた)は、人の心を種として
万(よろず)の言の葉とぞなれにける。

これは古今集の序の文章ですが、日本には言葉に対して「言霊」と言う
ある種の特別な力を感じたり重きをおく考え方が古くからあるようです。

一般には、もっとも美しく正しい言葉を使用するのが、
NHKのアナウンサーであるとも考えられているそうです。
ところが最近・・・気づいてしまったんです。
言葉の力を発揮すると言われているNHKのアナウンサーよりも
遥かにすばらしい言葉の使い手がいることを。
視聴者に対して画面を通り越して何かを伝えてくるんです。
ご自身でそのことに気づいている様子は全く感じられないのですが・・・。

その人とは・・・。
NHK総合テレビの水曜日午後11時15分から始まるシリーズ「わたしはあきらめない」で
聞き役を努めていらっしゃる長嶋一茂さんです。

内容は、各界のとっても頑張った人の思い出のシーンを元に、
どんなに苦労してそこから立上がったのかを聞く番組なのですが、
彼はゲストの苦労話を真剣にじっくりと聞き、
素直に感動し、時にはあまりの感動に言葉が出ず、
ただジッとゲストの顔を見続けるだけの時もあります。
傍にいるアナウンサーがその沈黙の時間を埋めるべく、
言葉を挟むことがよくある程、長嶋さんはじっと見つめ続けるのです。

でも、その沈黙がゲストの話しに対してどれだけ感動しているのかを現わすには十分であり、
「そのゲストの頑張りもすごいものなのだ!」とこちらは感じてしまうのです。
多分、台本もあるし、リハーサルもしているのでしょうが、
沈黙シーンのままに番組を流すNHKのスタッフも偉いなと思って見ています。
素直に、純粋に物事を受け止めるピュアな心は時にはどんな言葉よりも勝る事を、
長嶋さんは教えてくれた気がします。
偉大な野球人を父に、才色兼備な女性を母に持ったために、
どんなに頑張っても「長嶋さんの子」というレッテルを貼られてしまい、
彼の持つ力を過小に評価していたのかもしれないと思ってしまいます。
巨人軍時代に練習嫌いとか、のんきすぎると批判されていた彼はもしかしたら、
ものすごい重圧と戦っていたのでは、、、。
「そうなんだよなあー もっとがんばらなくちゃいけないんだよねー」と
素直に自分の事を振り返る彼は
この番組のタイトル「わたしはあきらめない」に、もっともふさわしい人かもしれない、、、。


野イバラの白い花が多摩川べりに咲き出した、もう初夏のような日射しです。


5月12日
 夢はいつもかえって行った
 山の麓のさびしい村に
 水引草に風が立ち
 草ひばりのうたひやまない


五月のさわやかな風が木々の間を吹き抜ける頃になると、
大好きな詩人立原道造の詩がふと心によぎり、本棚から彼の詩集を取り出します。

立原道造の詩はやさしく穏やかな、時に寂し気な言葉で木々や草花、人の心を歌う独特の世界。
セレナーデを聴くような言葉の流れに、一度足を踏み入れたら抜けだせない様な気持ちにさせられます。
いま、木々の揺れる音も、草ひばりの鳴き声も聞こえない町中に暮らしているのに
彼の詩にちりばめれた優しい言葉の響きは、あたかもそのような自然の中に
身を置いているかのような、安らぎを覚えるのです。
中学生の頃に教科書に掲載されていた上記の詩に接して以来、立原道造ファンになりました。
最近は大型書店に行っても詩や短歌のコーナーはほんの少しで、
好きな詩人や歌人の本もなかなか手に入りにくいのが現状です。
一方では同人誌はさかんに作られているそうですから、
出版業としてはそんなになりたたなくても、詩や歌を愛する人は多くいるのでしょう。
伊藤園の「おーいお茶」の俳句募集には多くの若い人達の応募があるそうです。
携帯電話を片時もはなせない若者が、俳句を作る姿は想像しただけで楽しくなります。むしろ、ショートメールを頻繁に使う世代の方が俳句作りに向いているのかな??

一日の仕事を終えた。
全てうまくいったわけではない。
多少のトラブルは未解決。

でも、まぁーちょっとの時間だけでも詩集をパラパラとめくり、
仮の世界に身を置くのも、時にはいいものです。


5月5日
ここ数日、日射しが強くなり、例年より半月程も早く初夏の花が次々と咲き出してきました。
国分寺街道添いの東側に空に向かって咲いていた桐の薄紫の房状の花が、
はらはらと風に舞い散り、国分寺駅にほど近い川のほとりの藤棚の藤は
地に向かって花房を垂れ下げて咲き、微風に揺れています。
同じ薄紫の房状の花でも桐は空に、藤は地に向かう。
自然は何て面白いのだろうとしばし見入ってしまいます。
ひとくちに花とか草と言うけれど、花と言う名の花はない。
草と言う名の草もない。
みんなそれぞれ違うけれど、それぞれ個性があって面白いなと、、、。

ここのところ、新聞などで学校週5日制の話題がよく報道されています。
こういう学校教育の話題を聞くたびに思うのですが、
日本の教育の一番の弊害はみんな一緒という一律主義ではないのかしらと、、、。
専門家でもないのに偉そうにと、いわゆる有識者の方々から非難されるかもしれないけれど、
教育を受けるのは、あるいは既に受けたのは素人達。
だから本当の姿が解る気がするのです。
「ゆとり教育で子供達の負担を少なく、伸び伸びと」と文部科学省は言うけれど、
現状の授業には物足りない、本当はもっとレベルの高い内容をこなせる生徒もいれば、
とてもついていけない生徒もいるはず。
けれど、建前はみんな一緒を良しとしています。
ひとりひとり、異なる能力と個性を持っていて、科目の進度もまちまち。
だから中学生と言えど、中には算数の九九すら出来ずに。
かいもく授業が理解出来ない生徒もいれば、
微分、積分の域を学習する能力のある生徒も退屈な時間をじっと耐えていたりするのです。
これは相互にとって辛い事です。
「人と異なることは決して悪い事ではない。みんな違って当たり前」と
見栄や体裁を思いきって捨てれば、学校が楽しい所になる可能性はかなりあると思うのですが、、、。
その場合、現場サイドの混乱や教師の負担増が言われますが、
もうすでに小学校から授業崩壊が言われ、教師は以前からずっと大変なのだそうです。
だから差別や区別と言わずに、「違う個」を認める教育をする国になってほしいなと願うのです。

そんな事を考えながら夏に地に這って咲くポーチュラカの苗を植えました。


4月29日
明るい日射しのなかで新緑の若葉がキラキラと輝く、美しい季節になりました。
大型連休で各地の行楽地は大にぎわいだそうですね。
テレビでは海外に行く家族連れで大変な混雑ぶりの成田空港が映されています。
不景気だ、リストラだと何だかんだと言っても生活を楽しむ人は多いようです。
その一方、連休はかえって忙しい仕事の方もいらっしゃるでしょう。
他人が出かけるのを見ると「取りあえずどこかに行かないと」とつい思ってしまう。
でも、ものは考えよう。休日イコールお出かけとは限らない。
時にはひとりになり、何かを考えるには絶好の休日だってあると思う。

日本の国は今、国会が構造改革だ、秘書の報酬問題だとごちゃごちゃ勢力争いをしている。
それでも国民は暴動も起こさず、表面上はおとなしく暮らしている。
各自の暮らしに多くの問題を抱えていてもじっと耐えて。
そして時には永田町の予想を裏切った行動にでる。
保守的と言われる地域の徳島知事選と新潟補選の結果は、
永田町の感覚では計れなかったかもしれない。
けれど、おとなしいと思われる国民でも、
ちゃんとこれからの国づくりを任せるには誰が適しているか考えていた、、、。
「国民を侮ってはいけないよ」と言う結果を突き付けて。

多分国会議員さんになると、議員さん達の常識が一般には通用しがたい事だと
解らなくなるのかも知れない。
だからもし議員さん達に連休があるのなら、永田町から、選挙地盤から全く離れた
所に議員バッジをはずして出かけてみてほしい。
バッジの威力を持たない、一個人になると今迄見えなかったものが見えるかもしれない。
「ひとりしずか」の花の咲く頃です。


4月21日
あまりに早い暖かさの訪れに草木はいっせいに「早く咲かなくっちゃ」と焦るがごとく、
にぎやかに咲いています。
こでまりの白い花の塊はやや小ぶりながら、ちゃんと「こでまり」らしく咲き、
からたちのやわらかい枝先にも白い花が開き始めました。
白秋の歌の
♪ からたちのとげは痛いよ ♪ 
とまではいかない、まだ黄緑色の枝先にもう白い花が咲いている。
「どうしたの? ちょっとゆっくりいきましょうよ」と、
季節の過ぎ行く早さにストップをかけたい心境。

夜のプール通いを運動不足解消を更に解消するべく、30分かけて歩くことにしたら、
今迄見ていた車の中から見る街とは違った物が見えることに気づきました。
目線と言うのでしょうか、見る範囲と言うのか、、、。
騒音と排気ガスの充満する東八道路や府中街道にも、
道ばたのわずかな土にしがみつくようにタンポポが咲いていたり、
「あれっ こんなお店いつ開店したんだろう?」と気づいたり。
でもそれまでは何のお店だった?と考えると思い出せない。
一軒のお店が閉店するにはそれなりの理由があるはず。
お店を閉めようと決心した時は辛かったでしょうねと想像してしまう。
一見変わらない様に見える人々の営みにも、
日々悲喜こもごもの生活があるのだと何か複雑な気持ちになってくる。。
「目線が違うと見えなかったものが見える」これは深い意味があるのでは、、、。
例えばいつも料亭で会食する一部の国会議員さん達には、
スーパーの夕方の特売を待って買う庶民の夕食は想像できないでしょう。
お迎えの車で出社する経営者にはラッシュアワーの息苦しさは解らない。
現状の歩道の段差の多さも車椅子を押してみないと感じない。などなど。
時には他者の目線を体験することって必要だなと思いながら歩く春の宵です。


4月14日
百花繚乱、まさに花咲き乱れる春真っ盛りの季節になりました。
街路樹の淡いピンクや白の花水木の花が風に揺れ、
黄色い花の山吹の枝がそよそよとたわむ穏やかな春の日々。
それでもまだ時々、ひんやりとする「花冷え」のする日もあります。
「花冷え」と言う言葉を知った時、なんて美しい言葉だろうと感心しました。
北海道ではリラの花咲く頃に冷える日は「リラ冷え」と言うそうです。
この言葉も美しいとまたまた感心しました。
日本語には微妙な変化を適格に表現する語彙が多いのですね。
言葉一つで人に与える印象もかなり違ってくるものと思います。
新しい生活にスタートなさった皆様はそろそろ環境の変化に慣れてきたでしょうか?
普段なら言う人も、聞く人も当たり前の言葉でも緊張した立場の時は
かなり受け止め方が異なってくるものです。
先輩諸氏のちょっとした言葉の端々にドキドキしたりするかもしれませんね。

「くちばしの黄色いくせに。黙って言う事をきくものよ」
「女に大事な契約書を読んでなんかもらいたくない。男に変えろ」
これは、私が働きだしたばかりの頃に受けたかなりショックな言葉です。
今より女性の地位がかなり低く、まだ女性はお茶汲みや使い走りにされていた時代。
勿論、現在はこんな言葉を使う先輩はいないでしょうが、
同じ内容を言うにも言葉ひとつで受け取る側は勇気がでたり、落ち込んだりするもの。
年の功を活かして若い方々に接していかないとと改めて思う春の候です。


4月7日
時折、春の突風が吹き肌寒い日もありますが、
葉桜になった並木道のそばではツツジが咲き始めてきました。
初夏の花の鈴蘭も小さなつぼみをつけた芽をつんつんと突き出して、
「あったかぁい!!」とがまん出来ずに咲き始めそう。
入社式の模様がテレビで放映される季節です。
毎年、恒例のごとく放映される4月の新入社員の研修の様子は
各社、各様で「こんなことまでさせられるの?」とびっくりする研修もあります。
見ている側は単に笑ってしまったけれど、やらされる新入社員はさぞ驚いたことでしょう。
もっとも何でもマニュアルを頼る現代の若者は
「新入社員の研修」なんていうマニュアルを既に入手していたかもしれませんが、、、。
バンジージャンプあり、マラソンあり、グループごとのゲーム競争あり。
昔ながらの研修はしないで、即現場派遣でその場が即研修という会社もあります。
敢えて失敗をして苦労させるのは一番良いかもしれないと思いました。
さて、そろそろそんな研修を受けた営業の新人さんが
コピー機やパソコン等のセールスにやってくる時期です。
ことしも直立不動で一生懸命に暗記した挨拶をするのでしょうか?
一人でも良いから、研修で受けた挨拶の言葉の内容を理解して、
自分の言葉として話せる方がいたら嬉しいのですが。
そんな若者がいたらコピー機とはいかなくても、
コピー用紙ぐらいは御祝儀で購入したいなあーと楽しみにしています。
とはいっても・・・お財布と相談してみたり・・・。


3月31日
東京地方は嵐のような風が吹き、よこなぐりの雨が降って、
ついに桜は4月を待たずに散ってしまいました。
桜の後には真っ白な雪柳の花が風に揺れ、
公園や生け垣の椿が色とりどりに咲いています。
季節の変わり目になるといつも不思議に思う事があるのです。
この時期、テレビはどの民放も恒例のスペシャル番組になります。
各局どこも同じような顔ぶれで、タレント総動員のようなにぎやかさ。
そんなに難しくないクイズにも普通の人の月収以上に匹敵する賞金がでる。
相当な費用がかかるでしょうね。
いくらスポンサーがお金を出すとは言え、
そのお金は消費者が払う購入価格に含まれている、、、。
企業が得た収入をどう使おうとそれは企業の勝手、確かにネ。
でもね、テレビに莫大なスポンサー料金を払える会社はみんな景気は好調なの?
とまたまた不思議に思ってしまう。
今の日本は、一部の人を除いて本当に不況を実感させられているはずです。
金融機関の破綻、リストラ、解雇、失業と言い出したらキリが無い程の言葉が浮かんできます。
政治家もマスコミの人も皆、本心ではこの現状を解っているはず?
テレビ画面で大騒ぎするのもたまには良いかも知れないけれど、特番だから
大騒ぎするという慣習を脱却して、時には不況をどう脱却するか時間無制限で討論したり、
歴史を遡って研究する番組があっても良いと思うのですが、、、。
多分視聴率はとれないでしょうけれどね。
特番だから視聴率を考えないで放映! なんて言う番組のスポンサーいないかしら?


3月24日
入学式どころか終了式も待たずに東京の桜は満開となってしまいました。
府中市内のけやき並木では、早くもやわらかい黄緑色の新芽がさやさやと風に揺れています。
「ちょっと待って! そんなに急がないで」と、お願いしたいくらいに桜は散りはじめてきました。

桜の花を描く画家はおおぜいいるでしょうが、8年程前に箱根の成川美術館で
出会った数枚の「桜の絵」は強烈に心に残りました。
画面いっぱいに桜の花びらが一枚、一枚丁寧に描かれた大作や、
かがり火に妖しく照らされた夜桜など。
初めて知った画家のお名前は「木村圭吾」
絵は好きだけれど、ただ単に好きなだけで専門的な知識の無い私の心に
これ程の衝撃的な美しくも、悲し気な、でも力強い桜を描く画家は
どのようなお方だろうと興味を抱き、失礼を承知でお手紙を差し上げてしまいました。
数カ月後、美術展の招待状が届きました。
「木村圭吾」と丁寧に自筆で書いた下さった招待状にびっくりし、
大喜びで日本橋のデパートで開催されている個展に伺いました。
偶然にもそこで御本人とお会いする事ができ、それからは毎回個展の招待状を送って下さいます。

あとから解った事なんですが・・・。
木村圭吾様は有名な日本画家で・・・小さい絵でも一枚、数百万円はする、
絵の市場でも著明な人気画家でした。
それ程のお方が、絶対にご自分の絵を買えるような人間とは思えない私ごときに
数年間も、必ずご自筆で招待状を下さるお心掛けに感服し、
一流の絵を描かれる方はお心も一流と尊敬の念ひとしおです。
今年も、日本橋高島屋で4月2日まで個展が開かれています。
桜のお好きな方はどうぞ一度ご高覧下さい。きっと心に響くと思います。


3月17日
暖かくなりました。
大気がほんわか、ふんわり、もわーっと「春」の気配になってきて
「さあーダウンジャケットを脱いで、散歩に行こう!」
そんな気分になってきます。
例年桜の開花が早まり、今年はまだ3月中旬なのにもう東京では咲き始めている所もあります。
桜は心待ちにする美しい花ですが、春先にさく木々の花や野の花も桜に劣らず美しいのです。

JR中央線の国分寺駅南口を降りてほんの数分の所に、
都立殿ケ谷戸公園という小さい公園があります。
ここに郷愁を感じる木々や野の花がひっそりと咲いています。
今頃は淡い黄色のちぢれたような花のまんさくが真っ盛り。
うす赤紫のかたくりの花も恥ずかしそうにうつむいて咲いています。
淡い黄みどり色のしゅんらんの目立たない花もまた素朴でたまらない。
みんな美しい!とどの花にも褒め言葉をかけてあげたいくらいに、けなげ。
仕事や対人関係やらストレスがいっぱいで泣きたくなるような時。
でも泣いてなんかいられない時。
何でもないけれど、ただぼーっとしたい時。
そんな時々に公園のベンチに座ってこれらの木々や花々をぼんやりと
眺めていると、
「それぞれが違った美しさがある、同じ物差で計らなくてもいいんだよ」
と教えられているようで、気持ちが軽くなってきます。
吟行の中高年のグループやスケッチブック片手の青年が静かに鉛筆を走らせていたりして、
木々や花々から元気や、やすらぎをいただいているかのよう。
素朴な花が好きな人にはお薦めの公園です。


3月10日
春の晴れた日の青空はうすい青色。
そんなやさしい青空にこぶしの白い花がゆっくりとつぼみをふくらませ、
やや濃いピンクの桃の花が開き始めてきました。
あちこちで自然達が「春だよ、春だよ ほら ほら見て!」と語りかけてくれるようです。
そんな春なのに、今春卒業する高校生の就職率が近年になく低く、
卒業式が終わっても行き場の無い若者が多いとか。
日本全国を包む不況の風をもろに受けて、目を輝かせて新しい生活にスタート
出来ない若者達がいる国は、悲しいと思います。
彼等はこの春をどんな不安な気持ちで過ごすのでしょう。
もしかしたら追い討ちをかけるように父親や母親がリストラされたりしている
家庭もあるでしょうに、、、。

「大きくなったら何になりたい?」昔から大人が子供達によく聞く言葉です。
一昔前なら男の子なら野球選手とかパイロット、女の子はスチュワーデスとか
幼稚園の先生なんて答えて大人もニコニコして「そう!」なんて聞いていたのに。
最近は「別に まあそこそこ暮らせれば、、」そんな子供達がかなりいるそうです。
子供のうちから冷めた目で大人や世間を見ている子供達は多分、大人を尊敬しないでしょう。
大人は大人であるから子供は無心に頼り、尊敬するのであり「何やってるの」と
不信感を抱いて育った子供は、大人になる憧れも持てないのでは、、、。
今、国会はあまりにも大人気ない問題で混迷し、本来の国会の使命を機能していない状況です。
日本の国の中で一番、大人が大人である尊厳を保ってほしい国政を担う方々にお願いしたい。
今、自分のすべき事は保身ではないと自覚してほしいと。


2月24日
桃の木の小枝にぽっと赤みがさし、固いツボミがほんわかと
「春が来たよ」とささやいているみたいな2月の週末です。
ただいま高視聴率のテレビ中継の国会の予算委員会では議員のやり取りが白熱して、
春のほんわかどころかカッカと熱気をおびているよう。
テレビという媒体は時には言葉以上に人の心を伝える迫力があるようで、
解答にしどろもどろになる官僚の表情がアップされると、
何だかとても気の毒にさえなってきます。
本当の事言っちゃったらどんなにか楽でしょうにと、、、。

時あたかも塾や予備校の合格者速報が新聞のチラシにどさっと入り、
いわゆる官僚の養成校のような一流校の名前が晴れがましく掲載されています。
国会で四苦八苦して答弁している官僚の皆様は
かつてはみんなこういう晴れがましい学校で学び、
難しい上級職の試験に受かった秀才達だったのでしょう。
その努力を想像するだけでも数学に泣き、
英語に苦闘した凡才には心の底から頭の下がる思いです。
親も子もどんなにか輝かしい未来に胸が躍った事でしょう。
でも、でも余計な事ながら答弁に立つ官僚の方々の苦渋にみちた表情を見るにつけ、
そっと聞いてみたくなるのです。
「あなたは幸せでしたか? そして今も幸せですか?」と。
人の幸せ感は千差万別、一概には計り知れませんが
「矜持」と言う言葉が死語になってしまったのかなと、国会中継を見ながら思う昨今です。

2月17日
冬空に冷たく突きでた欅の枝先で、ひよどりが「ぎー、ぎー」と鳴いています。
まだまだ外は寒い2月の中旬に、室温31度の温水プールに通い出して2週間。
こんな楽しい事があったんだ!ともうルンルン気分の毎日です。

誰でも中高年になれば成人病の予備軍。
健康診断をすれば大かれ少なかれ、皆どこか悪い所が見つかるもの。
若い人だって仕事のストレスであっちこっちと要注意が見つかるかもしれない昨今ですね。
運動不足を解消するには水中歩行が一番と勧められても、
水? プール?と聞いただけで恐怖心がおこるほどの水泳嫌いでした。
小学生の頃、まだ多摩川がごーごーと水量豊かに流れていた時に、
学校の授業で泳ぎに行き、溺れそうになって以来、水とは疎遠。
なにしろプールが無いというだけで高校を選び周囲のひんしゅくをかった程なのです。
「泳げなくても自分の背が立てば歩けるのよ」と言われ、
「ふーん背が立てば歩けるんだ」と一応納得して、チャレンジすることに。

最初の一歩は恐かった。水深1m20†Bとは言え、水は水。
何だか豊かな水がごーと押し寄せてくるようで。
ところが二歩目からはあれっと言う程に体が軽く感じてあとはもう楽しい、楽しい。
「お魚になった わ、た、し」みたいな気分。
プールなら泳げなくても歩けばよい。この発想はまさに目からうろこ。
考え方をちょっと変えればいいんだという事は色々な事にあてはまる。
物事を自分の勝手な先入観で決めてかかってはいけないのだと知りました。
桜の花の咲く頃には持病の高血圧も解消するかな?楽しみな毎日です。


2月10日
底冷えのする日もある2月中旬ですが、
木々の枝には固い蕾みの先端がしっかりと出来てきました。
東八道路の街路樹の椿の木には赤い花がぽつぽつと咲いてます。
見通しが悪いと言う事でバサバサと剪定されているので、
花の数が少ないのがとても残念。
思いっきり伸び伸びと咲かせてあげたいのにね。
中学入試も終わり、これからは高校や大学の入試が始まります。
私立校や会社などの面接の話しを聞いていて、いつも思うのですが、
ほんの数分で人の何がわかるのかな?、、、と。

不動産業の賃貸部門は家賃をきちんと払ってくれるかどうかが
重要なポイントですが、これが結構難しいのです。

書類上、もう何の不足も無い上場企業や一流校の人で、
面接時にも好感度抜群の人でも、、、滞納の連続で困る人がいます。
一方ではフリーターで保証人になってくれる親族もいず、
本当にどうしょうかと悩んだ末に「あまりにも気の毒。よし責任は私がとる。」
と本当はしてはいけない私情を入れて契約した人が、きちんと支払ってくれたり。
「この頃家賃が遅れているのですが」という貸主さんの電話に飛んでいくと
部屋はごみと化して夜逃げ、なんてこともありました。
まさかあの人が、、、。
そのまさかがあるのが人間なんだと痛感させられます。

私が人を見る目がないのか、その人達にとてつもない変化がおきたのか。
2月、3月の賃貸の動く季節は自分との戦いが始まります。
好きで親がいないわけじゃない、好んで母子家庭になったわけじゃない。
職場や保証人の安定しない方達とお会いする度に、私の心は揺れます。
「どうしよう、信じる? 断った方が無難? 安易に逃げるの?、、、。」

日だまりにほんわかと赤いぼけの花が咲き始めてきました。


2月7日
春のような暖かい風と日射しの東京地方です。
これからは寒い日と暖かい日がくり返されて、
草や木の芽が育っていくのかと思うとこの風も日射しも
とても有り難い気持ちになってきます。

20年ほど前だったでしょうか、
府中で誰のコンサートか忘れてしまったのですが心が震える程の歌を聴きました。
あの歌をもう一度聴きたいと思い続けて、時々口ずさんでいました。
♪ ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ ♪

沖縄の広いさとうきび畑を歌った歌です。
さとうきび畑の下にはかの大戦で犠牲になった多くの沖縄の方の遺骨が埋められたまま。
とても悲しくて、それでも人々は頑張って生きているんだよという
メッセージが感じられる歌なのです。
この歌がこの度、森山良子さんの歌でCDで売り出されたという
新聞の記事を見て、やった!と嬉しくなり早速買ってきました。
決して声高の反戦歌ではないけれど、
せつせつと流れる美しい歌声を聴いていると、「本当に戦争はしてはいけない」
「わずかの体験でもした人は後世に語り継ごう」と思うのです。
どうぞこの一曲を聴いてみて下さいね。
生きている事の有り難さをしみじみ思う良い曲ですから、、、、。


2月3日
「立春」と言う言葉を聞くと春が来るんだ! 暖かくなるんだ!
なんてうきうき気分になりますが、そうはいきません。
本当に寒い日が続くのはこれから。
寒い季節は何となく人恋しくなり、電話をしたり手紙を書きたくなったりしてきます。
こんな寒い日はなにしているのかなあーと、、、。
ところが最近はどこに行っても、片手でピコピコと携帯メールをする若者の姿の多い事。
あんな小さな画面でよく字が読めるものと、老眼世代には不思議な気がします。
人が交流するには合ったり、電話をしたりと即実行も良いけれど
手紙や絵手紙など、ちょっと時間がかかる、でも待つのも楽しい手段もありますね。
中高年の人達は主にこの時間がかかるタイプでしたが、
最近はメールが加わり、若き日にわずか数年共に過ごしたクラスメート達が
数十年ぶりにメールで近況報告をするようになりました。
同窓会員の名簿にメール番号の欄が加わり、時代の流れを感じます。
「今、メール送ったけれど無事着いた?」なんて
電話をして確認する笑い話も卒業して、結構みんな上達してきました。
その上、デジカメで写真をとり、プリントして絵葉書にして送る等、
ますます腕をあげる仲間がいると一層みんな燃えてきて、、、。
やっと訪れた人生のひと区切りを最新の手段?を使用して、
旧交を温めている昨今。本当に友達って良いものですね。


1月27日
1月も最後の週になり、気がつけば日暮れの時間が徐々に遅くなって来ました。
当社が面している東八道路の陽当たりの良い場所に植えられた白梅はもう満開。
気品ある香りがただよい、何とも言えず幸せな気持ちにさせてくれます。

ところが国会では相変わらず田中真紀子外相が外務省の役人と
戦っている様子が報道されています。
この一連の報道を聞く度に思います。
過去の外相はこんなに頻繁にマスコミに報じられる事はなく、
誰が外相か、外相の仕事すら認識もしなかった気がします。
何だか諸外国の外相会議でもいつも端の方に座り、
援助金だけは気前よく出してくる、そんな存在感を持っていました。
失礼ながら、、、。

そう言う時は外務省もおおいにに外相に協力的だったのでしょうか。
外相と外務省の確執が報道されることは無かったのですから。
田中外相は過去の外相と違い、外務省にとってはとてもとても
厄介な存在なのでしょうか?
と言う事は今迄は国家にとって、国民にとって知られたく無い事、
あるいは知られては困る事を両者が内緒にしていたのかしら?
何だかたくさんの??が頭の中でうごめいてくるこの頃です。
本当の事はわからないけれど、
外務省や一部の議員が動けば動く程、真実が明らかになるような気がして
「真紀子さん負けるな!」と応援したくなるのですが、、、。


1月20日
年々、暖冬になっているとはいえやはり冬は冬。
寒いです。
バーゲンのチラシを見てもつい外出するのは億劫になりがち。
そんな時に本や新聞をじっくりと読んでいると思わぬ発見をする時があります。
先日も長年の疑問がとけてほっとしました。
詩人の新川和江さんの詩「わたしを束ねないで」という詩の一節
 わたしを束ねないで下さい。
 あらせいとうの花のように
 しろい葱のように

あらせいとうの花ってどんな花だろう?
広辞苑やら植物図鑑やらと調べてもどこにも載っていません。
疑問は心のなかにむくむくと広がり誰か知っている人はいないかしらと思っていたら、
朝日新聞の朝刊の「花おりおり」に載っていました!
和名 アラセイトウ
英名 ストック

見つけた! 見つけた! と嬉しくなりました。
千葉県のお花畑に新春の頃にまっ先に咲く白やピンクのストックが
あらせいとうだった!

さあー、つぎは「ナンカの木」という名前の木を見てみたい。
どこかにきっとあるはず。だってちゃんと「ナンカの木」
と本で読んだことがあるのです。
今年も楽しくなりそうです。


1月13日
日本人のほとんどが水道の水を使用するようになり、
井戸水の味や季節によって感じる水温の変化を知らなくなったと思います。
ほんの数十年前迄はここ府中市でも飲み水と言えば、
井戸水であり、お風呂の水汲みは子供のお手伝いのひとつでした。
だからでしょうか、全国の名水といわれる場所には、
おいしい本来の水を懐かしむ観光客が多く訪れるそうです。
その湧き水や川を守る地域の人々の長い間の努力は並み大抵ではないと思います。
黙っていればすぐに汚れ、取り戻すには長い時間がかかるでしょう。
なかでも静岡県の柿田川は水のきれいなことで有名。
先日、思わぬ機会を得て念願の柿田川を訪れ、澄んだ水の美しさに感動しました。
清流でしか育たない鮎の稚魚がひしめくように泳ぎ、
川辺にはこれまた清流のほとりでしか育たないと言うクレソンが
緑の葉を繁らせています。
川中で腰をかがめてしきりに手を動かしている方がいらして、
川底の水草の手入れをしているのだと話してくれました。
柿田川を守る地域の人々の努力や愛情に心から感謝しつつ、
貴重な水を飲ませていただきました。
くせのない、まろやかな水。
そう子供の頃に飲んだ府中の井戸水と同じ懐かしい味でした。
「甘露」とはこういう水のことかもしれないと、思ったほど咽にしみ入りました。
環境を破壊するのも人。それを守るのも人。
缶飲料の自動販売機が林立する昨今ですが、心にも体にもしみいる水に合掌。

1月1日
赤い南天のつややかな実が冬の日射しに美しく映えているこの頃。
自然の移り変わりの美しさに反して、国内では厳しい経済情勢、
海外では恐ろしい紛争と昨年は新聞やテレビを見るのが恐くなる程の日々でした。
取引先の金融機関の破綻や倒産などと言う言葉が、
日常使われるようになるとこの先の見通しも暗くなりがちになります。

それでもクリスマスやお正月の売り出しには多くの人が街中にくり出し、
年賀状を作成するパソコンのソフトが売れて、せっせと自分らしい年賀状を作る人々がいまよね?
戦争をする人々もいれば、
そこで傷ついた子供達を国籍を問わず受け入れて治療するボランテイアの団体もいます。
人って本当に何なんだろうとつくづく思う昨今です。
当ホームページも3年になりカウント数もお陰さまで22,000を超えました。
こんな小さなホームページに辿り着いて下さるだけで嬉しいのに、
お知り合いになれてお家を購入なさるきっかけにして下さったり、
お部屋を選んで下さったりと感激、感謝の気持ちでいっぱいです。
弊社に来店なさる事前にスタッフ紹介の欄を見て、名前を覚えて来て下さる方や、
「風の便り 花便り」がこの頃途絶え気味な時もありますが・・・、
お病気ですか?なんて心配していただき、涙がでる位に嬉しいです。
ちょっとパソコンの不調?書く人の不良?でこの欄が遅れがちになるのが本当のところです。
それでも・・・なんとか書き続けていきますので、下手な文章ですがおつき合いください。
ホームページ担当者に「もっと題材を!」と悩ませたり、
いつも同じような内容にジレンマに陥りながらも、どうにかこうにかと続けてこられました。
今年もスタッフ一同は、それぞれの個性を生かして何とか頑張ってまいります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


塩津不動産(株)
メール宛先:siotufud@cd.mbn.or.jp
Tel:042-366-4599 Fax:042-366-4656
東京都府中市栄町3-26-12

1998.3.25 公開


製作:塩津 暁彦
塩津暁彦メール宛先:akkiepon@aa.mbn.or.jp