◎風の便り花便り
10月21日
ひと雨ごとに涼しさからちょっと寒いかな?と感じる季節になってきました。
やや高い山や高原では紅葉の便りも聞かれる頃になり、
日本の自然の美しさを感謝したくなる時期でもありますね。
商店会のバス旅行で河口湖に行ってきました。
まだ山々は紅葉とはいきませんが、どうだんつつじの葉が真っ赤に染まり、
ススキの穂やわれもこうの濃い赤紫の花が風にゆれる光景は
「あー日本の秋!」としみじみ美しい自然に見とれました。

北朝鮮から一時帰国している拉致被害者の方々は故郷のこんな景色をどんな思いで見つめているのだろうと、
察するに余りある思いがしてきます。
口には出せないけれどきっと感じているであろう様々な思いを想像するのは辛い。
ましてやご本人達は、、、。
政治とか国家は時に非情な運命をかすものだと思い知らされます。

インドネシアのバリ島でも、またテロ組織と思われる事件がありました。
バリ島を紹介する観光案内の本や旅行者のエッセイ、
また魅せられて住み着いてしまった人達の本を読むと、まさに「神々の住む神秘の国」と書かれています。
木々や鳥やあらゆる自然界を神とあがめて美しい花のお供物を供えると言う風習は、
自然界に住むものの原点を示されているようで、宗教とは別にしても良い国だなあーと思っていました。
一度行った人はとりこになりバリ通いが病み付きになる程とか。
以前に聴きに行ったガムラン音楽の演奏会は夢見心地になるような音色でした。
本で見たバリ絵画も自然の樹木や鳥たちが色彩豊かに表現されて素晴らしかった。
本場でバリの空気を吸いながらガムラン音楽を聴きたい。
本物のバリ絵画や織物のバテイックも見てみたいと願いはつのり、
仕事を離れる余裕ができたら是非行きたいと思っていたのです。
それなのに「渡航は危険です。」と掲載された新聞を見て、とても寂しく切ない思いです。
穏やかに暮らしている人々が、また観光収入が大きく占めるバリの人々の暮しが、
これ以上辛い日々とならないようにとそっと祈るばかりです。


10月6日
近くの公園の大きな木の下に可愛いドングリが落ちているのを見つけて、
思わず小さい子供のようにポケットに入れてきました。秋のお土産の第一報です。
これからはイチョウの黄色い葉も、カエデの赤い葉もそっとポケットに入れる季節になってきます。
落ち葉を何にするわけでも無いけれど、「秋がきたのよ。見てみて」と葉っぱ達が
話し掛けてくれているみたいで、とても素通りできないのです。
そして最近もうひとつ、素通りできない物に出会いました。

この頃、インターネツトを開くと、まず目に飛び込んでくる「Myランキング」の上位に
「大きな古時計」というのを目にするようになって1ケ月位。
何週も続いているけれど、まさか数十年前に聞いたあの懐かしい童謡の曲?
でもあの「平井 堅」さんが童謡のCDをだすの?
あまり何週も続くのでその欄をクリックしたら、まさに大きな古い時計の写真が写り、
確かに昔に聞いた懐かしいあの曲そのものではありませんか!。
正統派と言われる彼がどんな風に歌うのだろうと思ったら、もう聞きたくてたまらずに、即、買いに行きました。
素晴らしいですよ。感激屋ならずともジーンときちゃいますよ。
かすかにかすれた声で、力まず、誠実にひたすら誠実に(そう感じました。)歌っているのです。
アニメの「あらいぐまラスカル」の最後の方のワンシーンに、老人になった主人公が
大きな木の下で幼い頃を回想する、感動的な場面があるのですが、そんなシーンまでが
脳裏を廻り、この曲が作られた100年程前の時代の景色や家や人々の暮しまでが目に見えるよう。
横文字だらけの若い人達の新曲が多い中で、こういう曲が売れるなんてとても不思議。
どんな層の人達が支持しているのでしょう。
こんなに売れているのですもの、絶対に中高年ばかりが買っているとは限らないと思う。
きっと今風の若者も「この曲いいよね」なんて感激していたりして、、、。
にぎやかに大きな音が流れるお店で、若い男性の店員さんがにこっと笑ってCDを渡してくれました。
もしかしたらあなたもこの曲が気に入ったの?


9月29日
秋風と共に各地のコスモスの花便りが聞かれる頃になりました。
コスモスの淡いピンクや白の花びらが風にそよぐ風景は、日本の秋空の美しさを
一層引き立てて、見る人の目も心も楽しませてくれるようですね。
秋になると河原や土手に、また公園や学校の花壇にと、いたるところで優しくささやくように咲いているコスモスですが、
最近、毎週刊行されている小学館の花シリーズのコスモス特集によりますと、日本に根付いたのはわずか百年足らずとか。
それが今や日本の秋の風景に欠かせない花となり、花好きの人々の中でも特に好まれる花のひとつにあげられているそうです。
それは花の可憐な姿が日本の自然に溶け込んでいる美しさと共に、その可憐な姿に似合わずに、
強靱な性質を持っている事が日本人の心の琴線に触れるからのようなのです。
花好きで毎日、花に話し掛けている私も大のコスモス好き。
やはりその理由の一つに強靱さがあるのです。

子供の頃に大型台風が来て、我が家の庭の木々や草花がみんななぎ倒され、無惨な姿になりました。
ところがコスモスだけは倒れたところから茎をもたげて、けなげに咲いていたのです。
それは台風一過の青空にとても美しく、凛とした強さを感じました。
子供心にも「負けちゃいけないんだよ」と話し掛けられているみたいな気がしたのです。
まだ人生の何たるかもわからない、けれど子供は子供なりにいろんな悩みもあったのでしょう。
「どんな事があっても、くじけちゃいけないんだよね」と妙に納得させられたのです。
以来、秋になるとコスモスが咲くのが待ち遠しくなり、大人になって自分の時間が持てるようになってからは、
コスモスの花の群れに出向くのが楽しみになりました。
雄大な富士山を背景に咲く忍野八海のコスモスは自然と調和した美しさ。
昭和記念公園のコスモス畑は作られた美しさ。
そして山梨県のぶどう畑の畦に揺れて咲くコスモスは、素朴な美しさと、
どこに咲くコスモスもみんな美しく、ちょっと寂し気で素敵でした。
今年もコスモスとの出会いを楽しみにしているこの頃です。


9月24日
今年もお彼岸の頃にきちんと、まるで暦を見て咲いたかのように、
例年咲く場所に例年のごとくに彼岸花が咲きました。
何にも無いかのような地面から、突如のごとくにツンとした蕾をつけた茎を
ツツーと伸ばし、数日すると華麗な花がパット開く。
赤い花は周囲を鮮やかな赤色に染め、白い花は優美な雰囲気を漂わせて。
あの不思議な造型美にただただ自然の妙に感嘆させられます。
そしてこの花を見る度に毎年、毎年思いました。
取り立てて嘆き悲しむ事故も無く、今年も彼岸花を見られる事は有り難い事だと。
彼岸花には「当たり前の事は素晴らしい事だ」と教えてくれるような何かを感じてしまうのです。
あまりにもきちんと咲く日を守って咲くからなのでしょうか。

今年ほどつつがなく暮らせる事は有り難い事と思わせられた年はなかったように思います。
北朝鮮に拉致された被害者の方々の報道を見るにつけ、自らの意思に反して過酷な
人生を歩まされた人々や、そのご家族の方々の苦悩を思うと国家権力の下では、
人間の命や暮しはどうにでもされてしまうのだという恐怖を感じてしまいます。
よく「人の命は地球より重い」と言われます。
けれどそんなきれいごとでは通じない世界があることは、
連日のアフガンやイラク等の絶えまない紛争のニュースで十分に知っています。
知ってはいるけれど、現実に同胞のごく普通に暮らしていた人達の拉致問題は、
戦争や紛争とはまた違う恐怖があることを強烈に認識させられて、重苦しい気持ちになってしまうのです。
願わくば真実がきちんと報道される事を祈ります。
     曼珠沙華消えたる茎のならびけり    後藤夜半


9月14日
東京地方は小雨もようの久しぶりに涼しい日になりました。
今夏の暑さに疲れた体には、この涼しい空気が何とも有り難い気持ちです。
いつのまにか蝉の鳴き声が聞こえなくなり、
夜半にリーリーと鳴く虫の声に秋がやってきたとほっとしています。
収穫の秋が始まり、北海道から「有機農法で作りました。」とメッセージ付きのじゃがいもが届きました。
大きさも形もまちまちの、いかにも素人さんが丹精込めて挑戦して作ったと思われるじゃがいもです。
早速に茹でてバターで焼いたり、肉じゃがにしてみたらこれが美味しいのです。
ほっくりと、こってりとちゃんと「これがじゃがいもの味よ」と主張しているかのよう。
じゃがいもってこんなに美味しいものだったの!と心底驚きました。

ここのところ、連日にわたり新聞には食の安全を問う記事が載っています。
肉もハムもお惣菜も、大企業はどうしてこんなことするの?と情けなくなるくらいに
素材を粗末に扱い、消費者の不信をかっています。
また許可されない成分が入っている農薬を使用したからと言う事で、
大量のりんごが廃棄処分されたということです。
りんご農家の人達が剪定、受粉、消毒と手間をかけてやっと出荷という段階で廃棄処分。
農薬を生産している会社は、どうして許可されない成分を使用するの?
第一次生産者の方がいくら地道な努力を重ねて生産しても、流通過程や工場で、
その素材を粗末に扱えば人の口に入る時には、味も安全性も欠けてしまいます。
それではあまりにも生産者の方や、素材に対して申し訳ないと思うのですが。

送られたじゃがいもを見ていると、広い北海道の大地で薄紫色のじゃがいもの花が
風にゆれる光景や、収穫の時に「よっこらしょ」と引き抜いている様子が目に見えるようでした。


9月8日
東京地方には昨晩、一時的にすさまじい雨が降りました。
そのせいか今朝は幾分か涼しい朝となり、夏バテの身体には嬉しい気分です。
でも、昨日見つけた公園の萩の花は散らなかったかな?とやや心配。
すすき、萩と秋の花々の訪づれに、そろそろどこかにひょこっと彼岸花が咲き出したのでは?
と、新聞の地方版をひろげたら、うん?面白い! という記事を見つけました。
俳人 正岡子規の故郷の松山市で全国高校生の俳句大会が行われたとの事。

実は私・・・自動販売機などで飲み物を買う時に、伊藤園のお茶の缶を選ぶことが多いんです。
というのも、缶に書かれている俳句を読むのが楽しみだから。

自分では俳句も短歌も作らないけれど、人様の作品を読むのは大好きで
特に若い人の俳句が何とも素直で微笑ましい。
そんな作品に出会うと何か抽選にでも当たったかのように「よっしゃ!」と手を打ちたい程に
嬉しい気持ちになってしまうのです。
そしてその作者が中学生や高校生だったりすると、
どんな生活をしているのかなーとあれこれ想像するのも楽しいという「おまけ」付き。
俳句には季語が必要ですから、おのずと自然界を表すたくさんの言葉を知り、
日本語の語感や、表現の美しさに感動する機会に巡り会うこともあるのでしょう。
携帯電話やメールで記号化した言葉を使用している世代でも、
結構粋な表現をしたりしてなかなかやるじゃないと、いたく感動させられるのです。
松山市の俳句大会でどんな俳句が詠まれたのでしょうか?
どうやら順位を決定して優勝争いをする大会のようですが、
せっかくなら参加者全員の俳句を公表して、できれば小冊子にでもして売っていただけたらなと思います。
いつの時代にも「今時の若いもん」はいるもの。
昔、若いもんだった人達が「今時の若いもん」を知る良い機会かもしれませんから。   
   三日月や この頃萩の 咲きこぼれ  河東碧梧桐


9月2日
夕方になると地面に映る影が長く伸びて、暑い暑いと言っていても
季節は刻々と移っていることを実感する頃になりました。
朝顔のつるの先に小さな花が最後の一花のように咲き、
夏中咲き誇っていたポーチュラカの花の数もめっきりと少なくなりました。
そんな秋の気配がほんの少し感じられる9月1日の夜に、長野県の田中知事再選のニュース速報が流れてきました。
時代も人々の考えも変化してきていると、多くの人が感じたのではないかなと思いながら
テレビの画面に見入っていました。
今度の再選にあたって私はとても不思議な気持ちでした。
県議会の与党で長く長野県政を握っていた議員さん達が田中知事を罷免したのならば、
どうして自分達の中から知事候補を出さなかつたのかなと、、、。
テレビカメラに向かって田中知事の個人的資質や独裁ぶりを指摘する勇気があったのですから、
田中知事に任せられないと引きずり降ろした以上は、自分達が長野県知事に相応しいと思う人を
自分達議員の中から選びだす勇気も持つべきだと思ったのです。
対抗馬の長谷川さんがどうのと言う事ではなくて。
長野県は明治時代からずっと日本一の教育県として県民の教育熱心さでは有名だったと聞かされてきました。
「信州教育」という言葉が一般化されるくらいに、親は食事を削ってでも子弟の教育には
心血を注ぐ優秀な県民だと言われていたそうです。
以前に旧開智学校を見学した時になるほど、長野県民は教育には熱心だったのだと感心したものでした。
残されていた子供達の絵や習字の上手さ。
まだ皆が食べる事にも苦しかった時代に、子供達を学校に通わせ、
読み書きを徹底させた県民の意識の高さに感動したものです。
教育とはもし簡単に言う事を許されるならば、
自分の頭で考え、自分の言葉で表現できる人間を育てる事だと私は思います。
旧いものと新しいものを私怨は別にして、
毅然と判断できる寛容さも兼ね備えた思考力を持てる人間としての器の広さが無ければ、
とても人の上に立つ事はできないでしょう。
差し出された名刺を破ったり、人の欠点をあげつらうだけでは
人の心を動かす事はできないと県民は考えたのではないかと想像してます。
県の内状を知らない人間が独断する事はいけない事とは思いますが、
県議会は一票に込められた聡明な長野県民の判断を大切にすべきだと思うのです。
小さなりんごに「アルプス乙女」なんて言う可愛い名前を付けて売り出したり、
エノキやなめこを人工栽培したり、レタスやセロリの洋野菜栽培の早期導入など
新進の産業に着手する素晴らしい能力を持った長野県民にふさわしいリーダーは、
県民が選ぶと言う当たり前の事を議員さん達には認識してほしいなと思います。

旧開智学校には晩秋になると「ナナカマド」の真っ赤な実がそれはそれは美しく実ります。


8月25日
夕陽の沈む時間が心なしか早くなってきたような気がします。
夜になるとどこにいるのか姿は見えねど、虫の声も聞こえてきます。
八月も最終の週になり、どことなく秋の気配が感じられる頃になりましたね。

当社の建売現場の聖蹟桜ヶ丘に、建築過程の写真を撮りにここ数カ月通っています。
事務所を開ける前に出かけるので、大体朝の7時から8時位に、聖蹟桜ヶ丘の駅を
降りて、現場まで歩いて行くのですが、時代の変化をつくづくと感じる光景を目にする機会を得ました。
話には聞いていましたが、駅の周辺には朝ご飯を食べるお店が早々と開店しているのです。
外から見るとノートパソコンを開いている若いサラリーマン風の男性や、
システム手帳に目を通している女性、新聞を読みながらゆっくりとコーヒーを飲んでいる初老の紳士などさまざま。
食事する人もさまざまなら、食事の内容もさまざま。そしてどのお店もおしゃれできれい。
ちょっと寄ってみようかなと思ってしまうような、、、。
一昔前の喫茶店のモーニングとは違い、和定食のお店のメニューを通りすがりに
眺めると、塩鮭の焼いたのにご飯、味噌汁、煮物等がお盆にこぎれいにセットされていて480円。
麺類のお店には、冷やしうどんセット。コーヒーショップではチリドッグにコーヒー。
などと変化にとんでいます。
多分、食事している人の全てが単身者ばかりとは限らないようにも見えます。
出勤前のひとときを、ちょっと一息ついて自分一人の朝食を楽しんでいる様子。
一人での食事はわびしいと言った昔のイメージではなくて、何だかとてもいい感じに見えるのです。
一日の始まりをあたふたと息せき切って「24時間戦えますか」と言う必死の形相で、
駅の立ち食いそばを食べていたひと昔前の光景とは違う、ゆったり感が漂っているのです。

団塊の世代前後の私達は産まれてからこの方、ずっと誰かに背中を押されて働き続けて来た気がします。
そしてそんな無理な生き方をして一体何が得られたのだろうと、時々思う年代になり、
ふとまわりを見ると、時代は確実に変わりつつあることを感じさせられています。
ちょっと寄り道してもいいじゃない?
すこし贅沢してもいいじゃない! と自分に問い、笑顔のさわやかな店員さんのいる一軒のお店に入ってみました。
熱いコーヒーとドーナツをいただきながら、街ゆく人をぼんやりと眺めていると、
時間の流れがゆっくりと穏やかに過ぎていき、心の中にやさしい風が通り過ぎて行く気持ちになれました。
ほんの30分、500円前後のくつろぎ。それなのにこのやすらぎ、、、。
自分が自分だけのための心地よい暮しを選んでもいいんだ!
なんて素敵な時代になったんだろうと嬉しくなった朝のひとときでした。


8月18日
関東地方はいまだ猛暑が続き、いささかお疲れ気味の方も多いでしょうね。
お盆休みの頃は東京の中心街は毎年、日頃とはうって変わって人通りも少なくなります。
いわゆる帰省する田舎のない東京出身の私、毎年この時期を見計らって
若き日の思い出がいっぱいある都心の散策を楽しむのですが、なにせ今年は暑い。
とても浅草や銀座を汗を拭きながら散策する気にはなれません。
それではせめて美味しいものでも食べに行きましょうかと友人達と高層ビルの最上階にある、
かの有名な料理の鉄人と言われる方のお店に食事に行って参りました。
行く前は
「どうせ本人が料理を直接作るわけじゃ無いわよね。」とか
「テレビで人気のある所って、いざ行ってみるとがっかりするものよ」などと
ご託を並べて(それなら行かなければいいものを?) 行ってきました。

その結果?・・・前言取り消し致します。
いくら全員が働いている兼業主婦とは言え、主婦とつくからにはお財布は固いのです。
選んだのは2,000円のランチバイキング。まあご託を並べる程の金額ではないのですが。
まず、お店のインテリアがシャープで且つ可愛い。
ご理解いただけるでしょうか。
要するに配色は黒を中心にシャープ。けれどロウソクやお花の飾り付けは可愛い。
ウエイターさん達はきちんと教育されていてスマート。
お料理は濃からず薄からず。デザートのケーキも小さい。
この小さいと言うのが嬉しいのです。いろんな種類が楽しめますので、、、。
帰りはエレベータまでお見送りをしていただき、本当に2,000円で良いの?
と思ってしまう心憎いばかりの気配り。
仕事柄、ついつい考えてしまいました。 経営者としては採算があうのでしょうか?
家賃も相当高いはずなのに。
他人様の経営まで心配するほどの身では無いので、何はともあれ楽しく満足してきました。
不景気だとか、どこそこのお店が潰れたとか良く聞く昨今ですが、
評判の良い所は全ての点で最大限の努力をしているのだと、いたく勉強させられた次第です。

夕立ちが降り始め、ススキの穂がちょこっとでて風に揺れています。
子供達の夏休みもあと少しですね。大人の夏休みは短かったけれど、貴重な思い出になりました。

8月11日
関東地方は連日、強烈な日射しの暑い日が続いています。
夏だ! 夏はこんなに暑いのだ!!どうだまいったか!!!と自然界に教えられているような暑さです。
その上に、今年の東八道路は近年にないくらい蝉の鳴き声がすごい。
東八道路を走る車の騒音はかなりのものです。
窓のサッシを閉めていても室内ではテレビの音が聞き取れない程。
そんなにすごい騒音にも負けてたまるかと言わんばかりに、
蝉の底力? を出してジージーと鳴いています。深夜になっても鳴いているのですから、
もうたいしたものとただただ敬服する次第。
またまたその上に、今年のさるすべりの花は元気です。
百日紅と漢字で書くように、ずーっと咲き続けています。
炎天下に空に向かって花房を突き上げるかのような元気さで、
濃いピンク色や真っ白の花が風に揺られて咲き続けている姿は、お見事と言いたい程の豪華さです。
こんなに自然界の動植物が元気だと、暑いとか疲れたとか言ったら申し訳ない気がしてきます。
でも暑いんですよね。かき氷の旗が揺れるのを見ると、ちょっと仕事の手を休めて一息したくなるのです。
一息ならいいのですが、ついついふた息もしちゃいます。
そんな時に宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節が心をよぎったりするのです。
  夏ノ暑サニモ負ケズ
  寒サノ夏ニハオロオロシ
東北地方の農家の人は夏の冷害はお米が育たずに苦労したんですね。
だから夏はいくら暑くても負けてなんかいられなかった・・・。
むしろ夏の暑さは豊作につながり有り難かった。

よってジリジリと照りつける日射しを見ながら、今日も自分に言い聞かせています。
そうだ、そうだ 夏は暑い方が有り難いのだ。ビールも売れるし、夏物衣料も売れる。
エアコンも売れる。消費が動けば少しは景気が良くなるかもしれないのだ。
良い事尽くめをいっぱい並べ立てて、、、。
そばではクサガメちゃんが、甲羅をガタコトと音たてながら元気に室内お散歩中です。


8月4日
焼けつくような暑さと共に、今年も広島、長崎に原爆が投下された8月になりました。
第二次大戦やその後の悲惨な暮しを、たとえかすかにでも記憶している人々も高齢化しています。
思い出したくも無い体験を、やっとの思いで語る人も年々減少しています。
けれど敗戦から57年が経過した今も、世界中のどこかで戦争がくり返され、
悲しい思いをしている人々はたくさんいるのです。
だから
「自分が直接に体験しなくても、戦争の苦しさや悲しさを少しでも知っている人は、語ろうよ、話そうよ」
と私は思うのです。
先日、アメリカで原爆当時の写真を公開するのは中止されたと聞きました。
理由はあまりにも悲惨だから。
むごたらしい写真を見るのは普通の感覚の人なら辛い事でしょう。
でもその惨たらしい光景をつくり出したのは、他ならぬ「人」
だから二度とこんな悲惨な事をしてはいけないと世界中の人が自覚するようにと、公開してほしかった、、、。
小学生の頃ですが、被爆者のホルマン漬けになった奇形児や焼けただれた人々の写真を学校の映画会で見ました。
50年近い歳月を経てもあの時の映像は記憶にはっきりと残っています。
そしてあの原爆投下直後の広島を、当時兵隊だった私の亡き父は歩いて通り、以後何十年も後遺症で苦しみました。
直接の被爆者の人数に入らない、こういう人々の数はとても把握できない程に多いでしょう。
人は経験しない事でも、聞いたり見たりと言う情報で得る事ができる動物です。
だから戦争を経験した人々はどうか若い人に語ってほしいと思うのです。
大切な親や子や友達を戦争で亡くさないように、苦しめないように。
どうか修学旅行には広島、長崎、知覧、沖縄を選んで下さいとも願うのです。
考える力がたくさんある若い世代の人々に、
自分達と同じ年代の人がいかに「命」を軽んじられたかを知るために。
 ♪ ふるさとの町やかれ 身寄りの骨埋めし焼け土に
   今は白い花さく ああ許すまじ原爆を 二度と許すまじ原爆を♪

かつて歌声喫茶でよく歌われた「原爆を許すまじ」の歌も最近は聞かれなくなったようです。
焼け野原にたくましく咲いたと言う白い夾竹桃の花を見ると、ふとこの歌を口ずさむでいる8月です。


8月1日
多摩市に建築中の当社の物件の周辺は、まだ少し自然が残っている涼し気な所です。
さやさやと水が流れる用水路の土手には、いたどりが大きな葉を風にそよがせているし、
鴨や鴫がしばし水を飲んではお散歩して行くのどかさ。
川沿いに咲く夾竹桃は濃いピンク色の花を元気いっぱいにつけています。
同じ暑さでも、車が激しく行き交う町中と、ほんの少しでも自然の面影を残している所とでは、
見る人の心に暑さの度合いが違って見えるようですね。
川面に花影を映して風に揺れる夾竹桃の花を見ていると
「夏ですねー 元気にお咲きなさい!」とエールを送りたくなるけれど、
排気ガスの充満する町中では濃いピンク色の花は、暑苦しくさえ見えてしまうのです。
暑い暑いと言っても始まらないと、あれこれ避暑方法を試してはみるけれど、
車が深夜でも早朝でも、お構い無しに走り続ける東八道路添いは窓も開けられず、
打ち水や風鈴をさげるなんて言う風情では解消できずに、エアコンを一晩中かけ続け。
それが地球温暖化の一つの要素なのだとわかっちゃいるけれど、、、。
ただでさえ、いつもぼーっとしているというのに、不眠症で「ぼーっ」が倍増中。
不眠症の解消策もいろいろと試してみました。
何とか眠るべくアイスノンを枕にしてみたり、癒し系の音楽を聞いてみたり、
はたまた難しい本なら読みながらうとうとするだろうと、書棚をあさったり、、、。
けれどそうこうするうちに朝刊が配達される時刻になってしまう。
街灯がこうこうと照らしている道路添いには暗闇なんてもう存在しないかのよう。
これから暑さが本番と言うのに、早くもギブアップ気味。
ただひとり? 一匹かな? 元気なクサガメちゃんに話し掛けています。
 「きみは元気だねえー」と。


7月28日
早朝から日射しはジリジリと照りつけ、湿度も異常にムシムシと、今夏も一段と暑いです。
家事の中でも熱を使う台所仕事には辛い時期となりましたね。
夏休みになりお子さんのいるご家庭では学校給食の有り難みを実感している方も多いでしょう?
昨今、新聞やテレビでしきりにデパチカが取り上げられているんですね。
最初は「デパチカ」って何だろうと思いました。
デパートの地下、短縮してデパチカ、なるほどね。
そこの惣菜売場は大変な混雑ぶりなのだそうです。
でもね、我々の年代は(どの年代? まあそこそこの年代ですが、、、。)
いくらフルタイムで働いているとはいえ、一応は主婦業も兼ねている以上、
出来合いのお惣菜を買って、食卓に並べるのは何だか怠け者みたいで、
気が引けてしまいとても「デパチカ」なる所には足を向けられなかったのです。
ところが時々、お土産にいただくこの「デパチカ」のお惣菜の中には、
家庭でこの味をだすにはかなりの時間と実力がいると思う程、美味しいものがあるのです。
出来合い=手抜き=まずいとは限らない事を知りました。
それはそうかもしれませんね。この不景気に繁盛しているのですもの。
各店舗はプロとして最大の努力をもって味や素材に工夫しているのでしょうから。

仕事場からスーパーに走り、さらに息せき切って台所に直行。
いくら手料理は愛情がいっぱいとは言っても、時には愛情も疲れもしますしね。
一品をちょっと出来合いで付け加えるだけで、ほっと一息する時間と心の余裕を得られるのなら、
それも長続きする秘けつかも知れないなと、このところ考えを変えてみたのです。
そして行ってきました。「デパチカ」に。
はじめは後ろめたかったですよ。
でもね、すごいですね。そのカラフルなこと、混雑していること。
中華に、フレンチ、和風の煮物と何でもあるのですもの!。
美しく大皿に飾り付けられた盛り付けもまるで「作品」を見るかのよう。
確かに値段は高いけれど、少人数の家庭なら全部の材料を買いそろえて作ることを考えると、
たいして総価格は変わらないかもしれないと思いました。
世の中の構成が変化して、仕事と家事を両立するのが当然になり、
家事は女性の守備範囲とは限らなくなった現在、人が暮らしていくのにそれぞれの立場で、
どこに重点を置き、ちょっと力を抜いてみるところも考えないと、身が持たないかも知れません。
かくして梅干しからキムチ、しめ鯖と本と首っ引きで挑戦し続けた奮闘?の生活から
遅まきながら、ちょっと気分的に楽な暮しを楽しんでおります、、、。


7月21日
関東地方は梅雨明け宣言と共に、連日猛暑が続いています。
「さあーこれから数カ月は暑い日々が続くのだ、覚悟せよ」と言わんばかりの
カンカン照りの夏空を、暑さに弱い身としてはうらめしげに眺めている日々。
近くの小学校や文化センターでは、夕方になると浴衣を着た子供達が集まり、地域の夏祭りが始まっています。
長い夏休みが始まり、親も子も宿題に必死になるのが目に見えるよう。
この暑いのにどうして学校と言う所はあんなに沢山の宿題をだすのでしょうか?
かなりの日本人の家庭は狭い家の中を親子がうろうろするだけでも煩わしいのに、
宿題をした、しないでぎゃーぎゃーと親子ゲンカするのも余計に暑苦しくなりそう。
夏休みというと連想ゲームみたいに、絵日記、天気、自由研究と次々と言葉が浮かんできます。
けれど、そのわりに夏休みの宿題にはあまり良い思い出がないんです・・・。
絵日記といっても毎日の生活が題材になるような変化があるわけではないし、
「暑くならない朝のうちに済ませましょう」何て先生は言うけれど、夏は朝から暑い。
ただただ学校の始まるのを待っていた気がします。
社会人になり多忙な仕事の日々となって得たわずか数日の夏休みは、本当に「夏休みだ!」と心から有り難く思います。
ラッシュアワーの電車に乗らなくてもよい! 残業も無い!・・・本当の夏休み。
その時に、何ごとも長過ぎるのも考えものかも知れないとシミジミと思ったり。

さるすべりの濃いピンク色の花が咲き始め、各地の花火大会が話題になる頃。
事故も無く、病気にもならずに過ごせたらまあいいかと、
のんきにかまえて暮らすのも時にはいいかもしれないと思うのですが、、、。


7月14日
強烈な日射しの日が続き、早くも真夏に咲く夾竹桃の花が咲き始め夏本番を告げる頃になりました。
この時期は働くお母さん達にとっては、長い夏休みをどうやって
子供達を無事に過ごさせようかと思案する時期でもあるのです。
国は少子化を嘆いているけれど、時勢にあった対応は依然と遅れているのが現状。
政治を握る多くの男性議員の方々には、女性が仕事と育児のやりくりにどんなに
苦労しているか実感としてはおわかりにならないでしょう。
それどころか女は家庭を守るものと未だに信じて疑わない諸氏も多い。
現実は男性方には想像を絶する努力で乗り切ってきた女性達が多いんですよ。
その一方では男性にひけをとらない意欲と能力を持ちながらも、
仕事中に抜け出して5時に終わる公立の保育園から私設の保育園へ二重保育に走る気疲れや気兼ねに耐えかねて、
また放課後や夏休みの子供達の処遇に悩み、泣く泣くキャリアを捨てた女性も多勢いるのです。
小学校の低学年は学童保育がある地域もありますが、午後5時には帰宅させられます。
フルタイムで働く女性にとって午後5時に帰宅することは不可能に近いではないですか。
小売業などはもっとも忙しい時間帯です。
そういう事を国は考えないで、公務員並みの5時終了。
親や、身内を頼れる人ばかりではないのに。

はるか40〜50年前の話ですが、府中のある地域のお寺の住職さんは夏休みになると
お寺の本堂を解放して、長い机を並べて勉強をみたり、お話をしてくれたりしました。
また近くにあるICUの大学生達が小さな公会堂に地域の子供達を集めて、
勉強や遊びを共にしてくれました。
まだ「ボランテイア」という言葉さえ普及していない時代に。

時代は流れ、人の考えも変わり、善意が善意として受け取られないかもしれませんが
子持ちで働く女性の支援が多様化して広がってほしいなと思うのです。
能力のある女性が真剣に働き続けることができる世の中になるように、
お母さんが「遅くなってごめんね」と息せき切って走って帰る辛さをちょっとでも
少なくするように、、、、。
黄色の大輪のひまわりの花を見ると、子供の頃の夏にお世話になった住職さんや
大学生のお兄さん達に「あの時はありがとう」と感謝の思いが湧いてくる幸せを
今の子供達にも味わってほしいなと思うのですが、、、。


7月1日
梅雨のうっとうしさを晴らすかのように、今年の日本はテレビも新聞もWカップの報道で賑わいましたね。
一夜明けて、興奮の日々の名残りと、お祭りの後の特有の寂しさが残る今日。
運営への種々の批判や、選手達への賛辞が交差する新聞を読んでいます。
準決勝も決勝戦も残念ながら仕事が入り、リアルタイムで見れずに、
その後のテレビのハイライトをリモコン片手に各局をはしごして見ました。
スポーツ新聞は試合内容は勿論のこと、誰がハンサムで人気があるとか、
かなりミーハーな記事も掲載しています。
なかでもドイツのGKのカーン選手はそのイカツイ風貌から、
「女性には人気が無い」と書いてありました。
けれど敗退が決まった瞬間にゴールのポールを背に立ち尽くし、
やがて座り込んだカーン選手の風貌には、人間としての尊厳、矜持、を感じました。
彼が何を思い立ち尽くしたのか、それは彼にしかわからない事です。
多分勝手な想像が許されるならば、彼はあの時何を考えていたのかと聞かれても、
決して本心はあかさないだろうなと思っています。
私は彼の日頃の性格や行動などは何も知らないし、
今までどんな試合をしてきたかも知らない。だから迂闊には言えないけれど、、、。
ただ、決してゴールはさせないぞとGKの位置を死守し続けてきた迫力ある姿には
死んでも義経を守ると立ち尽くした弁慶もかくあったのでは、
とまで想像させる程の気力を感じたのです。そしてその風貌を美しいと思いました。
人間にとって目鼻立ちや、スタイルなんかほんの些細なことなのだ、
人の美しさはその人の心なのだと、久しぶりに思わせていただいた気持ちです。
Wカップを見た人、それぞれに多くの感激と思い出が胸に残ったことでしょう。

梅雨空に真っ白なくちなしの花が咲き、通り過ぎ行く人にやさしい香りを放ってくれる6月が去り、
早くも今年も半年が過ぎ去ってしまいました。

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1998.3.25 公開


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