◎風の便り花便り

8月10日
台風10号が去り、関東地方は強烈な日射しの暑い日になりました。
被爆した58年前の夏の広島と長崎もこんな暑い日だったとか。
先日、広島の原爆ドームの折り鶴が焼かれた。
その後間もなく多くの人々が折り鶴を折り、届けたとか。
このニュ−スをテレビで見た時、しみじみと思いました。
何ごとも知らない事は不幸な事だと。
折り鶴を焼いた青年がもし被爆した人々の残酷な人生を知っていたら、
人々の願いが込められた折り鶴を焼きはしなかったろうに、、、。
 原爆詩人と言われた峠 三吉さんが亡くなられて今年は没後50年。
 ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ こどもをかえせ
 わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ

被爆した病体でありながら心血をそそいで綴ったこれらの詩を、若い人達に読んでほしいと思いました。
 今、NHKの午後11時から「大地の子」が再放送されています。
中国に置き去りに去れた残留孤児達の苦闘を描いたこの作品は見るのも辛いシーンが続きます。
戦争はひとたび起こしてしまえば、人々に耐え難い苦闘を強いるものなのだと言う事を強烈に見せてくれます。
「戦争は体験していないから知らない。関係ない。」などと言う言い訳は、決して人として言ってはならないと思うでしょう。
58年前に戦争は終わったと言うけれど、まだ終わったと片付けられない人々が、
中国や日本におおぜいいることを知り、過ぎ去った長い年月が取り返しのつかない悲しみを増加させていると思い知らされます。
夾竹桃やさるすべりの花が炎暑の空に向かって咲く八月になると思うのです。
生きている者の勤めとしてせめて「知ろうよ、語ろうよ、事実を」と。


8月3日
長かった梅雨がようやく明けて、カッと真夏の太陽が照り輝いた日曜日。
海の家やビアガーデンのお仕事をしている方々は、ほっとなさったことでしょう。
新聞によるとこの「真夏の晴れ」が勝負のビアガーデンが、昨今は人気がなくて閉店した所が多いとか。
蚊や虫が飛んできたりする蒸し暑い外よりも冷房の効いた屋内のお店の方が、今時の人達には快適だとか。
まあそう言われればごもっともですが・・・。
ビアガーデンと言う言葉に懐かしさを覚える人は、多分50才以上の人?
昭和30年代頃から都内のビルの屋上は夏になるとちょうちんが飾られて、ビアガーデンに変身。
仕事帰りのサラリーマンや、OLさん達が、仕事の後の息抜きに寄った場所。
・・・それがビアガーデン。
まだちょっと高価だったジャーマンソーセージなどをつまみながらの一杯がとっても幸せだった時代。
日本の国も、国民も高度経済成長を目指して猛烈に働いていた頃の夏の風物詩、ビアガーデン。
無くなっちゃうんだと思うと世の流れを感じます。
街から個性的な喫茶店がなくなり、コーヒーショップのチェーン店だらけになり、どこの駅で降りても同じお店があったり。
うす暗いお店の奥に座って、眼鏡越しに睨んでいるみたいな恐い感じの本屋の店主が、
本当はとっても博識な人だったりする本屋さんもなくなって、駅前は大型書店ばかり。
これが「文化」・・・今の?
「月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり」
こんな文章をしみじみと思い出してしまいました。
夕方になり東八道路のユリの木あたりから蝉の声が聞こえてきます。
待っていたんですね、暑い日射しを。


7月27日
  夏花の葵咲いで一叢の 
    みどりのほとり人のまぼろし   秋葉四郎

東京地方は長かった梅雨がやっと明けそうです。
雨雲の端から少し夏の日射しが差し込み、すくっと立つ葵の花が美しい。
葵の花は立姿が浴衣美人のようで、夏空に似合う気がします。
そんな季節に、新聞に一人のスポーツキャスターの訃報が掲載されていました。
岩田暁美さん。享年42才。
お名前を聞いて、名前だけでは誰?と思う人もいるかもしれませんが、
多くの男性取材人に混じり、それでも必ず長島監督の側にいつもいた、
日に焼けた逞しい体つきの女性と言えば、あーあの人とお顔を思い浮かべる人は多いはず。
かねてからテレビのスポーツニュ−スを見る度に、この人はきっとすごい人に
違いないと興味を持ち、ニュースそのものよりも彼女に視線を注いでいた。
並みいる取材陣をかわし長島監督の側につかずはなれずいて、コメントを引き出している彼女。
一見逞しく見える風貌から押しの強そうなイメージを受けるけれど、
あの位置を確保するには不断の努力をしていたと推測される。
あれだけ目立つ位置にいれば悪口も言われるだろうし、嫌がらせも受けるだろうに。
男社会と言われる分野で自分の仕事をしっかりとこなす女性には、同性として頭が下がる。
偉いね。たいしたもんだ!などと画面の彼女に賛辞の言葉をかけていた。
ここしばらくテレビ画面でお目にかからないと思っていたら、闘病の末他界とのこと。
あまりにも若い旅立ちに惜別の思いひとしお。
そして残念でならない。まだまだ活躍できたのに、、、。
ご本人もさぞや悔しかった事でしょう。
ご存命のうちに一言、伝えておきたかった。
「あなたの姿に勇気づけられています」と。


7月20日
  ひとつ咲き 百日草の はじめかな  瀬野直堂

関東地方は学校が夏休みに入ってもいまだ梅雨空。
それでも百日草の花があちこちの庭や公園で咲いています。
百日草の花は名前のとおりに次から次へと花を咲かせ続けて、
暑い夏の日射しの中でも元気いっぱい。
子供の頃、百日草の花が咲いている間は夏休みだと思っていました。
子育て中の大人にとっては長い、長い夏休みとの戦いが始まる事を示唆する花でもあるみたい。
昨今の物騒なニュースを聞いていると、働いていて日中留守にする家庭では
夏休みの間の子供の処遇に心を痛めている事でしょう。
子供の出生率が少ないと嘆いている議員さん達は、子供のいる家庭では
夏休みの過ごし方一つでも心底悩んでいるなんてご存じないでしょう、、、。
保育園や学童保育があるじゃない?
あってもそれはフルタイムで働く女性達にとっては,決して充分な現状ではないのです。
先日の朝日新聞に掲載されていた女性官僚の方は保育園、
ベビーシッター、双方の母親と総動員して切り抜けたとおっしゃっています。
そういう総動員を頼める人達ばかりとは言えないのが現実で、
かくして泣く泣くキャリアを捨てた女性を何人も知っています。
一旦捨てたキャリアは日本という国では復活させることは至難のわざと知りつつも。
働くお母さんは「ごめんね、ごめんね」と言いながら小走りで職場と家庭を行き来する。
本当に大変なんです。
自営業のお母さんだって同じ。「通勤時間がないぶんいいじゃない」なんてそんな甘いもんじゃない。
待っている子供達だって、心の中はきっと大変。
出生率の低下を高学歴の女性の我がままなどと言う短絡的な理由を押し付けて、
独身女性が生きにくい世の中を作っても解決するわけはないのです。
国がお金も智慧も出して、子育てはみんなで応援するよって本腰をいれないと
いつまでたっても解決しない。
とにかくみんな無事に過ごそうね。


7月13日
まだ夏休み前なのに、もう近所の家の庭には大輪のひまわりが咲いています。
しかも既に咲いて種をつけているところには鳥達が啄みにやってきて、にぎやかなこと。
私の頭の中ではこの光景は8月末頃に見られるはずのもの。
何だかこの頃の季節ってちょっと変?
と思っていたら季節だけではなくて国の政治を担う大臣さん達もとっても変。
「子供を産まない女性は年金をもらう資格が無い」と言い出したり、
「強姦は元気があってまだいい」と言ったり。
品格がないとか、良識がないと批判されてもたいして気にもとめていないご様子。
けれど昨日の鴻池大臣の発言は品格や良識うんぬんの範囲を超えて、とても聞きづてならない。
子供を持つ親ならば、わが子の非は誰に言われなくても何よりも辛い。
市中引き回して、さらし首にされなくても親は連日、地獄の苦しみを味わっていると想像されるのに。
とても時代劇が好きなので、つい例にだしたなどどいう言い訳ではすまされないと思う。
人にはその人の社会的な地位や立場を考えれば、言いたい事をそのまま言っては済まされないということがあるはず。
どう思うのも自由だけれど、思った事を言っていいかどうかの考慮ができない人が国の機関のトップに選ばれるのが不思議。
それも次から次へと何人も。
もしこの大臣の方達がごく普通の友人を持ち、あるいは娘や息子と日常の会話をしていたらこんな事を言えば
きっと子供達に「おやじいい加減なことを言うな」と一喝されて、たちまちわが子に軽蔑されてしまうはず。
また長年の友情も壊れてしまうかもしれない。
時にビシッと叱ってくれる友人や家族が周囲にいないかのような環境にいることが何だか恐ろしい。
雷が鳴り、梅雨もそろそろ明けそう。
もうすぐ始まる長い夏休み、大人も子供も無事に過ごせますようにと願っています。


7月6日
  薄月夜 花くちなしの 匂いけり  子規

しらじらと夜が明ける頃、東八道路を大型のトラックがものすごい勢いで突っ走って行きます。
早朝の大型車の通過する振動とごう音が連日続き、早々と目が覚めてしまうこの頃。
不眠症と寝付きの悪さに加わる毎朝の試練?にただ眠い、眠いと言っても始まらない。
そう思い、よっしゃと起き上がりデジカメ片手に散歩に出る事が多くなったこの頃です。
府中市の栄町周辺はお隣の国分寺市とは道一本へだてているだけなので、
国分寺遺跡や万葉植物園などの武蔵野の面影がまだ少しは残っている所。
ひんやりと朝露の残る草木の緑は鮮やかで、早くも咲き出した夏の花の夾竹桃やムクゲが目に清々しい感じ。
デジカメに出会って以来、大袈裟に言うならば、私の人生は変わったのです。
今まで写真に撮られる事は嫌いでした。だって「美しくない人はそれなりに」なのですもの。
だから自分がカメラを持つなんて考えてもみなかった。
それが建築現場の工程を撮る必要性から手にしたデジカメが私の心をとりこにした!
好きな花を写してすぐプリントできる。それを絵葉書みたいに友達に送れる。
ワ−なんて楽しいのでしょう!と今ではどこに行くのも片手にはデジカメ。
もっぱら花の写真を撮っていますが、小さい花ほど難しい。
上手に撮れたと、いさんでプリントしたら肝心の花はぼけていて、
遠くの木々が鮮明に写っていた何てことはしょっちゅう。
それでも時には「私って写真の天才かも」なんてずうずうしくも思う程に、気に入って
撮れることがある。このまさかの一枚がたまらないのです。
プリントして小さい額にいれて飾ると、いっそうご機嫌な気分にもりあがってしまうから。
新しい機器や手段に気後れしたり敬遠しないで、時には挑戦してみることは大切だなとつくづく感じております。


6月29日
 母よ 悲しきもののふるなり
  あじさいいろの もののふるなり 
              三好達治
そろそろ梅雨もあける頃でしょうか?
暑くなってきました。
それでもあじさいの花がまだ咲いています。
この季節になると確か中学か高校の国語の教科書に載っていたと思うのですが、
三好達治さんの「母よ」という上記の詩を思い出します。
雨にうたれても美しく咲くあじさいの花に、時代や慣習に押しつぶされそうになりながらも、
けなげに子供を育てていた一昔前の母親の像を重ねる詩人が多いようです。
28日のテレビで詩人竹内てるよさんの生涯が「海のオルゴール」というタイトルでドラマ化されていました。
美智子皇后がバーゼルの国際児童図書評議会で紹介されてから、
また人々の心に再認識された竹内てるよさん。
このドラマにたびたびあじさいの花が背景に映し出されて、
悲しく切ない、けれど毅然と力強く生きる女性を描くのに一役かっていたようです。
団塊の世代前後の人なら多分、子供の頃に雑誌などで一度は竹内てるよさんの詩を読んだ記憶があると思います。
金子みすずさん、新川和江さん 石垣りんさんなど女性の詩人が美しい詩を発表していた時代がありました。
まだまだ仕事や結婚が女性の個人の意思で選ぶ事が困難だった時代に、
優しくて、それでいて自立した精神を感じる詩は、そう生きたくてもなかなか許されなかった多くの女性達に
勇気や励ましを与えてくれたのでしょう。
詩集としての単行本だけでなく、雑誌などにも掲載されていましたのでごく普通に詩を読む機会は
今よりも多かった気がします。
昨今の週刊誌や月刊誌を買う時に、詩を楽しみにして選ぶという話はあまり聞きませんから。
もしあのテレビドラマを見て、若い人達が詩も良いものだと感じてくれたらいいな!
ほんのひと昔、ふた昔前なのに女性が人間として生きていくことは大変だったのだと認識してもらえたらいいな。
そんな事を願いながら、今どきの明るいあじさいの短歌を見つけました。
  思いきり愛されたくて駆けてゆく
   六月 サンダル あじさいの花
            俵 万智


6月22日
梅雨空のうっとうしい中に、白いくちなしの花が芳香を漂わせる季節になりました。
思わず花に顔を近ずけて香りをいただいております。
そんな楽しみもあるこの季節ですが、こう蒸し暑い日が続くと、
爽やかな風が吹く高原にでも行きたいなあーと思ったりもします。
学生時代から私の心の中にいつかきっと行ってみたい場所の筆頭に、上高地がありました。
特に木々の緑が爽やかな季節になると、
旅の雑誌に必ずと言ってよいほどに掲載されている梓川の清流にかかる河童橋周辺の美しい風景。
けしょう柳や白樺の葉が風に揺れ、きんぽうげの花咲くという上高地。
学生時代に皆で行こうと言う事になりガイドブックを買い、
歩くコースなども想定して高原の花々を見たいとワクワク。
ところが私だけ家庭の事情で行けなくなり、涙をのんで諦めた場所。
それだけにいつか行きたいと言う想いはつのるばかり。
東京からそんなに遠くないのですから、その気になれば行けない所ではないのでしょうが
直通の電車が通っていないので、何だかとても大変な気がして憧れだけが胸の中で
何十年間もたまっていました。
それがひょんなことから誘われて行ける事になったのです。
もう嬉しさと言ったらなんて例えたら良いかしら?と悩むほど。
上高地は期待通りの素敵な所でした!
山々に囲まれた静かな奥地に梓川の澄んだ流れ、
けしょう柳が風に揺れて白樺の白い木肌が目に染みるよう。
散策の途中には草むらに大好きなきんぽうげの花も咲いていて、まさに夢心地。
ツアーの途中のほんの数時間立ち寄ったのですが、通り過ぎるのがもったいないくらい。
私だけここに置いていってと言いたかった程でした。
毎日、東八道路の振動と騒音、排気ガスの中で暮らしている身には、清浄な空気と緑が
こんなにも心穏やかな気持ちにさせてくれるのかと思うほどに頭も心もすっきり。
記念に買ったきんぽうげの花を型どったピンブローチを胸につけて、心はいまだに上高地。
マイカー規制などをして、上高地の美しさを留めるように努力している人々に、感謝した次第です。


6月1日
 ♪ 卯の花の匂う垣根に
   ほととぎすはやもき鳴きて
    忍び音もらす夏は来ぬ ♪
佐々木信綱さん作詞の有名な歌ですが、つい最近までこの歌の「卯の花」が
梅雨の頃に真っ白な花を木いっぱいにつける「うつぎ」のことだとは知りませんでした。
あまりにも有名な言葉で頭から暗記しているものには、
思い違いをして知ったつもりになっていることがあるようです。
以前にかなりヒットした歌謡曲の「矢切りの渡し」を
「矢切りと言う場所にいる私」だと思っていた知人がいました。
確かに最近は川辺に「渡し場」のある所が少なくなったので、
日常の会話の中に「渡し」という言葉を使う機会が無くなったのですから知らないのが普通でしょう。
使われなくなった美しい日本語も数多くあると思いますが、
またこの言葉は嫌だなあと聞く度に思う言葉もあります。
最近、テレビ等で若い方達が「マジ?」 と発する響きが、どうしても私には品の無い言葉として聞こえるのです。
ところが広辞苑を見ると掲載されているのですね。
まじめの略と、、、。
広辞苑に認知されていたとは知りませんでした。
かなり普及していた言葉だったのでしょう。
でもやはり「まじめ」の「め」ぐらいは省略しなくてもいいのに、なんて妙にこだわっております。
そんな気持ちを抱いておりましたら良い本を見つけました。
産経新聞ニュースサービス発行の「教科書から消えた唱歌.童謡」¥1238-
北原白秋作詞「この道」や里見 義作詞の「埴生の宿」など
日本語の美しい響きの歌がたくさん掲載されています。
うっとうしい季節に心が洗われるような気持ちになる本です。


5月25日
五月の天候は気まま?
さわやかな青空の日はそんなに多くなくて、どんよりとした今にも雨が降りそうな日が続いています。
それでもここ数年、散歩道として一躍有名になった国分寺市の「お鷹の道」には毎週週末ともなると、
中高年の人達が散歩というかハイキングというのか、とにかく大勢の人達が歩いています。
「お鷹の道」そのものは距離にしたらそんなに長い道のりではないのですが、
野川崖線に添って国分寺市、小金井市、府中市に渡る道のりは、
ささやかながら武蔵野の自然な面影がまだ残っている所があります。
今頃の時期はほんの一昔前ならどこにでも咲いていた野イバラの白い花や、
淡い水色の姫しゃがの花が、そこにはひっそりと咲いていて季節を教えてくれているようです。
歩いている人達はそんな花々に歓声をあげ、「懐かしい」を連発しています。
小川がさらさらと流れ、川辺にスカンポの葉がゆれて、野アザミやきんぽうげの花が咲いていた景色が無くなって数十年。
下水道の整備やアスフアルトの道が作られて、人々の生活は衛生的になりました。
雨が降ると泥んこ道になり、夏は蚊がでる水路は塞がれて無くなりました。
それと同時に季節の移り変わりを自然の風のそよぎや、花の香りで感じていたときめきも薄れていった気がします。
夢中で働いた人生からやっと時間的ゆとりが持てるようになった中高年の方達は、
ふと・・・自然のやすらぎが欲しくなるのでしょうか?
「風や木々の葉ずれ、花のそよぎ、そんな音も残そう、消してはいけない」と、
行動しないともっともっと無くなってしまうのではと感じています。
三多摩地方はマンションが次々と建築されて、年々ごく当たり前だった景色が無くなっています。
「ざりがにがとれるんだよ」と小さい男の子達が棒の先に餌をつけて、川面に見入っていた夕暮れでした。


5月18日
まだ五月中旬というのに梅雨のような重い曇り空の日が続いています。
それでも卯の花の白い花が咲き、あじさいの青緑色の小さなつぼみが葉の蔭からのぞいて見えて、
自然は次々と美しい彩りを見せてくれます。
今年の五月は風薫るさわやかな五月と言うよりも、不安感の漂う心沈む五月です。
連日の新聞にはSARS関連の記事が掲載されて、
目に見えない敵に対峙するような恐怖を感じますし・・・。
SARSではないのですが、風邪もかなりたちの悪いのがはやっています。
のどが痛いなー、熱っぽいと思いつつも、そのうち良くなるだろうと簡単に考えたのが悪かった・・・。
約1ケ月近くもぐずぐずと体調を壊してしまいました。
体の中から元気が湧いてこなくて、何をするのもボーッとした霧が頭や体を包んでいるみたいで参りました。
大きな体の人間が目に見えない病原菌にこんなにやっつけられるとは、
「思い知ったか!」と病原菌達の笑い声が聞こえるようです。
人間は地球上のひとつの種族にしかすぎないのだから、
「おごるなよ、いいきになるなよ」と戒めを受けている気持ちにさせられました。
抗生物質にせき止め、ビタミン剤からはては消化薬まで動員してやっと何とか治りつつあります。
人間の知恵を絞ってSARSの根絶をしてほしいと願わずにはいられない気持ちです。
プール通いも、デジカメ片手に休日の植物園の散歩も、衣替えのタンスの整理も全てがギブアップ。
ひたすらウツラウツラと日がな寝て過ごした次第です。


4月27日
  一つづつ 花の夜明けの 花みづき    加藤楸邨
日毎に暖かさが増してきました。
冬の衣類をかたずけて、薄ものを出してと季節の移り変わりゆく嬉しさを味わう頃ですね。
みずみずしい新緑の木々に混じって、街路樹の花みづきがやわらかい彩りで美しく咲いています。
東八道路の道際には排気ガスをいっぱい浴びながらも、たんぽぽが黄色い笑顔をふりまいているし、
つつじも赤やピンクの花の色を目一杯強調して咲き出しました。
春っていいね。嬉しいねと冬の間、縮んでいた体を思いっきり伸ばして喜こびたいこの頃。
また、春は嬉しいお裾分けの季節でもあるようで
「たくさんいただいたから」と言って蕗や筍が届きます。
ほろ苦い蕗と元気な坊やの頭みたいな姿をした筍は「おー春の宝物!」と思わずルンルン気分。
筍ご飯に蕗と筍の炊きあわせにと、夕食のメニューがいかにも日本の晩ご飯らしくなるのも春の嬉しいところ。
そしてゴールデンウイークが過ぎる頃になると爽やかな香りの新茶が届きます。
春の到来物はみんな営々と畑を守り続けて下さった農家の方々の努力の賜物。
鉢植えの花ひとつでもうっかりすると上手く育たないのに、
おいしい野菜や果物を作り続けている農家の方々には感謝、感謝です。
春は冬の寒い生活からまだしゃきっとしない体を目覚めさせるためにも、
ほろ苦い味の野菜をいただくことが必要だとか聞きました。
なるほど、自然の力ってすごいんだといたく感心した次第。
こんばんは東京名産のウドでもいただこうかな?

4月20日
  こでまりの 花に風いで 来たりけり  久保田万太郎

木々の若葉がささやくように風にゆれ、まっ白いこでまりの花がゆったりと風と
遊んでいるみたいに枝をしならせています。
街路樹のハナミズキも咲き出して街の至る所に春がいっぱい。
新学期のはずむような初々しい気分が漂うようです。
そんな春のある晩、洗濯物をたたみながら夜のニュースを聞いていて
「ん?」と思わずテレビの画面に見いってしまいました。
何でも「○○特区」と言う特色ある計画を提示して認められると補助金が出るらしくて
地方自治体からかなりの応募があったとか。
支給元がどこだったか聞き逃したのですが、地方自治体がかなりの数で応募したというのですから多分政府機関でしょう。
その「○○特区」と言うのが、例えば公営ギャンブルとか小中一貫教育とか
内容はまさに多岐に渡っていたのですが、私が「ん?」と思ったのは
小学校から国語以外の授業は全部英語で行うという提案が採用されたという事。
これを申し出たのがどこの県だったのかは忘れました。
あまりにびっくりしたので、、、。
先生方は大丈夫なの?とついつい余計な心配をしています。
といいますのも今、朝日新聞の朝刊に「転機の教育」というシリーズが掲載されています。
そのなかで「教師力」という特集があり、現場の先生達が辞めたくなったり、実際に
辞めてしまうケースが多いという記事を読みました。
ここ数年の生徒や親の身勝手さに、とてもついていけない先生方の悩みが書かれています。
読んでいると、「ウーンこれじゃあやっていられないでしょうね」と同情したくなるような、
親も子も幼児化している現状なのです。
そんな現場の悩みに充分な対応がされないまま、日本語で行う授業ですら大変なのに
国語以外を英語で授業するだけの器量の先生が必要な人数分いらっしゃるの?
英語の堪能な教師がそんなにいるわけはないので、教職の免許のない外国人の
人達も教師に採用するといっていましたがとてもまかなえるとは思えない。
本職の数学や理科の授業の内容より英語でどう表現するかに神経がいってしまいそう。
それより生徒がどこまでくいついていかれるかな?
何ごとも新しい事に挑戦するのは勇気と困難が伴うもので、いたずらに心配や反対を
するわけではないけれど、先生も生徒もますます「学校に行きたくない。」なんて
言う事にならないように充分な準備をしてほしいなと、思ってしまいました。


4月13日
東京地方の桜が散り始めた4月8日、群馬県にバス旅行に行ってきました。
標高1,000メートルくらいの山地は桜の木はまだ固い蕾みがやっと出来始めたばかり。
東京から車でほんの4〜5時間なのに、気候はまだ早春の寒さでみぞれまじりの雨模様。
まんさくの黄色い花があちらこちらの庭先に咲き、のどかな田園風景にもうじき春がくるからねと教えているかのよう。
観光バスの旅行はルートのなかに必ず、名産のお漬物屋さんやおまんじゅう屋さんとかに立ち寄ります。
まあ旅行会社との提携でしょうから、それもおつきあいとしばし試食したり眺めたりするのですが、
袋の裏の製造会社をみると原産地が他県だったり中国や台湾だったりすることがあります。
せっかく旅行に来たのですから、その土地の人達が工夫して作ったものがほしいのにと
かねがね思ったりしました。
ところが今回はお漬物もおまんじゅうも生産地は「群馬県片品村」とか「群馬県渋川市」とちゃんと書いてありました。
試食もきれいな小皿に取り分けられていて熱いお茶のサービス付き。
酒蔵の試飲では甘酒が美味しかった!
群馬県の観光組合の申し合せなのか、たまたま立ち寄った所がそういう方針なのかわかりませんが、
どこも横柄さはなくて「よかったら買って下さい」と言う控えめな売り方。
どの店内にも季節の花が飾られていて清々しい雰囲気。
こういう優しい態度を受けるとかえって「なんて素敵な人達なの!」と嬉しくなってしまい、
せっかく来た記念ですものね。とついいろいろと買ってしまいます。
その土地に住んでいる人達が長い間培ってきた技術を生かして、現在の生活を支えている
現状を見ると頼もしくなります。
ここ数年、地方の時代と言われてUターンして地元に就職する人が増えてきたと聞きます。
観光客を一見の客とみて、その場限りの応対をするお店も多い中、
また来たいと思わせてくれた群馬県の人々の心がけに感動し、きっとこの地方は発展していくと感じました。

4月6日
どうも東京地方の今年の桜は不機嫌でした。多分・・・。
開花予報がでてから、急に冷え込んできたり、
「おっ、暖かくなってきた!」とつぼみがほころんで7分咲きくらいになったら、
みぞれまじりの雨が降り、容赦なく風が吹き荒れる。
なんて具合に天候は散々でした。
その上、世間は日々恐しい状況を増しています。
いつもなら、夜桜中継なんていうスポットライトを浴びて夜までもてはやされるのに
今年は各テレビ局、深夜までイラクの戦況報告をしているので不安感とやりきれなさがつのるばかり。
せっかく一年間かけて咲く準備をしてきたのに、とても穏やかに桜を堪能するほどの心のゆとりが、
人々には無いと判断したのか出番の入学式を待たずにさっさと散り始めた所もある様子。
待ち焦がれた桜の開花なのにイラクの戦況報告に心は沈みがちになり、
のんびりと春爛漫を楽しめる気分にはなれなかった、、、。
そして春の統一選挙が始まりました。
いくら誰に投票しても事態は変わらないと思っても、一票の積みかさねが、
その国や地方自治体を造るのだと考えると、命の引替え無しに投票という個人の意思が通る国は
有り難いと思うのです。
黒いチャドルの下に個人の意思を閉じ込めて生きているのであろうイラクの女性の姿を
テレビ画面で見るにつけ、何はともあれ投票だけは行こう
ベストの人がいないならベターの人だっていいじゃない。
とひときわ強くそう思う今年の春です。


3月30日
  桜咲く前より 紅気たちこめて  山口誓子

府中駅近くの桜通りの桜の木々がぽーっと紅色になってきたと思っていたら
ここ数日で一気に咲き始めました。
まだ底冷えのする日もありますが、季節は刻々と春爛漫に向かっています。
花粉症で鼻をくしゅくしゅ鳴らし、目をこすりながらも
「イラクの砂あらしに比べたら花粉症なんて楽なものだ」といい聞かせている日々。

戦況は長引きそうだ、とのテレビのニュース。
画面に映る怒号する市民や瓦礫の山。
戦争とはこのように過酷な姿になるのだと思い知らされています。
よく、共働き&子育て中の主婦の朝の出勤前の様子を「戦場のような忙しさ」何て表現することがありますが、
この表現は安直に使ってはいけないとつくづく感じます。
戦場とは出勤前の忙しさとは比較にならない世界なのだから、、、。
第二のベトナム戦争になるのではと心配しています。
どの国の人も好んで戦災孤児になるわけではない。
好んで家や家族を失っているわけではない。
たまたま戦争をしている国に産まれたり、住んでいたからというだけで、
その後の長い人生を苦労して生きなければならないことになるのです。

どの国の指導者達もこのことを良く考えてほしいと思う。
自分の判断ひとつが多くの国民の辛酸を生み出すかも知れないことを。
「団塊の世代」前後の私達は「受験戦争」、「就職戦争」と言われた時代を生き抜いてきました。
けれどこういった戦争は本物の戦争に比べたらなんと楽なものだったかと思います。
自分の意思や努力である程度はくぐり抜けてこられたのだから。
早い終結と被害の拡大しないことをただただ祈ります。 


3月24日
府中刑務所の西側の塀に添って植えられている雪柳が、
ここ数日の暖かさにつられて白い小さなつぼみをふくらませ始めました。
彼岸を過ぎる頃になると朝晩の冷え込みもやわらいで、春の日射しが嬉しく感じられますね。
それなのに連日のニュースは緊迫した戦場の様子が放映されています。
有史以来、戦争が無かった時代はない、とよく言われます。
人の心に欲望が渦巻く限り、戦いは避けられないのでしょうか、、、。
与謝野晶子さんの詩「君死にたもうことなかれ」の最後はこう結ばれています。
 
  この世ひとりの君ならで
  ああまた誰に頼むべき
  君死にたもうことなかれ。

若くして戦場に行った弟さんを思う詩ですが、
今、戦場に子供や夫や友人を送った多くの人にとって彼等はみんな「この世ひとりの君」のはず。
「死にたもうことなかれ」と叫びたい心境でしょう。
どちらが悪くてどちらが正しいなんて軽々しくは言えないけれど、
戦争をしている国の国内で「戦争反対」とデモ行進ができる国の人々はまだ救われると思いながら、
テレビの画面を見ています。
早急な解決を願いながら。


3月16日
ここ数日かなり冷え込んでいた東京地方も、久方ぶりにやや暖かくなってきました。
早くも桜の開花予報がでたりして、「春がくるよ! 春だよう!」と嬉しくなってきます。
そして卒業式のシーズン。
先日、ニュースを見ていたら卒業式に「世界に一つだけの花」が歌われている学校があると言っていました。
そうSMAPの今人気急上昇中のあの歌です!
またまた嬉しくなりました。
公立の学校の卒業式に「仰げば尊し」とか「螢の光」に並んでSMAPの歌が歌われている!!
「先生達、やるじゃない」ともう褒めてあげたい気分です。
多分いくら歌詞が良いからと言っても反対する先生や教育委員会もあったはず。
 ♪ナンバーワンにならなくてもオンリーワンでいい♪
この歌を聴いてこの歌詞に勇気づけられた人はきっとたくさんいたと思う。
いくら「個性を尊重した教育」と文部科学省や学校が言っても、
日本の学校教育や社会は普通の可も無く不可も無い当たり障りのない事を由としてきたと思うのです。
帰国子女が日本の学校に馴染めないと言う話はかなり以前から聞いていましたし、
自分の意見を言わない社員の方が受け入れられやすかったり。
何ごとも他と変わっていないことがこの国で暮らすには楽だったように感じます。
その窮屈さや理不尽さに耐え難い人達がかなりいて、
不登校やストレスを抱える人達が多勢でてきた事の一因ではと思っていました。
私は世間で言うところのオバサンの年齢。その上、世間で言うところの年がいもなく以前からSMAPのフアン。
初めてこの歌を聴いた時に
「いい歌だなあー、でもこういうまともな歌って売れないかもしれないな」と思いました。
それが世代を超えて多くの人に支持されていると知り、
「日本も捨てたもんじゃない」と喜んでいます。
静かな反戦歌だと言う人達もいるそうです。
歌や音楽は聴く人の心にいろんな事を想像させてくれます。それをどう感じるかはその人達の心の自由。
一人ひとりが自分や他人を大切に思う心が持てたらとっても素晴らしい。
その事を素敵な歌詞と曲にして送りだしてくれた作詞、作曲をした槙原さんに「ありがとう」とお礼を言いたい。
SMAPのみなさん、いつもひたむきに努力してきて良かったですね。
きっと多くの人達があなた達の歌に励まされているはずですもの。
今年の春は世界に一つだけの花がいっぱい咲きますように、、、。


3月6日
春先の天気は長続きしないと言われます。
そのとおりでここ数日はまた冷え込んできました。
東八道路の満開に咲く梅の花もふるえてしぼみそうな感じです。
それでも久しぶりの休日はちょっとでも外出して春の気配を感じたいと、
京王多摩川駅前にある「フローラルガーデン・アンジェ」に行ってみました。
ここは駅前でしかもそんなに広くなく、植物園というよりはお散歩気分を味わえる公園という雰囲気。
私が行くのは平日のせいか入園者の数もそんなに多くなくて、
ゆっくりと花の名前をメモしたり写真を撮ったりするのには最適な場所です。
マグノリアンというもくれんの花の仲間が咲いているかなと楽しみにしていましたが、
やはりまだまだ本格的な春は遠いようで、枝先に毛でおおわれた固いつぼみがついているだけ。
それでもクリスマスローズやクロッカスが咲いていて、ほんわかと楽しい気分にさせてもらいました。
そのほんわか楽しい気分をさらに盛り上げてくれたのが何とも粋な心意気のサービス。
「今はお花があまり咲いていない上に、公園の修理をしていてすいません。
 お詫びの気持ちですが」
と、言って受付の方が招待券と花の絵葉書をプレゼントして下さったのです。
こういう公園に行くのは美しいお花や木々を見たいのは勿論ですが、
それだけではなくて静かなほっとする雰囲気を味わいたいと言う時もあります。
ですからそんなにお花が咲いていなくても、まだ寒いのだからそれは仕方のないこと。
ひっそりと咲いている水仙やパンジーを見るだけでも満足だし、
木々の芽にいつ頃咲くのかなと話しかけたりして歩くのも楽しい。
その数時間の安らぎが仕事やもろもろのストレスを解消して、また頑張るぞ!と元気が湧いてくる。
そんな有り難い場所なのに「心のこもった配慮」というプレゼントまでいただいて、もうルンルン、ワクワク。
「この招待券、楽しみに使わせていただきます。」と飛び跳ねたいくらい嬉しかった。
何だか不景気な話や険悪な世界情勢の今にしてはとっても良い話でしょ?
ちなみに3月の中旬頃にはたくさんのモクレン等が咲きそうです。
ぜひ立ち寄ってみて下さいね。


2月27日
吹く風はまだまだ冷たいけれど、日射しはどことなく春めいてきました。
長引く風邪や仕事のストレスと何だか疲れたなあーと気分が滅入ってきたこの頃。
いつもぼーっとしているけれど、これでも一応は人並みにストレスもたまるのです。
そこでスタッフと一緒に気分転換、心機一新と名目をつけて房総半島の千倉のお花畑に行ってきました。
よく12チャンネルの「良い旅 夢気分」などで放映されている花摘み、
これがしてみたかった!まさに夢気分でしたよ。
一望の元に真っ青な大平洋を見渡せる広い半島の突端に色とりどりの花々が咲いていて。
日頃は仏壇の花などと言われている「きんせんか」だって一面のオレンジ色の集団でみると、もう素晴らしい眺め。
ピンクや黄色の金魚草やストックの畑は甘い香りがいっぱい。
何より嬉しかったのは、お花を育てて売っている農家の方達が押し付けがましくないこと。
「良かったら写真でも撮っていって」などとにこやかに話し掛けてくれるのです。
観光地独特のすれた雰囲気が全くなくてすっかり「千倉フアン」になりました。
おみやげに抱えて買ってきた花を眺めては、楽しかった! きれいだった!
と、うっとりと今だ興奮さめやらずという心境です。
花を育てて出荷するまでには並み大抵の手間ではないでしょうね。
その苦労を思うと、きれいなお花をみせてくれてありがとうと感謝しながら、
また今度行きたいなあーともう次ぎを楽しみにしています。
         岬まで続く明るさ金盞花  後藤喜美子



2月16日
厳寒の2月とはいえ年々、冬の寒さが薄らいできている気がします。
つららや霜柱は市内では見られなくなり、品種改良の成果か路地でもパンジーが元気に咲いています。
でもやはり北風の吹く日は部屋の中で本を読んだり、音楽を聴くのも楽しみな過ごし方。
以前、新聞に掲載されていたスイスのバーゼルで行われた国際児童評議会での美智子皇后の挨拶の中の一文
「私は私の中に今もすむ、ちいさな女の子に誘われてここにきたのかもしれません。」
と言う何ともロマンチックな一文が心に残り、全文を読んでみたくなって買ってきました。

戦時中や敗戦直後の時代をひとくちに物のない時代と表現することがしばしばありますが、
何がどの程度なかったのかは今の時代に子供時代や青春時代を過ごしている人達にはなかなか理解できないでしょう。
けれど、紛争さなかの国の現状を知り、裸足で着の身着のままさまよう子供達の映像を見て、
日本もほんの50数年前はそんな状態だったと言われると悲惨さが現実味を帯びてくると思うのです。
そんな悲惨な状況にいる、あるいはそんな状況にいた子供達に絵本や本を贈る運動を続けている会議に
美智子皇后がご出席されたことへの勇気あるご判断に感嘆し、そしてその挨拶のなかにご自身の体験を織りまぜて、
いかに本にふれる事が人にとって素晴らしいことなのかと話されたお心に感動しました。
お立場上、本心を語られる事はかなり制約されていると思われます。
それだけに本に対する皇后の思い入れがいかに強かったかと感じました。

戦後の物のない時代に幼年期を過ごした私も、幸せにも児童文学全集の数冊を与えられ、
読書の楽しみを知って育ちました。
数冊の本との出合いがのちのちの心の糧となったことを思うと、
こういう運動を続けていくことの意義がいかに素晴らしいか察せられ、
また心根を注いで運動を続けておられる方々に尊敬の念を抱きました。
また世界中で戦争を起こす人もいれば、その後始末に努力する人もいることを知りました。
この本、すえもりブックスから「バーゼルより」と題して出版されています。
冬の夜長に心すがすがしくなる本です。
どうぞ、読んで下さいとお勧めしたい一冊です。


2月9日
 まだ咲かぬ 梅を眺めて 一人かな
           永井荷風

日に日に日脚が伸びてきて早春の訪れを感じる頃になりました。
各地の梅便りが新聞に掲載されると、ちょっと寒いけれど、高貴な梅の香りを吸いたいなあーと思います。
そこで思い立ったが吉日と京王線の百草園に行って来ました。
紅梅はほぼ満開、白梅はこれからという咲き具合でしたが、日だまりの緋毛氈に座り、
古木の梅の枝ぶり等を眺めていると、あー良い気持ちと思わず声を出して言いたい気分。
茶室ではお香を聞く会が催されていましたので、そちらのお席にも加えていただき一時間ほど、
ゆかしいお香の香りを聞き、香道の歴史などのお話も伺いました。
お茶やお華などのお稽古事はきちんと学ぶには時間も費用もかかるもので、
若い時に多少はお稽古をした事があっても、家庭を持ち続けるとなかなか続けられないとよく聞きます。私もその一人。
確かに日常の雑事に追われていると美しい動作で暮らす事が、
なおざりになっているのに自分でもハッとさせられることが多々あります。
たとえほんの僅かな時間でも、しんとした空間に座り、ご亭主の所作を拝見しながらお茶をいただいたり、
お香を聞かせていただいていると、知らず知らずのうちにこちらの背筋もシャンと伸びてきて、
清々しい気持ちになってきます。
帰り際、頭痛が消えているのに気づきました。とても頭が軽いのです。
もしこの頭の痛いのが消えたらどんなに毎日が暮らしやすいだろうと思う程に、
長年、頭痛とめまいに悩まされ医者通いを続けてきました。
その頭痛が無い!嬉しい、嬉しいとスキップしたいくらいの嬉しさ。
きっとこれがストレス解消効果と言うのでしょう。
お疲れ気味の方にはお勧めしたい!
百草園は梅や桜の木以外は取り立てて無いけれど、それはまたそれで静かな日本庭園も良いものと思います。
京王線の百草園駅から急な勾配の坂道を歩いて10分程の距離。
この坂道、かなりの勾配で息切れしそうですが、園内の甘酒を飲むとそんな疲れも癒されますよ。


2月2日
関東地方は晴れ渡った青空に、強い北風が吹き抜ける寒い毎日です。
この時期はお亡くなりになられる方が多いようで、葬儀に参列する機会も増えてきます。
生前のお元気なお姿や言動が目に浮かび、何とも辛いものですが、
またこういう場では、故人のお人柄が偲ばれる事もあります。
先日、90才の方をお見送りしました。
参列した多くの人々の中に60才前後と思われる人々の集団が目に止まりました。
聞いてみますと、今から50数年前の第二次大戦直後に子供時代を過ごした人々とのこと。
あの頃は一部の人を除き、日本中が食べ物に事欠いていた時代でした。
そんな、皆がお腹をすかしていた時代に、
故人は近所に住むどの子にも分け隔てなく、毎日おやつを多ベさせてくれたとのこと。
人を差別せず、惜しみ無い慈愛を与えて下さった故人の恩は一生忘れられなかったと、
みなさんは口々に語ってくれました。
慈愛を持って接した故人も偉いけれど、その恩を生涯忘れずに皆で声を掛け合って
葬儀に参列した人々も偉いなあーと、しみじみ感心させられました。
人は生前に権力を誇っても亡くなればただの人になり、忘れ去られることもあるかもしれません。
また、たとえささやかに慎ましい人生であっても、
多くの人々の心に感謝や思い出をたくさん残して亡くなられる方もあるでしょう。
故人の最後の場に集まった人々を見ると、
何も語らなくてもその人の人生の集大成がわかるものだとしみじみ感じ入りました。
梅の花が少しずつ、少しずつツボミをふくらませてきました。
水仙のツボミも北風にめげずに「もうすぐ咲くよ」と言わんばかりに小首を傾かせてきました。
冬来たりなば春遠からじ、冬の良さを味わって春を待ちたいですね。


1月26日
国分寺駅近くの殿ケ谷戸庭園では雪つりの衣装を着た木々が冬ごもりをしています。
それでもひっそりとした庭園にはいち早く黄梅の花が、青い冬空を背景に枝いっぱいに咲いています。
空の青に黄梅の黄色の対比が美しい。
目を地面近くに移すと福寿草の黄色の花が「もうじき咲くから待っててね」といわんばかりに蕾を膨らませています。
寒い冬空に、黄色の花々。黄色は春が来るよと、元気づけてくれる色なのかな?
これから咲き始めるれんぎょうの花も鮮やかな黄色。
「自然の力って不思議だなー」と思いながら公園を散策しました。
ハウス栽培や季節の先取りが一般的になり、どの季節にも同じような野菜や果物が多くなってきましたが、
一定の季節の期間だけ店頭に並ぶ物もまだあります。
その中でも干し柿と金柑には郷愁をくすぐられ、つい買ってしまいます。
暮からお正月にかけて見られるひなびた形と色の干し柿。
ここ府中でも、ついほんの何十年程前には農家の軒先きに簾のごとく吊るされていました。
また、みかんやオレンジが一年中出回っていますが、金柑が店頭に並ぶのは今の季節だけ。
昔は金柑の木もたいていの家の庭の一隅に一本は植えられていて、黄色く可愛い小粒の実をつけていました。
主役にはなれないけれど、無いと寂しい脇役みたいでいとしい「物」たちです。
住まいの身近な所に季節の色がある暮しは、人の心の奥底に懐かしい記憶として残るようで、
大人になってもあれこれ思い出が脳裏をよぎるきっかけになっています。
公害や環境破壊で自然の本来の姿が失われつつある昨今。
これからの世代に大人達は何を残せるのだろうと、ふとこんな世の中を作ってしまった世代としては
後ろめたい気持ちになってきます。
黄色の次はこぶしの白い花が早春の空に向かって咲き、
やがて、うす桃色の桜やゆすら梅の花が春真っ盛りを告げてくれるでしょう。


1月20日
ここ数日、日脚が少し伸びたかなあーと感じられる夕暮れ。
お天気の良い朝には「ツピツピ」と小鳥の鳴き声が窓辺に聞こえます。
けれど暦の上では大寒。寒さはこれから一層増してくるでしょう。
朝晩の冷え込みが厳しくなって、高血圧や心臓病の持病を持っている方には、
気をつけないといけない季節ですね。
成人の大半が多かれ少なかれなんらかの成人病の予備軍と言われている時代を反映してか、
健康情報番組がいろいろあります。
なかでも、日曜日の夜9時から放映されるフジテレビの「発掘あるある大辞典」がかなりの人気のようです。
その日に取り上げられた食品などは翌日のスーパーの売場では売り切れ続出になるとか。
なるとかと他人事のように言っていますが・・・、
かくいう私もよろず病気の持ち主なので番組を見た日には洗脳されたかのように、
免疫力アップにココアが良いと聞くとココアを買いに行き、
ブルーベリーが目に効くと聞けばブルーベリーのジャムをせっせっと食べる。
けれど「くるみにごまにチョコレートを食べ、ウーロン茶に紅茶にココアを飲み、、、」と
もうそれだけでかなりお腹がいっぱいになってしまう。
かくして3日もすれば忘れてしまい、食品棚は使い掛けのストック食品で溢れていくのです。
語学学習と同じで持続しないと効き目がないとわかっちゃいるけれど、、、。
若い時は多少の睡眠不足も、残業の疲れも、仕事上のストレスも何とか若さの持つエネルギーで乗り切れたけれど、
人生の大半を過ごした年齢になるとたまった疲労はなかなか消えない。
ここ数日、高血圧で頭痛がひどく起き上がるのも辛かった。
高血圧の原因のひとつ、ストレスを和らげるのにヒノキの香りが良いとNHKの番組で放映しているではありませんか。
ヒノキの香りをかげばこの頭痛も少しは良くなるの? よし明日は建築現場からヒノキの
切れ端を持ってきてもらおう。とついつい試してみたくなるのです。
どんな薬や食品よりも休養が一番なのだと知りつつも、思うように休養が取れないので
藁でもすがる思い?この手の番組はかくして人気があるのでしょうね。
やぶ椿の固いつぼみにうっすらと赤みがさしてきて春が待ち遠しい!


1月12日
ここ数日、東京地方は穏やかな小春日和。
東八道路の日当たりの良い所の梅の木はポツポツと蕾がふくらみ始めて、早春のすがすがしい息吹を感じます。
冬空に凛と咲く梅の花の高貴な香りをかぐと、
おのが怠け心を正せずにはいられないような身が引き締まる気持ちにさせられます。
梅の花に我が身を置いて時に励まし、時には慰められた古人の気持ちがわかるような気がします。

一月も中旬になるといよいよ中学入試を皮切りに各種の受験が始まりますね。
「風邪をひかないようにね。」と誰にともなくつい言いたくなる時期です。
成果が実っても、実らなくても、もし自分が精一杯の努力をしたなら、それはそれで受け止められるでしょう。

私事ですが、昨年、長い間、勉強したいなあーと思っていた事に取り組んでみました。
仕事が終わった夜に机に向かい、時のたつのを忘れるくらいに没頭しました。
勉強できる事が嬉しくて、楽しくて。
若い学生さんたちに混じって講習会にも行きました。
久しぶりに教室に座り、授業を受ける心地よさは何十年ぶりの学生時代を思い出してワクワク気分。
何だか頭のてっぺんからジュワッと知識が満たされていくみたいでものすごい充実感を味わいました。
そして年の暮近くに受験しました。
昨日、発表があり、お陰さまで受かりました。
受かっても別に即仕事に役に立つとか、収入が上がるとかそんな特典は何にもありません。
ただ勉強したかっただけ。でも嬉しかった!学びたい事が学べて、それが成果として実った嬉しさ。
勉強は本当は楽しいんだとしみじみと感じ入ったのです。
いくつになっても学びたい時が適齢期と再認識しました。
受験生のみなさま、勉強できる環境にいることは有り難い事と思って努力してみてね。
そしてもしダメでも諦めないでね。いつでもチャンスはあるのですから、、、。

花屋さんの店頭には色とりどりのパンジーが並んでそこだけもう春みたい。


1月1日

新年をいかがお迎えでしょうか?
昨年の緊迫した厳しい世界情勢や経済から脱却して、
今年は穏やかで明るい話題の多い年になってほしいなと願って新年を迎えました。

新年を迎えると人は誰でも「今年こそ」と何か意気込むようです。
「今年こそタバコを止めよう」
「今年こそ無駄遣いをやめよう」
「今年こそ早起きしよう」
こんなささやかな願いでも、早くも一月中旬ごろになると、
タバコを止めようと決心した人の指先にはしっかりとタバコがはさまれているし、
早起きのはずが相変わらず、息せき切って駅迄走って通勤とあいなっていたり・・・。
今年こそと意気込むものが、多少の努力で出来るものと、生来の性格を直さなければならいとか、
もともと不向きな事に挑戦するとなればこれはかなりきついことになりそう。
良く聞くのが新学期になると何故か英会話に挑戦したくなり、
教材を買い込んだり、教室に申込むけれど結局は途中で放棄。
英会話は新学期にかかる病気みたいだとか。
私も健気に?思った事がありました。
パソコン上達!と。HPを自分で作れればなどと実力以上の途方も無い事を。
ところが機械オンチ、数学オンチ 電気オンチとあらゆることにオンチのつく私の頭では・・・。
いくらHP作成の本を買ったところで、読んで理解がまったく出来ない。
理解できないのですから覚えるとか工夫する等と言ったことはもってのほか。
ところが植物好きな私の頭は花や木の名前とか特徴は一目で覚えてしまう。
何故と聞かれても困る。だってわかってしまうのだから。
そしてついにHP作成もパソコン上達も数年前に断念。
良いんです。パソコンは文章が打てればと開き直りました。
よって当HPを作成してくれている方には申し訳ないけれど、関わったが縁と諦めてやっていただくしかない。
私は好きな花の本を眺めてはご機嫌な日々。スイマセン・・・。
そんなわけで今年も季節の風や花の香りを楽しみながら、よしなしごとを書かせていただきます。
この一年、皆様に幸せが多い事をお祈り申し上げます。




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1998.3.25 公開


製作:塩津 暁彦
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